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陰キャをひと突きにする綿矢りさ-映画「私をくいとめて」レビュー


のんさんの顔が、女性の顔で一番好きです。

どうも、まりさです。


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冒頭の不純な理由で何の気なく見たこちらの映画、控えめに言ってぶっ刺さりました。それも、ほそーーーいアイスピックで急所をスコーンと、気持ちいいくらいに。


おひとりさまを極めたOL黒田みつ子が、久しぶりに恋をしちゃう、という映画。

文字に起こしたらこんなに簡単なことが、当事者からしたらほんとにほんとに、難しく、ややこしい。



以下ネタバレ含みます。


脳内の相談役"A"


映画はのん演じるみつ子と、なめらかな中村倫也の声の掛け合いで始まる。ガチャン、とマンションの玄関を閉め、やっと電気が付いて二人の姿が映るかと思えば、映るのは一人、かわいいかわいいのんだけで、倫也の姿はない。この時点で"お、のんお得意の不思議系映画かな?“と思う。

倫也の声は、ひたすら喋るのんにいつも同調する。時に叱り、たしなめる。のんも"ねぇ、A?"と問いかける、確かに不思議な関係だ。すなわち、Aはのんの脳内にいる相談役的存在なのだ。


Aは、みつ子が自分で作り出した存在で、声も、のちに登場する見た目も、応答もすべてみつ子の思い通りになる相談役。みつ子は「友達ができない」と嘆きAにどうしたらいいのか聞く。みつ子はいう。「やっぱAはいいなぁ。わたしのこと否定しないもん」


それだ。

自分のことを決して否定しない存在を、みつ子は脳内に持っている。



それぞれを生きている登場人物たち


みつ子は、取引先の社員でご近所さんである多田くんに、ご飯を作って渡してあげている。炊飯器の釜を持ってピンポンしにくる多田は、この段階では得体が知れない。それも一回でなく、何回も、釜を持ってきて、みつ子はジップロックにいれた料理を入れてあげるのだ。わたしなら「おい、ワイはただのメッシーか?あん?」とイチャモンをつけているところだ。


この事の始まりも実に不器用で、たまたまコロッケ屋で遭遇したときに「あ、うち今日鍋やるけどくる?」の一言が言えない距離感に、「鍋!?いいなぁーー食べに行ってもいいすか?!」が言えない距離感がぎこちなく重なる描き方、演じ方が秀逸だ。「いや、厚かましいですよね」「恐れ多いよ」「食べに行っても…いや、悪いんです、持って帰りますよ」と、距離の取り方の下手な二人のやり取りに「わかるぅぅぅぅぅぅっっ」と膝を打ちまくってこちとらアザだらけだ。


そうなのだ。


これはわたしの持論だが、小中高スポーツ系の部活で人間関係や上下関係を叩き込まれて育ったいわゆる"陽キャ"は、こうはならない。「鍋いいなー!!今から食べに行っていいすか!?」と、後先考えずにぶっ込み、たとえ「あ、今日はちょっと…」と断られても、陰キャのように「流石にあって即誘うのはナシだったよな〜」とか「一回誘われて断られてるってことはわたし自身がナシってことかぁ〜〜〜」などと根に持ったり深く考えて落ち込んだりしないのだ。陽キャは、生まれながらに人との距離の取り方や上手な会話の仕方、傷つけないで喧嘩する方法や、仲直りの方法を知っている。そして、良くも悪くも、長いこと考えない。このようにただ陽気な人が陽キャなのではない。ここでは、みつ子も多田くんも、わたしも陰キャ代表である。


実際多田くんがこのあと初めて家に来て、揚げ物をつつきながら喋っているとき、みつ子は「意外と社交的なんですね、それをわざと出さないようにしてますね、温度がないというか」と多田くんに言われ「そうかもしれない」と答えている。そうなのだ。社交的に話そうと思えば話せるし、好きな人とは喋りすぎるくらいよく喋る。でも、距離のある人と人付き合いをすると、相手の思いを深読みしたり考えすぎたりして疲れるので、なるべくそれを避けて、温度を感じさせないように生きているのだ。はぁ、みつ子は、まるでわたしだ。



遠くにいった皐月との邂逅


みつ子には、イタリアに嫁に行った親友の皐月がいる。大学時代ずっと一緒にいた親友、共に就活に悩んだ親友が、ある日あっさりと就活戦争から離脱し華やかな海外へ飛び立った。陽キャは「めでたいじゃん!いつでもイタリア行けるし!!就活やめたのはマジでズルいよーーいいなーーー!!でも、ほんとおめでとー!!」で済むが、陰キャはそうはいかない。


「就活離脱してずるい、は、相手を祝福してないみたいじゃん!言えない。祝福はしてるし」

「よく知らんイタリア人に呆気なく皐月を取られた!ていうか、皐月はあのイタリア人を選んでわたしを置いて行っちゃったんだ。寂しい」

「いつも一緒にいた公園のクジラの写真、送ったけどリアクションなかった」

「怖い思いして飛行機に乗って来たら、皐月妊娠してた。連絡とってたのに一言も言ってなかったな…何で言ってくれなかったのかな」

「会わなくなって、皐月変わったな。わたしの知ってる皐月じゃなくなったな」


相手を傷つけるんじゃないかと思って口に出して言えない分、こんな思いが心の中でただただ堆く積み上がっていく。目が曇って相手の気持ちはわからなくなり、勝手に心の距離も離れたと感じて、どんどんそっけなくしてしまう。そして、気が緩んだらつい、口からこぼれてしまう。


「(皐月は海外に来ちゃったけど)わたしはずっとあの公園から動けてないよ」


いままでの思いがトゲのある口調になってこぼれたとき、皐月は涙を流して謝りながら「心細かった」と本音をいう。そこでやっと、皐月も一人で海外にきていっぱいいっぱいだったことや、どんどんみつ子と離れていくことに後ろめたさを感じていたこと(だから妊娠を言えなかったのかなと思った)など、皐月の気持ちをまったく慮っていなかった自分に気が付いて、後悔し、やっと二人は邂逅に至る。



とね、手にとるようにわかる。わかりすぎてつらかった。不器用な二人が「妊娠のこと言えなくてごめんね」「わたしもすぐにおめでとうっていえなくてごめんね」と言い合うシーンがすごく好きだった。


陰キャのすすめ


イタリアにいるみつ子と多田くんのLINEの応酬が面白かった。

初めて炊飯器を使ったという多田くんに、(え、一人で?それとも彼女が実はいたとか?どっちだ?)と頭の中は色々モヤモヤしながらも、そこはあえて何も気にしてない風に絵文字なんてつけて「ご飯は美味しく炊けましたか❓❓」と送るけど、多田くんは「イタリア楽しんでください!」と返してくるところだ。


え、待って!!!ごはんのことスルーされた!!!なんで??!言いづらいから?!え!!!?あやしい!!!


と、余計あやしくなってしまうのが陰キャのサガである。みつ子はわたしみたいにジタバタはしないが、Aにのちのち「彼女が炊いたんだよ!きっと!」とぼやいている。Aは、「そんなことないですよ」と慰める。つまり、みつ子の中で自問自答し葛藤しているということだ。


中村倫也のAとして描くから奇妙な画になるが、これがただの陰キャの葛藤ととらえたら、ごくごく普通の、当たり前の日常だ。「彼女かな?え、いや、ちがうよ!違うと信じたい!!え、でもあやしいな。、」と心の中で葛藤しているだけだ。


結局このあと、みつ子がバレンタインに東京タワーに登る誘いをするシーンで「あ!!!!とうきょうたわー!!!黒田さんが東京タワーの話してる後ろに東京タワーあって面白い!!!」とはしゃぐ多田くんを描くことで「あ、この子、ちょっとバカなんだわ。あのLINEのスルーも全然意図はなく、ただ読んでないだけだわ、深読みして損したわ」となるのだ。これもまた実に陰キャあるあるである。




人付き合いという試練


おひとりさまというのは、非常に楽しい。誰にも気を遣わず、自分のやりたいように、やりたいことをできる。わたし自身一人っ子なので、小さい頃からずっとおひとりさま、今はもう、ラーメンも焼肉も寿司も温泉も海外も1人で行ける。

トラブルに見舞われて急遽泊まることになったホテルで、みつ子は「もう逃げたい!!一人の方がずっとよかった!!助けて!!こんな大変な思いをしないと人とは付き合えないんだっけ!?」とAに泣きつく。このシーン、かなり良かった。長い廊下を歩きながらの一本撮りで、のんの、みつ子の真骨頂という感じだった。


わたしも、大人数の友達や付き合いたての彼と遊びに行ったときは、寄ったトイレの個室で便器に座り、「あぁ、なんか疲れた。もう帰りたい」とよく思っていた。人といるのは疲れる。機嫌が悪くなったりする相手の場合は、常に相手の顔色を伺って疲れる。言いたいことが言えずに疲れる。大人数で遊ぶ時は、1人になっている人がいないか確認したり、自分が話についていけてるかアンテナを張りっぱなしで疲れる。期待したら大体裏切られるし、Aみたいな思い通りの返事なんて全然返ってこない。本当に、人付き合いは疲れる。もちろん、悪いのは勝手に疲れている自分だと百も承知だ。

それに比べて、いつも同調してくれて不穏な動きをしたりしないAは、おひとりさまは、最高だった。


その人付き合いの難しさに気付いて、認識すること。それこそが、人付き合いという試練のはじまりであり、同時にAとの決別、門出となる。



1人は楽で最高だった。自分とだけいれば、それはそれでよかった。でも、わたし、誰かといることを選んでみるね。難しいからまた逃げ出したくなるかもしれない。でも、今は一歩、踏み出してみるね。


最後は、大嫌いな飛行機で、Aがやってくれていた役目を、1人の他者である多田くんにお願いして、この映画はおわる。

 


なぜ人と付き合うのか


1人でも十分生きていけるし楽しめる人が、なぜ人と付き合うのか。

あなたと付き合うとなにが変わるの?というみつ子に多田くんは「何も変わりません。隣にぼくがいるだけです」と言う。これはわたし的に100点満点の答えだと思う。

人はいつだって1人だ。幸せになるのも1人、不幸になるのも1人、死ぬのも1人。誰かに幸せにしてもらおうとか、誰かのせいで不幸だとか考えはじめてはいけない。みんな、基本1人で幸せになる。その時隣に誰かがいることで、それが増えたり、分け合えたりして、嬉しかったりするだけのことだ。でも、自分の好きな人の好きな笑顔が見れたりする、それがとても重要だから、みんな付き合いをする。

わたしも、自分と会話する癖がある。

だから、「みつ子はじつは統合失調症で…」とか書いてるレポを見て悲しくなった。そんな、そんなたいそうな、そんなことでは、ない。この、一人で滔々と喋るみつ子は、わたしだし、世の中のちょっと不器用な陰キャたちのことだ。



人と付き合うのは大変なことだ。

つい一人になりたくなってしまう、わたしみたいな人は、きっと見たらアイスピックでひと突きにされるだろう。ぜひ見てほしい。




偏差値5の感想たち


のんがとにかく可愛い。黒目が大きすぎる。ドアップに耐えれる。ていうかドアップにしておいてほしい。頼む。

林遣都の芝居はもともとすごく好きなんだけど、今回のキャラも絶妙にアホで好きだった。

今回の監督は伏線というか、間の取り方や映し方が綿矢りささんと相性ばっちりだ。久しぶりに邦画でグッと来た。陰キャに刺さる、と陰キャ連呼してしまい、申し訳ないが、伝わったらうれしい。




こうして、

今回もまたドン引きの長さのレポであった。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


まりさ










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