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文子の山越えというブラックボックス ―ハコボタ巡礼 2

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独り旅のつもりが気づけば女2人の巡礼に

〝休暇。〟の現パロ自著の第二章が全く書けず死んでいたところに降って湧いた長期休暇。
私は決めたら早いタイプだ。早速、上司と、仕事でタッグを組んでいる後輩に「6月のローンチが終わったら九州に行きたいから永年勤続休暇取るよ」と伝えた。仕事は無茶苦茶だが制度や権利の行使にはホワイトなので「行ってきて、どうぞ」と了承された。あとは仕事の算段をつけ、夫に留守番を頼むだけだ。

文子の山越えの謎

『千羽鶴』とその続編『波千鳥』の主人公は菊治という青年である。しかしこの男、自分で何も決められない。死んだ父親の愛人だった二人の中年女に振り回され、結婚相手も自分の意思のままならぬうちに、父の〝本命〟だった愛人の娘・文子と関係を持ってしまう。その文子に逃げられた後のズルズル感ときたら目を覆いたくなる有り様だが、とかく明治以降の日本文学に出てくる男はこの系統が多い。

一方の文子は神戸港からフェリーで大分へ向かい、亡き父の郷里・竹田を目指す道中、日記のように菊治宛の手紙―― 心の清算―― をしたためていく。ここで描き出される秋の九重連山の緻密な情景と、文子が苦しみながらも菊治と決別していく心情の経過が秀逸で、私は文子こそ真の主人公と見込んでいる。

そんな文子の旅程だが、これが令和の社畜中年女からすると到底理解できないハードさなのだ。

別府観海寺温泉で、十月二十日……。
別府から大分を通って汽車で竹田に行けば早いのですけれど、九重の山々に「近づいて」見たいと思いますから、別府の裏の由布岳の麓を越えて、由布院から豊後中村まで汽車、そこから飯田はんだ高原にはいり、山を南へ越えて、久住町から竹田へというコオスを選びました。
(中略)
飯田高原筋湯で、十月二十一日……。
高原の奥の湯の宿で、セエタアの上に宿のどてらをまとって、それでも冷え込む夜気に、肩を火鉢の上に傾けています。火事の後のにわか普請らしい宿は、建てつけも悪いのです。この筋湯は千メエトルの高さですし、明日は千五百メエトルの峠を越えて、千三百メエトルの温泉に泊るのですから、(略)。
明日は九重山、あさってはいよいよ竹田です。
(中略)
豊後中村駅から飯田高原にのぼる道で、九酔渓の紅葉が見られました。
(中略)
法華院温泉で、十月二十二日……。
今日は千五百四十メエトルの峠、諏峨守越を越えて、千三百三メエトルの法華院温泉に泊っています。九州では一番高い山の湯だそうです。竹田町へ行く私の旅の道も、今日で峠を越えたことになります。明日は久住町へ下って、竹田に着きます。

川端康成「波千鳥」より

JR久大本線の由布院駅から豊後中村駅、久住から竹田までのバス以外、公共交通機関の記述がない。すべて徒歩なのだ。
まず観海寺温泉から由布院まで30km近いし、豊後中村駅から筋湯温泉も18kmある。一日で50km近い道のりだ。
翌日は筋湯温泉から飯田高原を通って長者原まで行き、そこから諏峨守越という峠を越え、硫黄山の硫黄を運ぶ道を通って法華院温泉に向かう。つまり山越えだ。
そして最終日は法華院温泉から坊ガツルを歩き、法華院の近くへ戻って鉾立峠を佐渡窪、鍋破坂を下って朽網別くたみわかれから久住に出て、そこからバスで夕暮れの竹田に入る。
まだ優れた登山装備もない戦後すぐの時代に、戦争経験者とはいえハタチそこそこの女の子がこれだけの道のりを3日で踏破できるのだろうか?
それも10月下旬、太陽が出ている時間は決して長くない時期である。

とりわけ気になるのが長者原の描写だ。
松かげで休んでいた文子が「ゆき子さんと結婚なさいませ」と決別を一人ごちるシーンは殊に美しく、なるほど緻密な取材なくしては絶対書けないだろうと思う。しかし「午後二時ごろに長者原の松かげで遅い弁当を食べ、その後に峠を越えて北千里ケ浜に降りて急な傾斜を下って法華院に入った」と書かれているのが腑に落ちない。女の脚ではどうにも速い印象なのだ。
いろいろな記録をあたってみると、川端先生自身は豊後森から徒歩で山越えをして久住に出たらしい。出迎えたのは竹田にある酒造会社の当代で、しかし久住から竹田までの道はまだ車が通れず、これまた徒歩だったという。
ということは相当細かく現地を取材しているはずで、しかし取材旅行というのは日数がかかるため、踏破ペースは一致しない。川端先生の中でペース配分のリアリティは範疇外だったのだろうか?

峰咲さんがついてきれくれる件

なんとかして九重連山に行って、その景色と、自分の疑問を解き明かしたい。
それに大神先生と同じルートなら最後は熊本空港だ。ということは峰咲さんにご挨拶できるかもしれない。ハコボタは峰咲さんのお話が存在しなかったら生まれなかった物語だ。近くまで行くならお目にかかって直接お礼を言いたかった。

私はこんな一文をTLに投げ込んだ。

突如盛り上がるふたり

なんと、このあと峰咲さんも休みを調整してくださり、6/21(金)からの2泊3日をお付き合いいただけることになった。

夫のマイルで飛行機を手配するにあたって熊本発着にルートを変更。レンタカーは大分で借りて熊本で乗り捨てるつもりだったがこれも熊本空港に切り替え、熊本から阿蘇を越えて竹田に入り、そこから九重連山を北上して筋湯温泉に行って連泊することになった。
筋湯温泉には(第一章には出さなかったが)大神先生も泊まっている設定だったので、我々にはもってこいの逗留場所だ。

こうして「ハコボタ巡礼」の女2人旅が決まった。

地図が手に入らない…!

逗留先が決まり、次はどこを観光するかという話になる。
私は長者原から坊ガツルまで、つまり文子が法華院山荘に泊まった前後のシーンに出てくる場所を見たかった。
ただ先述の通り、女の脚で本当に挑めるのか謎だった。それで散々調べていたら、こんなwebが出てきた。

このページの中で、長者原登山口から三俣山を1周するコースが「体力に自信がない方でも十分楽しめます。」とされており、さらには通るポイントが全て私の見たかった場所なのだ。
想定所要時間は片道2時間半。法華院で日帰り湯に浸かって山荘のお昼をいただくのに2時間。合計7時間オーバーと時間はかかるが、夏至の翌日で日暮は遅い。

峰咲さんに相当気楽にコース提案をする

「梅雨まではミヤマキリシマというツツジ目掛けて登山者が早朝から殺到するらしいから、駐車場が心配」などという話を峰咲さんから伺いながらも、まあやってみようということに。
しかし、本当にそれで大丈夫なのか検証しようにも地図を買えないまま半月経過。
出発10日前になって漸く地元の乗り換え駅にある本屋に突撃したものの、大分のガイドブック、どれも九重連山のくの字もないのである。あったとしてもワイナリーとかカフェばっかりである。要らんねん!!!

ものすごい怒り狂っている

結局、直前の週末に新宿まで行った。

そして入手した山岳ガイドや地図を見て仰天。文子が通った硫黄山の道は封鎖されているのである。こうなるともはや、文子曰く「私の足にも楽」なのかの裏どりさえできない。

YAMAPには当日めちゃくちゃ世話になった

チャットGPTに「長者原登山口から法華院山荘までの最も簡単なルート」を尋ねたり、登山アプリ「YAMAP」でルート設定したりなんだりして、結局先述のwebで紹介されていた「九州自然歩道」を歩いて雨ヶ池越と坊ガツルを経由して法華院を目指し、Uターンするルートが一番良かろうという話に。

九州が梅雨入り!絶望的な天候をWindyが示す

ところがこの旅、おそらく大神先生の呪いがかかった。いよいよ金曜から熊本入りという段になって、天候が大荒れ予報になっていったのだ。

「てるてる坊主作るか」「お札を拝む」などというやり取りを村人環視のTLでやっていた。そりゃ心配されるよ…

直前になって「これほど天気を心配しながら旅行に……行くことが多いな」と気がづいた。
私は6月から7月頭、つまり梅雨時期しか平日休みをくっつけた旅行ができず、そのたびに大雨に祟られてきたのだった。
コロナ禍で忘れていた過去の記憶と共に、半ば諦めの気持ちで当日を迎えた。

続く⬇️

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