きっと忘れられない年になる〜家族離れ元年〜

新年あけましておめでとうございます。まりかなです。

今年は昨年以上にコンスタントに投稿ができるように頑張りたいと思います。皆様、今年もよろしくお願いします。


さて、皆さんはどのような年越しをされたでしょうか。私は人生ではじめて『家族と過ごさない年越し』を経験しました。

毎年家族と過ごしていた年越し

祖父が(今年ではありませんが)年末に亡くなったこともあり、年末は帰省するのが当たり前のルーティンになっていました。母は今年も帰ってくるものと考えていましたが、私が現在都市圏在住であることもあり、今年の年越しは実家に戻らずに過ごすことにしました。

とはいえ、何か特別な年越しをしていたかといえば特にそういう訳ではありません。ちょっといつもよりも美味しいご飯を食べて、テレビを見ながら年越しまではいつも早く寝る家族も起きていて「あけましておめでとう」と言う。たったそれだけのことですが、私は家族とはそんな時間を共有できることに満足していました。

友達と過ごすはじめての年越し

帰省を取りやめた今年。もともとは好きな動画配信者の年越し配信を見ながらしっぽりと年を越す予定だったのですが、中学時代の友人のひと言で電話をつなぎながら年を越すことに。結局12時間耐久電話大会をして年を越しました。10年来の友人たちとの年越しは想定以上に楽しくて、あっという間に新年を迎えてしまいました。

これまでは実家に帰っていても「夜は寒い」「ジャ○ーズのカウントダウン見るしなあ」などいろいろと理由をつけ、年越しに友達と会うのは避けていました。しかしその理由はひとつだけ。家族と過ごすべき、という私の固定概念があったからです。今となれば「もっと早くみんなと過ごすべきだった」と思うのですが、昨年までの私には強い家族への執着がありました。

そもそもなぜ家族にこだわってきたのか

今どきこんな古い考え方をする20代は少ないのかもしれませんが、私は血のつながりのある家族に異常な執着があった気がします。父方の親戚が少なく、母方の親戚は遠方に住んでいることもあり、親戚一同で過ごすことはほとんどなかった幼少期。親戚との距離が一般的な家庭より遠いからこそ、父と母、そして弟の家族は大切にして、できる限りイベントは一緒に過ごしたい、といつも思っていました。

一方で親友と呼べる友達をつくることができなかった学生時代。友達と過ごさない免罪符にもしていたのかもしれません。私にとって家族は大切なものである一方、言い訳にもなっていたのだと思います。

家族の在り方を見直すきっかけ

家族に執着している私は『与えられるだけ与える』ことをする一方で、同じだけの絆を家族に求めていました(某鬼の下五を思い出しますね)。家族が私のイベントを大切にしてくれるのも当然だし、私が泣いていたら一番に私の心配をしてくれるはず。描いていた家族像に家族を押し込めて、違う動きをする家族には不満を抱くこともありました。

しかし昨年、新卒で入社した会社を早期退職するにあたり、自分がいかに家族に対して幻想を抱いていたのか、期待値を上げすぎてしまっていたのかを実感しました。期待している言葉はまず返ってこない。1を話して10を理解してもらおうなんて到底無理だ。そう考えるようになったのです。

幸い、期待することと同時に不安視することも起きないのですが、離れて暮らしている分、うまくコミュニケーションが取れないことにどちらかというとストレスを感じるようになりました。だから今年はコロナを盾に、家族との当たり前から一歩退こうと決意をしたのです。

きっと忘れられない年になる

今年は私にとって『家族離れ元年』です。これまで家族に期待してきたものを取り払って、一他人として距離を置いてみる。そうしたら家族も友人も、今はまだ知り合っていない誰かとも、もっと違う目線から仲良くなれる気がしています。

まだまだ新型コロナウイルスの脅威が止まない2021年。私もやっと変わる決意ができました。変化を恐れない年に。もちろん変わらない大切なものはなくさないよう、握りしめて。去年よりももっと幸せな一年になりますように。


まりかな

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