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ひきこもり日記*黒い車の混乱

車を買い替えた。
所有するのは夫だが、車を選ぶのはわたしだ。
状態のいい中古車を探してもらっていたら、黒い車を買うことになった。
色にこだわりがないものの、黒の車にあまりいい印象がない。

「黒の車は初めてだね」
「え?前に乗ってたじゃん。子どもたちがくろちゃんって呼んでた○○」
夫が答えた。

わたしは全く、少しの疑いもなく、黒い車に乗った覚えがなかった。
夫が勝手に単身赴任中、車をリースでもしていたのかと気分が悪くなっていた。
でもムスメに「ウチの車が黒だったときのこと覚えてる?」と聞いてみた。
即答だった。「覚えている」と。

どうして私の中から、黒の車の記憶が消えたのだろう。
車は大きい買い物だ。存在すら忘れるなんて有り得るのか?

掘り下げて代々の車のことを考えた。
結婚してすぐの白の車、双子が生まれて大きめの車に買い替えた時のこと、夫が見に行ったと思ったら買い替えてきたあの車……。
今、乗っているのは20年ペーパードライバーだったわたしが運転するために買った軽自動車。この車しか好きになった車がないことにびっくりして、そしてぼんやりと思い出した。ああ、黒い車、乗ってたわ。

わたしはどんな思い込みをかかえている?
大きな存在さえ消滅してしまう自分本位の記憶の書き換えは、ほかにもあるのだろうか?

数々のじぶんの失敗。それを人のせいにしたり、責めてみたり、逃げたりしてきた。でも、もしかして、わたしは愛されてきたのか?
それに気づかず「自分はダメな人間で愛される資格なんてありません」と、差し伸べられた手を自ら拒否して、消滅させてこなかったか?

誰かに認められようとか、ほめられたいとか、役に立ちたいとか、そんな承認欲求たちをひとかたまりにして、「わたしには何もない」という思い込みを大きくさせてきたのかもしれない。

じぶんの外側を変えて現実創造はできないと思ってる。
承認欲求は自然にわいてくる感情だけど、消してしまうのではなく、認めて付き合うしかないんだなと、ボケた頭で考えた。

消してしまった記憶は必要がないから消えたのだと思う。
拒否しないで受け入れていこう。
だって過去にわたしは黒い車に乗っていたことがあるのだから。




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