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ひきこもり日記*あたりまえは当たり前じゃない

PCの容姿調子が悪い。これタイプミスじゃなく、がちで変な動きをしてここまで書くのにかかった時間、約5分。これでも調子がいい方だ。
このimac買って約10年。よく働いてくれていたと思う。
最近はChromeの開いたタブをそのまま保存してくれる機能を使って、何十個もタブを開いたままで、いろんな人のnoteや、気になる動画や本や映画の考察を見ていた。まるでタブを閉じてしまうと永遠に会えなくなってしまうように感じながら、PCを開くとそこにいてくれた。

わたしは捨てられない女だ。
本も捨てられない。特に小説は読み返したりしないのに、付箋をつけたまま本棚にも入らなくなった本たちが積まれている。
AmazonのKindle Unlimitedなんて、どうしても読んだ本を返却したくなくて、自由枠を何個か保ちそこに新しい本を入れて読んでるが、それでもまた読みたいと返却できなくて窮屈な思いをしてる。

PCもたぶんいろんなゴミが積もって動きが悪くなってきたのだろう。何を捨てて何を持っておくのか。それって生き方や考え方と通じるものがあるなと思う。

あたりまえにそこにあるものが、調子が悪くなって初めて、あたりまえは実はありがたいことなんだと気付かされる。
こうやって言葉にできていることが、ありがたいことだと感謝する。

書くのがストレスになり、昨日も今日もやめようと思ったら、ちょっと楽だと思う反面、書きたいと思う気持ちもむくむくと湧き上がってくる。

こころの中のどんな感情を取り出してカタチにするのか。
記録にして残すのか。
コトバにして残すとそれはわたしだけのものではなくなる。
誰かに伝わっても伝わらなくても、書いたとたんわたしの手を離れて、あたりまえのようにわたしの本の1ページとして残るようなそんな気分になる。

それは誰かの言葉にふれたときも同じだ。
書いてくれたおかげで、わたしの1ページにそれが刻まれる。
「ああ、わかる」
「すばらしい」
「泣ける」
「ありがとう」
そんな思いで創作大賞の中間発表を読み込む。

あたりまえは、あたりまえじゃない。
そこにあるのは誰かの思いだ。
大事にして、またわたしもなにかを残していく。




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