ゲレーロ・マヤJr.公式YouTubeが爆誕したので翻訳した

ゲレーロ・マヤJr.が満を持して公式YouTubeチャンネルを開設した。しかも全編スペイン語だ。まったく分からない。

いや、正直なところ分かる(5回聞けば)。そんなわけで10分の番組をおおかた1時間ほどかけて翻訳し、さらに3時間かけてこの記事を書いた。いったい何のために、などと考える冷静さは幸いながら持ち合わせていない。人生は行きあたりばったりだ!

■ゲレーロ・マヤJr.誕生前夜

ゲレーロ・マヤJr.とは、メキシコのプロレス団体CMLLで活躍する有名ルチャドール。新日本プロレス主催の「FANTASTICA MANIA(※)」にも過去2度参戦しており、2020年1月の参戦時には、こなれた日本語でのツイートを連発したうえ後楽園ホールでは和装で入場。その親日家ぶりに、日本のファンにも馴染みの深い選手となっている。

※メキシコのプロレス「ルチャリブレ」をテーマにした大会で、CMLLから20人ほどの選手を招聘し、毎年1月に国内数カ所でツアーを行なっている。本場メキシコのルチャリブレが観られるとあり、会場によってはチケット獲得が困難なほどの人気。

スピード感のあるルチャが全盛の昨今にあって、ゲレーロ・マヤJr.はクラシックなスタイルを継承する稀有な存在だ。ゆったりとした動きながら、堂々たる体躯から放たれる技はズシンと相手を破壊する。そしてマントが似合う選手権ではナンバーワン(当社比)。

そんなゲレーロ・マヤJr.がいかにして誕生したのかが、本人の談により明らかにされていく。

「私がスポーツを始めたのは6歳のとき。地元のチームでアメフトを始め、そのあとはIPNのチームでも続けました」

「IPN」とはメキシコの公立大学の一つ。そう、彼は珍しい大卒ルチャドールなのだ。

「ルチャリブレを始めたのは14歳。でももっと小さな頃から熱狂的なファンで、それこそ5、6歳からアレナコリセオやピスタ・レボルシオン、アレナメヒコに観に行っては、いつかすごいルチャドールになることを夢見ていました。ピエロー(Pierroth)やフエルサ・ゲレーラ(Fuerza Guerrera)のような偉大な選手を知るにつれ、この素晴らしい競技にどんどん魅了されていきました。

最初に師事したのはルイス・ゴンサレス・ミランダ(Luis Gonzalez Miranda)。”エル・レオ(El Reo)”と呼ばれた選手で、彼にルチャリブレの基礎を教わりました。その教えは今でもリング上で自分を守ってくれています」

ほかにもソラール(Solar)、エル・ダンディ(El Dandy)、ブラック・テリー(Black Terry)など様々な選手に教わったそうで「もしルチャドールになりたいなら、偉大な師のもとで真のルチャを学ぶべき」と語る。その師匠たちのもとで、伝統的でなおかつ強い戦い方を追求してきたそう。

続けて語られるのはデビューの経緯。「すべてのルチャドールがそうするように、大きな到達点に辿り着く前に、リング上でどう自分なりの戦いをするかを探るプロセスが、私にもあった」と話すとおり、彼は以前に2つのリングネームを使っており、まずは2004年2月に「サンバ(Samba)」という名でデビューしている。

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