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書きたいことは自分でつかむ

去年noteの連続投稿が途絶えてから、何か書きたいことが思いついたとき、もしくは俗に言う”降りてきた”ときに、書いていけばいっかーと思っていた。書くことは嫌いじゃないし、何かしら書くことは思いつくだろうと。

しかし蓋を開けたらどうだろう。

書けない。

というか、

書かない。

人は、というか私は、

「書く」

という覚悟を持って初めて、

「書きたいこと」

が生まれ、そして何を書くかは、

「自分でつかみに行くしかない」

という結論に至った。

「思いついたら書こう」は「書かない」を意味している。
それはまるで、
「心臓が動いているから生きよう」は「死んでる」を意味している。

いやこの例え違うけど。

ただ、書き手にとっては、書くことへ対する意識の大切さは「生死」と同じくらい重要なファクターである。当たり前なんだろうけど、連続投稿を止めてみて改めて気付いたというわけだ。

これは、書きたいことだけでなく、やりたいこと、食べたいもの、会いたい人、すべてにおいて、当てはまる。

つかみに行く。

確かにここ数年は、つかみに行きにくい状況ではあった。
「行く」ことが躊躇われ、「止まる」「留まる」「受け入れる」を強いられた。だけど、もうすぐ春が来る。暖かくなると同時に、今まで固まっていた心は解けていくだろう。もちろんすぐには元通りにならない。きっと元のそれに戻るにはもっと長い時間がかかる。それでも、少しずつ、少しずつ、つかみに行きたい。

つまり、もっと書くってこと。

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