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【2021/4/18】怒りの尊さ

わたしは「怒り」にとても興味がある。これまでもnoteで書いてきたテーマである。

人はなぜ怒るのか?

「怒る」行為なんて”ある”より”ない”方が絶対にいい。もちろんその「怒り」の対象が他人なのか知人なのか友人なのか恋人なのか家族なのか、関係性によっても変わってくるのだろうけど、わたしにとって「怒る」という行為は自分自身が理解できていないからこそ、とてつもなく興味深いものなのである。

よく「腹を立てる」ことはある。でもそれは「怒る」とはニュアンスが少し違う。たぶんわたしは基本的には怒らない(周りは怒っていると思っているかもしれないけど)。クールとかドライとか冷血とか人でなしとか言われるだろうが、誰かに対して「怒る」よりも「諦めて」しまうタイプの人間だ。

怒る理由はいろいろある。

①相手への期待
変わってほしい、間違いに気付いてほしい、もっと成長してほしい、という類の、「相手のためを思って」怒るパターン

②自分の常識の範囲外
普通ならこうするよね、わたしだったらああするのに、常識的考えられない、という類の「受け入れられない」怒りパターン。

③ただの不機嫌
まぁほとんどがこれなんだろう。これがベースにあっての、”なにがしか”なんだろう。恋人とケンカしたとか、天気が悪いとか、肩が凝ってるとか、そういう些細な不機嫌の上に、自分の思い描くカタチが形成されなくて怒りになってる。

わたしが怒らないのは、基本的には相手に期待しないし、自分の常識はあれど違う常識があっても受け入れるスタンスだからだ。しかし、ハナからそうだったわけじゃない。これまで生きてきて、色んな人を見て、接して、時に怒り狂い、ケンカして、縁が切れて、失って、を繰り返す中で今の精神領域を得た。それが偉いとも思わないし、正しいとも思わない。わたしはそういうタイプだっただけ。

だから不謹慎かもしれないけれど、怒っている人を見るのが楽しい。とても好きなのだ。

あぁこの人は諦めていない。
あぁこの人はなんてエネルギッシュなんだ。
あぁこの人は全力で人と向き合っている。
あぁこの人すっげー八つ当たりしてる。すげー。

とにかくニヤニヤしてしまう。決してバカにしているのではない。羨ましくて、眩しいのだ。向き合わなければ楽なのに。ハイハイって流してしまえば終わるのに。それを見過ごせない良い意味の”しつこさ”を兼ね備えてる。

だから誰かに怒ってもらった時は本当に有難いと思う。内容によってはもちろんムカつく。なんやねんって思う。それでも、その声に耳を傾けて、ちゃんと向き合えば、きっと何かを得られる。

怒りは尊い。

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