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自粛生活note 2020/5/11

今日はとっても天気のいい一日。朝から洗濯をして、スムージー作って飲んで、今の日常を満喫する。こんな生活は自粛期間だけじゃなくて、これからもずっと続けていくといい。

家の近所を散歩すると、これまで気付かなかった建物やお店に気付く。

(よく言えば)レトロなアパート。有名人が住んでいそうな豪邸のような家。これから建設される豪邸(土地の広さ的に、多分)。そう、わたしが住むエリアは住宅地である。人の家を見るのは楽しい。表札の名前を読むのも、その造りを見るのも、停めてある車をチェックするのも。どんな人が住んでいるのか想像しながら、勝手な妄想を膨らませることが出来る。

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美味しそうなパン屋さん、ロックな古着を扱っていそうな洋服屋さん。学生が好きそうなラーメン屋さん。この街にいつまで住むかは分からないけど、一生入ることのない店は多いと思う。逆に、まぁまぁな頻度で通うお店も出て来ると思う。インスピレーションなのか、縁なのか・・・だけどできるだけ近所のお店には入ってみたいとも思う。

家の近くにある公園まで行くと、たくさんの人がランニングしていた。運動が制限された環境においては、とりあえず皆”走り出す”と言うことがこの自粛期間の中で判明している。ウエアを見ると、その人のランニング熟練度は一目瞭然(わたしも走っている身として...)。綿のTシャツに、サイドにラインの入った長いジャージ、ランニング用じゃない白のシューズ、のような。

だから悪いと言っているのではなくて、そういうランニング初心者たちも、健康のためという前提はあるとしても、「何かしないと!」と焦らせる要素を生み出すのがこの自粛期間なのだ。普段は特別な運動をしていないにも関わらず「在宅・リモート・ステイホーム・自粛」などのワードによって「運動しなきゃ!」の精神に火を付けられるのであろう。通勤してオフィスで働いていても、そこまで運動量なくない?とわたしは思ってしまう。

この自粛期間に、ひとりひとりの中に、そして日本に、世界に、これまでとは違う感覚が芽生えているのは間違いない。人との距離感、仕事との向き合い方、食べ物、ライフスタイル、家族との繋がり・・・つまり、人生そのものを考え直している。「”直して”いる」のではなく、本当の意味で「考え”始めて”いる」のかもしれない。今までは考える必要はなかった、考える余裕がなかった、だけど今はそうじゃない。規制が解除されたとき、ひとりの人間として何を大切に生きていくのか、決断を下さないといけない時が来る。

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なーんて、深いことを考えながら散歩なんてしてない。ただ、池と木々と空はキレイだなぁと思っていただけ。

トップ画像:散歩中にいた猫。
頭の部分だけ黒いから帽子被っているようにも見えたし、人間みたいな髪があるようにも見えた。猫は逞しい。猫は自由。猫はかわいい。

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