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自粛生活note 2020/4/20

毎日時間がある。ある時間をどう過ごすかが日々の課題。勉強したり、本を読んだり、料理の腕を磨いたり、自分のスキルを上げることに使えれば、それはそれは有意義であろう。しかし、必ずしもそうは出来ないのが人間。有名トレーナーのトレーニング動画を見ながら一緒に運動しただの、オンライン会議で斬新な意見が出ただの、自粛生活下においてもリア充している人たちのSNSに押しつぶされそうになっている人も多いかもしれない。自粛の中に意味を見つけて活動できる人と、そうでない人がいる。そうでない人も決して恥じることはない。だらだらとスマホやテレビやYouTubeを見ても、何ら問題ない。それでいいのだ。それが外出自粛なのだから。

わたしはこうやってnoteをつけることで唯一の自己肯定を得られている。たいした内容でなくても、文字を記す、残すことでノルマを達成している感がある。他と言えば、だらだらしている。脚本や小説のために、ドラマや映画を見て勉強しているというと聞こえはいいが、果たして勉強になっているのか…。新たに何かを生み出すというのは、インプットがあって初めて成り立つものであるのは間違いないが、それが映像を浴びることとはイコールではない気がする。もちろん、必要な要素ではあるけども。

今日から見始めたものがある。今、流行りの「鬼滅の刃」である。どこもかしこもでオススメされ、世間的には遅すぎるくらいかもしれない。驚いたのは冒頭のタイトルが「残酷」、そして内容も想像以上の残酷であった。あれほどインパクトのある、しかも残虐な物語のスタートは、ましてアニメでは、なかなかないような気がする。鬼滅の刃を見て「あぁなるほど。最低最悪からのスタートというのはこうも観客を惹きつけるのだな」と感じた。もちろん好き嫌いはあるかもしれないけれど。それから協力者や仲間をつくりながら、主人公が敵を倒しながら成長し強くなる、いわゆるヒーローもののストーリー展開なのだが(まだ途中)、とても楽しい。1話20分程度なのも丁度良い。あと個人的には禰豆子が可愛らしくて気に入っている。そうやってお気に入りのキャラクターを見つけながら、一緒に旅しているような気分になれる漫画やアニメの世界観はよくあるけれど、ここまで鬼滅の刃が流行っている理由を鑑賞しながら探してみようと思う。

何を見る(読む)かも大切だが、そこから何を得るかがもっと大切。

トップ画像は友人が毎年誕生日プレゼントでくれるキノコ型の容器に入ったカファレルのチョコレート。麻利央(マリオ)が1UPできるようにとの願いを込めて。しかしこの自粛で1UPでなく、1キロUPしそうである。1キロで済めばいいけれども。。。

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