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鑑賞ログ数珠つなぎ「三つ編み」

ある作品を観たら、次はその脚本家や監督、役者の関わった別の作品を観たみたくなるものである。まるで数珠つなぎのように。
前回:舞台「劇団東京乾電池 夏の豪華二本立て公演」

https://note.com/marioshoten/n/n3b69a93cd248

数珠つなぎ経緯

フェミニズムとか、女性の権利とか、頭で分かっていてもその実態をきちんと把握できているかといえば、おそらくNO。自分が女性ということで、周りから受ける言葉に疑問を感じたこともあるけれど、そういうものだと思って生きてきた節がある。それは実際に何か大きな差別や侮辱を受けたことがないというのもある。

ただ、自分が経験していないからといって、他の女性のことなどどうでもいいとは思わない。自分なりのやり方で、何かしらの表現ができたらとは常に思っている。

それに創作に関わる者として、避けては通れない問題でもある。より深く理解し、多面的に考え、すべてを固定化させないことが大事だと考える。フェミニズムとはこういうものだ、女性も社会進出すべきだ、それは男尊女卑だ、などと言った思想や訴えは、ある別の方面から見た場合、受け入れられないこともあり、どちらが正しいなど基本的にはない。「べき」論は取り扱い注意である。

学ばないとなぁと図書館に行って、女性学、フェミニズム、女性史、ジェンダーなど読み漁ってみる。頭では大方理解できる。だが実感は薄い。わたしも掠った程度の経験はあれど、想像以上のツラく悲しく苦しい思いをしている人はたくさんいて、立ちはだかる現実がある。複雑な迷路の壁のような。

そうやって色々調べている時に、この本の情報を得た。作者はレティシア・コロンバニというフランス人女性。肩書が、小説家、映画監督、脚本家、女優という点もとても興味を持った。

フランスはジェンダーやフェミニズムに対する考えが先進国の中でも進んでいて、「国ごとの男女格差を数値化したもの」であるジェンダー・ギャップ指数(2021)は16位と上位。日本は156か国中120位である。

何か、日本人が表現するものと違う概念に出会えるような気がして、とにかく導かれるように、その本をポチっとしていた。

あらすじ

3つの大陸、3人の女性、3通りの人生。
唯一重なるのは、自分の意志を貫く勇気。

インド。不可触民のスミタは、娘を学校に通わせ、
悲惨な生活から抜け出せるよう力を尽くしたが、
その願いは断ち切られる。
イタリア。家族経営の毛髪加工会社で働くジュリアは
父の事故を機に、倒産寸前の会社をまかされる。
お金持ちとの望まぬ結婚が解決策だと母は言うが……。
カナダ。シングルマザーの弁護士サラは
女性初のトップの座を目前にして、癌の告知を受ける。
それを知った同僚たちの態度は様変わりし……。

3人が運命と闘うことを選んだとき、
美しい髪をたどって
つながるはずのない物語が交差する。

スミタ/インド

あらすじにあるように、インド、イタリア、カナダで暮らす3人の女性が主人公で、それぞれの人生を追っていくところから物語は始まる。

ちょっとした旅行気分を味わっている感覚。実際に行ったことがない土地ではあるが、自分の持っている映像や写真のイメージと合体させれば、容易に風景が描けた。

…とはいえ、この物語は土地の美しさだけを表現するものではない。

インドのスミタは、不可触民(ダリット)と呼ばれるカーストに属さないヒンドゥー社会の中でも最下層階級とされる被差別民である。

カースト制度は知っていたが、不可触民については無知だった。そしてその信じがたい実態が今も続いていることに驚きを隠せなかった。ダリットを守る法律はあれど、中身が伴っていない。暴行や殺人を行った上位カーストに対して相応の実刑が下されていない。信じられないが、事実である。

この物語のスミタの暮らしだって、ネズミやかたつむりを食べ、糞尿処理が仕事で、身分の高い人と話すことも目を合わせることも許されていない。

そんな状況でも愛する娘のために死の覚悟を持って、自分の境遇からの脱出に挑んでいくのである。胸が締め付けられた。生まれた土地や環境によって、こうも人生が違うのかと。〇〇ガチャという表現が流行っていて、おそらく国ガチャになるんだろうけど、そんな表現で済ませていいのかと意気消沈してしまった。

何の力もないけれど、現実を知ることだけでも、きっと違うはずだから。

イタリア/ジュリア

女性であることの困難は確かにあるが、その困難は必ずしも男性によってもたらされるものではない。時に女性が女性の壁となり、もちろん男性も壁になる。そして自分も誰かの壁になっていることもある。

イタリアのジュリアは、倒産寸前の会社を父の代わりに立て直そうと奔走し、画期的なアイデアを提案するが、強く否定するのは、伝統を守り、現状を維持したい母と姉妹である。どちらも間違いではないし、ただ会社を守りたいという思いが根底にある。

親がわたしに「結婚して子供を産んで幸せになってほしい」と願うのと似たところがある。「幸せ」の概念は親子や家族であってもそれぞれ。だけど自分が思う幸せを身内に望むことは悪ではない。だからみんな悩む。話し合ったり歩み寄ったりしながら、お互いを理解するしか方法はない。

サラ/カナダ

カナダのサラは絵に描いたようなキャリアウーマン。勤める弁護士事務所で出世するために、出産すら会社に内緒にし、プライベート返上で戦ってきた。ベビーシッターを雇ってはいるが、母としても子供に寂しい思いをさせないように努力している(この部分に関しては詳細な描写がなかったけれど)。だが彼女はガン宣告を受け、それを機にキャリアが崩壊していく。

病気によるキャリア形成の難しさは男女問わずあるだろうとは思う。だが女性であることが追い打ちをかけることは多いかもしれない。そしてその時に、女性が敵になることもあるのである。いや違う。女性だから、男性だから敵になったのではなく、人間だから、そうなったのだ。

人間は弱いから、自分より困っていたり弱っていたりする人を見ると、助けたい気持ち同時に、自分が優位であることを認識し、自分がその対象ではなかったことに安心する。

そう気づいた時、フェミニズムは、女性だから許される、守られる、思想ではないのだと思った。男であっても女であっても、自分を大切にし、相手を思いやる心を意識して持たなければならないと。

三つ編みの謎

物語の終盤で、この3人の女性が一気につながっていく。震えるほどに心揺さぶられ、気持ちいいほどに鮮やかに。
それは実質的なつながりではなく、読者だけが知り得る、つながり。

ある歌詞を思い出した。

僕のした単純作業が この世界を回り回って
まだ出会ったことのない人の 笑い声を作っていく

Mr.Children「彩り」

きっとそういうことなのだろう。
自分の仕事は、行動は、人生は、何の意味があるんだろう。
そう思うことがある。割と頻繁にある。

でも、この歌詞のように思える日がくるように懸命に生きていたい。

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