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鑑賞ログ数珠つなぎ「殺人の追憶」

ある作品を観たら、次はその脚本家や監督、役者の関わった別の作品を観たみたくなるものである。まるで数珠つなぎのように。
前回:舞台「ランボルギーニに乗って」

https://note.com/marioshoten/n/n3c9b1db4f381

数珠つなぎ経緯

今回は、前々回に書いた「さがす」と繋がっている。「さがす」の片山慎三監督は、この『殺人の追憶』はもちろん、最近では「パラサイト」でも脚光を浴びたポン・ジュノ監督の助監督をしていた経歴がある。

あと、主演のソン・ガンホさんの作品が見てみたかったのもある。それこそ「パラサイト」しか見たことがなかったからだ。

いつものごとく、詳細はあまり調べず、”連続殺人犯をテーマにした刑事もの”、くらいの情報で見始めた。

あらすじ

1986年、ソウル近郊の農村で若い女性の無残な死体が発見された。その後も同じ手口の殺人事件が相次いで発生。地元の刑事パク・トゥマン、ソウル市警から派遣されたソ・テユン刑事らが事件に挑むが、性格も捜査方法も違う2人は衝突を繰り返す。捜査が難航する中、ラジオから“憂欝な手紙”という曲が流れた時に殺人が起こることが判明。リクエスト葉書からパク・ヒョンギュという青年を容疑者として割り出すのだが…。

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(ネタバレあり)デジャヴ?

1980年代に韓国で実際におきた華城連続殺人事件を題材にした作品で、最初からエグ目の死体を見ることになる。被害者は全て女性、ほとんどのケースが強姦され、手を縛られたり、傷付けられたりしており、いわゆるサイコパスによる犯行と思われる。

田舎町ということもあってか捜査環境も、刑事たちの捜査方法も、ひどい。そのひどい刑事トゥマンをソン・ガンホが演じているが、嫌いになっちゃいそうなくらい。その正反対の役どころとして出てくるのがソウルからやってきた刑事テユン。彼は物静かに彼らの捜査を眺めつつ、独自の方法で事件を暴いていく。

障害を持つ青年が容疑者に挙がってからは、証拠の捏造、暴力による自白強要など、平然とやってのける。昔はこんな感じだったのか?と思うと、冤罪なんてものはゴロゴロあったのではないかと思えてならない。というか、この事件も実際に冤罪で刑務所に入っていた方がいたという。

物語の後半、その容疑者となっていた障害を持つ青年が、疑いが晴れた後に証拠を握っていると分かり、刑事から色々と聞かれた際にパニックになり、線路に飛び出し死んでしまうシーンがある。

このシーンを見たときに、ふと、デジャヴのような感覚になった。

それは、以前見た韓国ドラマ「カプトンイ」だった。

同じように障害のある人が容疑をかけられ、パニックになって電車に轢かれて死んでしまうシーンがある。そしてサイコパスによる女性連続殺人を扱った作品だ。

似てるなぁ…

そりゃ当たり前だ。

同じ、華城連続殺人事件を題材にしている(後で分かった)。
…となると犯人は…??
カプトンイでの犯人は分かっているが、殺人の追憶でも同じポジションの人がそうなのか??

(ネタバレあり)迷宮への覚悟

最後、犯人と思われる青年を見つけ出す。取り調べを受け、もちろん暴行も受けるが、否認する。青年は観察下に置かれていたが、テユンが少し目を離した隙に次の事件が起こってしまう。しかもテユンと交友のあった女子高生であった。
ずっと冷静だったテユン刑事も感情的になってしまい、青年をトンネルまで連れ出し殴打する。そこへ現場に残された精液のDNA鑑定の結果をトゥマンが届ける。決定的な証拠を突き付けようとしたが、結果は不一致。さらに逆上したテユンは見境なく発砲するも、青年はトンネルの向こうへ逃げていく。

トンネルと、電車と、雨。息をのむ壮絶なラストシーン。


―――じゃあ犯人は誰?


放送時間はわずか。ここからどうやって犯人を暴くのよ?
勝手に慌てていると、エピローグが始まる。

数年後。
テヨンは刑事を辞め、営業マンになっていた。ふと畑に車を停め、最初の事件現場に立ち寄り、死体が発見された水路をのぞき込む。

そこには何もなく、顔を上げると、女の子が見つめていて、「この前も覗いていたおじさんがいた」と言う。顔つきが変わるテユン。女の子にどんな顔だったか尋ねると

「よくある普通の顔」

と答える。


あーーーーー。

そういうことか。

殺人犯は生きていて、潜んでいて、いつまた現れるか分からない。
そういう、本当の恐怖を脳天にぶち込まれた気がした。


とは言っても犯人分からないラストはあまり見た経験がなくて、消化不良なところもあったので、考察など漁り読んだ。

実際、この映画が公開された時はまだ犯人は捕まっておらず、事件の模倣犯とされた人が逮捕されていた(冤罪)。だが、2019年に別件で服役中だった人物がのちのDNA鑑定により犯人と断定され、本人も認め自供した。それによって、当時この作品が再び注目を集めたらしい。

ポン・ジュノ監督は、犯人を敢えてつくらなかった。
特定の事件をモチーフにしていても、真実で固める必要はない。ほとんどの実話ベースの作品がエッセンスだけを使って、独自の物語を成立させる。だからそうなるものだろうと決め込んで見ていた。でも違った。

「犯人は見つかっていない、でも必ずどこかにいる」

それが一番強いメッセージになると考えたからだろう。事件解決の爽快感よりなにより、選んだ結論。これってすごい勇気と覚悟だと思う。

勉強させて頂きました。

次の作品

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