見出し画像

生と死

わたくしごとながら、本日2月3日は誕生日です。
面と向かっては会えなくても、たくさんの方からLINE、Facebook、Twitterなどでお祝いを頂きました。本当にありがとうございます。
30代最後の年、つまり39歳になりました。
たくさんの師匠、先輩後輩、同期同僚仲間に囲まれ、ここまで大きな病気もなく、生活にひどく困ることもなく、生きてこられました。誕生日のたびに「あぁ自分は恵まれているな、幸せだな」と感じます。
とは言え、人生の折り返しに近い年齢にもなりました。それなりに酸いも甘いも経験し、今だって自分の生き方や選んだ道をはたと考えることもあります。それでも元気で生きている。やはりこれは何物にも代えがたいプレゼントだと思わざるを得ません。

でも、うれぴー!とだけも言ってられない年齢にもなりましたし、やはりそれはもう色んな、信じられないことや、想像も出来ないことが起こる毎日で。

先日、Facebookで知り合いの方の訃報を聞きました。ヴィッセル神戸のサポーターの方です。恐らく多くのサポーターさんがご存じの方だと思います。最後にお会いしたのはいつだろう…天皇杯?いらっしゃったかな。記憶は定かではない、でも思い出しました。会うたびに「あ、まりおさん!写真撮ってください!!」って言ってくださいました。チームの始動日には炊き出しをしてくださいました。色んな思い出がたくさん蘇ってきました。

一番の出来事は、わたしが番組のパーソナリティになってすぐ、スタジアムで会ったら、わたしの幟をつくって見せて下さったこと。それはもう驚いて、嬉しくて、そしてすこし恥ずかしくてw。オフィシャルの応援番組を担当することの有難さと責任を感じた瞬間でもありました。

高校3年生の時バレーボールでプロになるか進学するか迷い、進学を選びプロを諦めたわたしは、選手として誰かに応援されることはないだろうと思っていました。パーソナリティはもちろん選手じゃないけれど、選手と同じような幟をつくって頂いて、涙が出るほど嬉しくて、諦めた夢を少しだけ叶えてもらった気がしました。あの幟は、ここでやっていくと覚悟を決めさせてもらった代物だと思います。

もちろん当時はそこまで考えていませんでした。番組を離れてそれなりに月日が経った今、あの幟は大きなターニングポイントだったと思います。時代と共にチームも変わり、携わる人も変わり、距離を取っていく人もいれば新しくやってくる人もいます。穏やかなことばかりじゃなかったし、疑問に感じることや納得できないこともあった気がします。それでも、応援するされることで繋がった縁はなかなか途切れるものではありません。今日頂いた皆さんからの誕生日メッセージでもそれを感じて、目頭が熱くなりました。

誰かを懸命に応援すること。
誰かに懸命に応援してもらうこと。

それで人生は成り立っているのかもしれない。
それで明日を生きられるのかもしれない。

生と死と。

誕生日だからこそ、書きたいなと思いました。
わたしが書くなんておこがましいとも思いましたが、ヴィッセルはわたしの原点のひとつであるから、書かせて頂きました。

山城さん、どうぞ安らかに。
あなたが振って下さった旗をわたしは忘れません。
新しい舞台でも旗を振り続けてください。

クリエイトすることを続けていくための寄付をお願いします。 投げ銭でも具体的な応援でも、どんな定義でも構いません。 それさえあれば、わたしはクリエイターとして生きていけると思います!