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【2021/10/30】正解がない

もうこれ何回も言っているが、都度そう思う。

作品に相対するたび、悲しくなる。

昨日良いと思って書いたものが、今日読んでみたらまったく色褪せていることがしょっちゅうだ。

昨日まで美しく咲いていたバラが朝には枯れているように。
昨日一晩を共にした相手が朝見たら別人だった時のように。

しかしよく考えると悲しくなる必要はない。

自分が書いた文章は(手元を離れるまでは)好きにできる。
バラや人間のように処分も処理もいらない。
誰に文句を言われることもなく、何度もやり直せる。

いやだからこそ悲しいのか。

自分で自分を評価することが。
自分を日々突き付けられることが。

悲しくても、やらなきゃいけない。

そして、作品と相対できる時間に感謝すべきである。

それに「正解がない」ことは今に始まったことじゃない。

生まれてきたときからすべてのことに正解はなくて、その中で生きてきたはずなのに、いつの間にか正解がなんであるか知っているかのような感覚になっている。

数学の問題じゃあるまいし。
漢字の書き順じゃあるまいし。

もうそれすら「解き方」とか「鉛筆の持ち方」とか言い出したら、正解はないに限りなく近い。正解はイコール大多数とか常識ではない。とは言え、ニアリーイコールなんだけれど。

大好きなお酒を断って、パソコンに向かっていることも
「脚本の書き方」的な参考書を今さら買って読んでいることも
自分の書いたセリフに感動して涙しそうになったことも

正解かどうかは分からないけれど、事実であることは間違いない。
じゃあ正解が「a」として事実が「b」であるとするなら
b=a
が成立し、数学的に考えると
a=b
も成立するはずだ。

はずなのに。どうもしっくりこない。

きっとこんな感覚を永遠に持ち続けて、それを表現していくしかないのだろう。

確か、数学だって、正解はないんでしょ。

数学者的に言わせれば、たしか。知らんけど。

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