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帰阪した話

家はないけど帰阪する

わたしの故郷は福岡。
だから、正確には帰阪というのはおかしい。
だけど10年近く住んだ土地だから、家はなくとも、「帰る」という感覚に近いものがある。

とは言え、やはり家がないせいか、会う人会う人から「なにか用事があったん?」と聞かれた。

用事。あるっちゃあるし、ないっちゃない。よく考えたら1年ほど”帰って”なかったので、「会いたい人に会う」っていうのが一番の気持ちだった。

会いたい人が多すぎて、全部は会えなかったけれど。

会社員時代の同期と会う

なぜこのタイミングだったかと言うと、新卒で入った会社の同期で集まるという話が持ち上がったから。新卒から数えると18年。わたしは3年で辞めたので退社して15年。同期もかなり辞めているので、その会社に在籍しているのは10人未満。これまでそんな話はおそらく出たことがなかったし、わたしも辞めてかなり経つので、「久しぶりに会いたいなぁ」と思った。

だけどみんな忙しい。同窓会に来れたのはわたし含め4人だけだった。お互いの近況報告と、同期メンバーの状況と、会社の状況と、話しているうちに時間はあっという間に過ぎた。それぞれ、転職したり、事業を始めたり、結婚したり、子どもができたり、大変なことがあったり、したようだ。

そりゃそうだ。時は流れている。
わたしが過ごしたのは3年だけだけど、その3年が今のわたしをつくっていると、間違いなく言える。出会った人々、取り組んだ仕事から、たくさんのことを学ばせてもらった。そしてやっぱり新卒の時の感覚で、みんなと接してしまうのが不思議(失礼もあったと思うけど)。

どうも40歳くらいになると、会社の同期、学生時代の同級生なんかと集いたくなるらしい。仕事や家庭などで、時間や予定の見通しが立ちやすくなるのだろうか(わたしはいつでも立つ)、どのコミュニティでも「一回、ちゃんと集まろうや」、そんな話が持ち上がる。

紅さんに会う

わたしが大阪の母と慕う紅壱子さん。関西演劇界の大ベテラン。
この前見た映画「さがす」に出てて、ビックリした。

去年帰阪した時にタイミングが悪くて会えなかったし、コロナもあったしで、2年は会ってないと思う。会えないとアレルギーが出そうになる。そんな人。

紅さんはミナミでお店をやっているのだけど、仕事や家庭の事情で来れない時がある。今回、1回目にお店に顔を出したときは来られなくて、2回目も遅い時間になっても来ず、わたしの中で微妙な空気が流れていた。

「また今回も会えずか……」

いつになくお客さんが入り(失礼)、盛り上がっている店内だったが、わたしの心は萎れそうになっていた。

「遅くなりましたぁ」

すると、紅さんが登場。
テンション馬鹿上がりのわたしは、いつもそんなことしないのに、紅さんに抱きついてしまった。

「いてててて」

去年肺がんの手術をして(ここ数年色々手術している)、その後遺症とやらで、胸部に触れられると痛いとのこと。手術したことも知らなかったわたしは愕然とした。「離れている」というのはそういうことだ。いくら慕っていると叫んでも、何も知らない、何もできない。だけど紅さんは手術したことなど「蚊にさされた」くらいの感覚で話す。だからこっちも必要以上に心配しない。

紅さんが他のお客さんと話しているのを見ていたら、なぜだか涙がこぼれてきた。本当になぜだろう。単純に説明すると「会えて嬉しい」なんだろうけど、複雑に考えると「帰ってきた」とやっと思えたからかもしれない。

紅さんのお店で私もお手伝いをしていた。そこでたくさん話して、悩みも相談して、怒られもして、そして、愛されていると感じていた。「帰ってきた」と思えたと同時に、「離れてしまった」とも思ったんだろう。今、書きながら気持ちを整理している。

「マリオはどこでも生きていけるやろ、心配しとらん」

そう言ってくれた。
そう言ってくれるから、頑張れる。
そう書いている今、また泣いてる。

真ん中:松竹新喜劇の泉しずかさん、右:紅さん

3児の母に会う

松竹芸能のタレントで、かつて森脇健児陸上部女子部の初期メンバーとして一緒に活動していた外田ありさと会った。会ったというか、この期間おおかた滞在していた。現在、彼女は結婚して、3児の母である。

同じく女子部のメンバー近藤綾香も集合し、ランチから一緒に過ごした。その間、ベイビーにミルクをあげて、長女と長男を保育園に迎えに行き、ご飯をつくって食べさせ、風呂に入れて、遊び相手して、寝かしつけて、でも起きるから再び寝かせて、もう、スーパーハイパーサイヤ人だ(旦那さんも協力的)。異次元の活動量。J1で言うと鳥栖くらいの走行距離になると思う(走ってないけど)。(走ってないけど)と言いつつ、リアルに合間でランニングもしてるから異常なのだ。

子育ての突破力を目の前で見ながらも、陽気な独身女は、気が向いたら子どもの相手をし、眠くなったらそこら辺に寝て、起きてまた飲んで、みたいな、夫だったら離婚されるレベルの行動をとっていたのだけど。

飲んで1回寝て、起きた後、子どもと遊ぶの図(この後また飲む)

ありさとは女子部の中で一番歳が離れているが、なぜだか一緒にいることが多い。結婚前から旦那さんも含めてよく遊んでいたし、結婚してからも子どもができてからも遠慮なく泊まりに行っていた。居心地がいいのだ、こっちが一方的に。

さすがにコロナ禍で会えない時期が長くなり、その間に子どもは3人に増えて、自称叔母としては早く会いたくてうずうずしていた。まあ正確には会うんじゃなくて、泊まるんだけど。3人の子ども(しかもベイビー)がいる家庭に数日滞在するって、冷静に考えたら異常だ。

ありさとわたしは、異常と異常で、気が合うのかもしれない。
ちなみに旦那も異常(説明は省く)。

子どもたちに叔母さんの存在を刻み付けるべく奮闘したが、おそらく次会った時には忘れ去られていると思うので、また滞在し、記憶を塗り重ねたい。本当にかわいい。

次会った時、4児の母になってたらどうしよう。
ま、いいか。

左:仮想親子、右:リアル家族

森脇さんに会う

森脇さんとは森脇健児さんである。あの、走る男の。

関西時代、本当にお世話になった。森脇さんがいなければ今のわたしはいない。これも間違いなく、言い切れる。

森脇さんにもしばらく会えていなかった。会うならラジオの生放送に行くのが手っ取り早い。毎週土曜日12時からの「サタデースタジアム」生放送前のスタジオに行き、挨拶。一緒に番組をされているシンデレラエキスプレスの渡辺さんにも会えた。

会って早々

「劇団やっとるんか?」

何が楽しいのか、ニコニコして聞いてくる。

「仕事ないやろ~」

何が嬉しいのか、ニヤニヤして聞いてくる。

これは嫌味とかじゃなくて、「(それでも)頑張ってるな!」の声かけである。「ないです~でも踏ん張ってます~!」と元気に答える。あったらあったで、「ええやん!頑張りや」とシンプルに応援してくれる。

今回、森脇さんに会いたかったのはラジオが始まったことを報告したかったのも大きい。

森脇さんのラジオ番組に出させて頂いたことがすべての始まりだし、自分の番組で森脇さんのお話もさせてもらったからだ。それに放送を見て、勉強もしたかった。

見終わって一言、「やっぱりすごい」

ここで感じたことや森脇さんに言われたことを、また自分の番組のネタにしようと思っている。だから書かない。


会いたい人にたくさん会えた

事務所の先輩かみじょうたけしさん、小川恵理子さん、大阪マネージャー陣、お世話になった御方や先輩、友達、などなど。

会ってパワーをもらえる人ばかり。

そりゃそうだ、会いたい人に会ったらパワーを得られる。

だから、会いたい人に会わないと。
昨日ラジオで星野源さんとバナナマンの日村さんも言っていた。
コロナが落ち着きつつあるというのもあるだろうけど、思って行動しないと意味がない。貪欲。目標に掲げたからには実行するのみ。

ただ、散財した面もあるので、節約しないとか。
旅行支援、大いに助かったな。

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