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自粛生活note 2020/4/26

わたしはたまにアカスリをする。百均で買ったアカスリタオルを使って、全身をこする。硬い身体を捻って捩って、手が届く可能な限りを尽くして磨きまくる。すると・・・出るわ出るわ、垢が出る。それに加えて、半年に一回くらいはスーパー銭湯へ行き、まぁまぁ高い料金を払って、韓国人のおばちゃんがやってくれるアカスリもする。おばちゃんは職人専用のアカスリタオルを使っている。それは場所によっては痛い。痛いけど、気持ちがいい。もう少しだけ欲しくなるほどに。最終的には「イッパイ出タヨ!綺麗ナッタネ」と言われ、満足して帰る。

つまり、わたしはアカスリが好きだ。「身体を磨く」ことは、物理的な、本当の意味の、「自分磨き」とも思えてくるからかもしれない。

そもそも、人が何かを「磨く」とき、常に痛みと快感を伴うことに気がついた。

例えば、歯磨き。自分で磨く分には痛いほどはやる人は少ない。だけど歯医者へ行って、歯科助手さんにクリーニングと言う名の歯磨きををやってもらったら、チクチクしたり、キーンキーンと鳴ったり、血が出たり、結構イタイ。痛みに耐えたら、歯がツルツルピカピカになる。

「芸を磨く」「技を磨く」のは、実態のないものだから並大抵のことではない。意味合いは異なるが、痛みを伴うことも多い。何度も何度も失敗して、師匠や先生や先輩に怒られたり笑われたりしながら学んで、気がついたら磨かれているものだろう。

「磨く」というのは余計なものをそぎ落としたり、表面を滑らかにするという意味があるが、芸については、余計なものが逆に必要だったり、滑らかにすりゃあいいってもんじゃないし、尖ったほうが良かったりするから厄介だ。磨き方も人それぞれで、正解がない。でも、一生磨き続けないといけない。

今、磨く時間が潤沢にある。書くこともひとつ。見る。読む。物思いにふける。遊ぶ。考える。料理する。買い物する。化粧する。どんな動作も、磨ける。どう繋げるか。生かすか。何をどう輝かせたいのか。わたしが今持っている原石は何だ。ただの石ころか。丸くするのか。鋭利にするのか。

自分磨きは終わらない。

「生活に潤いを」ということで花を活けてみた。自分磨きになっているのではないだろうか。ちなみに花瓶はボルシチの空瓶。これも含めてわたしの生け花作品。
 ちなみに、ボルシチ瓶は美味しいし、けっこう使えるのでオススメ。


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