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毛布#11 『ひとあし、ひと呼吸、ひと掃き』

6月に入り、このnoteも『毛布』と書いて「タオルケット」と呼びたくなるような季節になった。

緊急事態宣言は解除されたが、私は引き続きステイホームをしている。
人によって、この春から初夏にかけての日々は全く違ったものだったと思う。

私にとっては、春からの期間を振り返ると、結構変化が起こった。ある意味で強制的な変化だったけど、思い返すと、それはやはり僥倖だったという部分が少なからずあった。

先月、いきなり勤め先を解雇となった。

新型コロナの煽りを受けて、私だけではなく他のスタッフも。
1年半近く勤めて、あまりにも突然だったのだけど、くる時はくるのだなと思った。

解雇が決まった時、さてどうしよう、転職サイトを見るかと思ったけれど、結構ある意味特殊な精神状態だったのか、今本当にしたいこと、そして今一番アガるものはなんだろう、と思ってそれをノートに書き出した。

ものすごく天気が良い日だったのを覚えている。

書き出しながら、自分の中でこの先どうせこんな感じなんだろうな、と思っていた無意識の推定が、ハイまぼろしでした、と言わんばかりに一枚一枚剥がれて消えていくような感覚がした。

この時期に退職なんて、自分の意思どころでは絶対に決められなかったと思う。それでも、否定しがたい変化の感覚があって、ここで起こっていることはやっぱり、僥倖なのだという気がした。

そこからはありがたいことにツイートをきっかけに、詩集を知ってもらい、日々納品を行ったり、新作詩集の準備を進めたり、また別に新しいお仕事を頂いたりして、なんだかんだで忙しく過ごしていた。

忙しいといっても、それまでのように二足の草鞋を履いているようなものではない。
幸いなことに、時間はちゃんとゆっくりと流れてくれた。
立ち止まって感じること、落ち着いて考えることができるというのは本当に幸せで、これ以上の平穏はないのではないかと思う。

ちゃんと、というのは、小さい時に見ていたように、外界や自分のことを感じられるペースだったということだ。
皿を洗っている時は皿を洗っているという行為に入れたし、植物に水をやる時間は、ただ植物に水をやっていた。
何よりも、ただ絵を描いたり、ただ本を読んだりという、何かを生産するためではなく、その瞬間瞬間を生きるということができた。

もちろん、いつだって仙人のように穏やかなわけでは全くない。
結構焦ったり不安になるようなこともあった。
部屋が広くても簡単にとっ散らかるように、いくら時間があったって、心が忙しくなることは簡単だ。

そんな時、思い出したのが、ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくるベッポという道路掃除夫だった。

長い道のりを掃かなければと思うと途方もなく感じるけれど、ひと掃きひと掃きに集中していると、気がつけばいつの間にか長い道を掃き終わっている。

私はベッポが小さい頃からずっと好きで、将来はこういう人になりたいと思ってきた人物だった。ペンネームを考えた時、ベッポをもじって「別歩」としようかと思ったけど、結局あまりにもそのまま過ぎるなと思い、恥ずかしくなってやめた。
モモにも優しく、その優しさのあり方がちょうどいい、子供心に好きな優しさだった。
(今読み返すと、私の中にベッポもジジもいる)

 道路の掃除をベッポはゆっくりと、でも着実にやりました。ひとあしすすんではひと呼吸し、ひと呼吸ついては、ほうきでひと掃きします。ひとあし——ひと呼吸(いき)——ひと掃き。ひとあし——ひと呼吸(いき)——ひと掃き。ときどきちょっと足をとめて、まえのほうをぼんやりながめながら考えこむ。それからまたすすみます——ひとあし、ひと呼吸(いき)、ひと掃き——————
 よごれた道路を目のまえに、きれいになった道路をうしろにして、こうしてすすんでいるあいだに、とても意味ぶかい考えが心にうかんでくることがよくありました。でもそれは、思いかえせばほのかによみがえってくるなにかのかおりとか、夢で見た色とかのように、人に説明することのできない、ことばで表現することのできない考えでした。
『モモ』(岩波書店)p.52

たくさんやることがあって、家にいて時間があるはずなのにパニックになりそうな時は、ベッポのようにひと掃き、ひと掃き、とやっていた。
そうすると確かに、あれだけ積み上がっているように見えたタスクは、そのうち片付いていた。

タスクだけではなくて、不安や焦りという感情が浮かび上がってきたら、それを一つ一つ掃いた。
その都度、その都度。
本当にホウキで掃くような感覚で過ごしていた。

私のステイホームの間に流れている時間は、こんな感覚の時間だった。

私にとっては、「今こんな時だからこそやれること」だったのは、真に何もしないことだった。
それは何もせず行動ではなくて、どっちかというと瞑想とかに近い、一旦全てを空っぽにすること。
一歩進んで、一息ついて、一歩掃くこと。

面白いのが、ひと掃きひと掃きするごとに、物事は鮮明になり、一瞬一瞬の存在感(自分が存在してる感)は増した。風は気持ちいいし、自分で作るご飯は適当だが悪くなく、基本美味しい。コーヒーも美味しい。かんたんで、ささやかな愛。

こうやって書いていると、危ない精神状態の人みたいに見えるかもしれないなと思うけれど、実際に穏やかで静かな時間を過ごしている。

夜、電話で話していて、
「今、飛行機代を出してあげるからモルディブに行っていいよと言われたら、今は部屋でいいかなと答えるくらいに、部屋が心地よい場所になっている」という話が自分から出てきて少し驚いた。

だけど、思い返すと、そういう感覚は結構、実家にいた頃や、イギリスに住んでいた時は、日常的にあったと思う。

実家の祖母がよく、田んぼから上がってくる水気のある風を感じて、まあ気持ちいい風、と心底気持ちよさそうな顔をしていた。

向かいの山が綺麗だとか、なんて日当たりがいい、とか、祖母は本当に物事を褒めるのが上手というか、物事の美徳を見つけるのがうまかったし、それを何も惜しむことなくやっていた。

風が気持ちいいね、とか、見て、空が綺麗だねとかを、本当に完全な役者のように感動していうから、私も一緒にいて、わぁっと楽しくなったし、今思えば、絶対的な安心感や、すべて安全に満たされているような、替えがたい小さな全能感があった。

小さい頃、そういうものと共に育ったと思うし、私が祖母から学んだものは、そういう、人が絶対に忘れられないもの——泳ぎ方や自転車の乗り方みたいな——だった気がする。

今では、家の観葉植物だったり、窓から見える空の色の移り変わりなどにも感嘆・詠嘆している。こりゃ一句読みたいですなあ、とか、絵に描きたいですなあ、とか、とりあえず写真撮っとくか!みたいな、何か筆心をそそられるような瞬間が、家の中でも生まれ始めた。

もっとも、それと同じくらい、他にも美しい光景を見にいきたいという気持ちも高まっている。今一番したいのは、旅先で知らない人と話すこと。(その時は願わくば、好きな服を着て好きな髪型で、ちょうど良くいたい。)

肉体的にもしっかりと休むことができた。
4月や5月は、寝ても寝ても、しつこい疲れを感じていた。
洗濯をして濯ぐと、ちょっとぎょっとするような汚い水が出てくるような感覚で、踏んでも踏んでも汚い水が出てくるように、寝ても寝ても疲れが出てくる。
私は人なので踏んでいけないのだけど、眠るたびにそうやって踏み洗い・揉み洗いをしているような感覚があった。
ようやく近頃、揉み洗いをしてすすいでも、綺麗な水のままになったような気がする。

それは別に、一日に八時間眠ったら体調が良くなりました、とかそういうノウハウがあったわけではなくて、どちらかというと、眠いなと思った時に恐れずに眠る、起きた時に気分が良いことを感じてにっこりする、みたいな、その都度その都度自分の状態を見ながらそれに素直にいたということ、そのものな気がする。

思ったよりも深く疲れていた。
コロナの前の世界では、自分はどうしてもそのように生きていたのではないかと思う。

狭義での「社会」というものの中に狭義での「社会人」として入っていく。
それは、金属でできた構造の中に、これまた金属で入っていくような感覚があった。
金属と金属が擦れて軋むと、金属粉が出る。
金属同士が擦れないように、潤滑油を差す。
潤滑油は汚れる。そして、金属粉を含んだ黒い油汚れは、なかなか落ちない。

「社会」の中に生きていると、そういうのも全部ひっくるめてなんとかやっていっているのかもしれない。だけど、だからといって、それを平気でやれるべきだとは思わないし、違う道だってあるのではないかと思う。(もちろん、「狭義の意味で」なんて言わないで済むような、第三、第四の道だっていっぱいあると思う。)

「金属」ではなく、生身の人間としてやっていく道、社会のあり方があるのではないか。
春から初夏までの今の期間は、そんな道が見えるようになるため、そんな道があると信じるための時間だったのではないかと思うから、この春から初夏にかけて、何か自分がこれまでの生活をもう続けていけないと思うことがあったら、それに従ってみるのも悪くないんじゃないかと思う。

もし(いないかもしれないけど)変わっていくことを不安に思ったり罪悪感を感じたりしたりする人がいたとしたら、ここにこんな人もいるよ、ということを伝えたくて、こののんびりした毛布(タオルケット)を書いてみる。


\お知らせ/

『夢を描く女性たち イラスト偉人伝』(タバブックス)

石牟礼道子さんの挿画を担当させていただきました。いつものどうぶつタッチではなく、オイルパステルと水彩、デジタルで制作しています。

石牟礼道子さんのことをイラストにするというのは本当に、言葉ではなかなか言えないような経験をさせていただきました。
到底言葉にしえないこと、水俣病を発症し実際に発話が難しかった方の「言葉」、亡くなっていった方の生きてきた姿、失われた自然の声までを聴こうとし、物凄い迫力で書かれている一方でどこまでも人間的で優しい目線を、少しでも描けたらと思いながら制作しました。
その凄さをひたすら思い知りながらの制作でしたが、私の出身が大分の熊本県境なのもあって、著作の中の言葉も、祖父母の世代が話す言葉にも似ており、声がそのまま聴こえてくるようでした。
ぜひお手に取ってご覧いただけたら嬉しいです。


【フェア】Magazine Freak’s Selection vol.4
代官山蔦屋書店でのフェアで、イラスト詩集『言葉をなくしたように生きる人達へ』を、展開していただいています。フェアの場所は2号館1階とのこと。私もとても楽しみです。

少しずつまた外出をするようになる頃に、良い出会いとなれば嬉しいです。

代官山蔦屋書店2号館 1階 マガジンストリート
2020年06月02日(火) - 06月21日(日)

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