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毛布#25『額縁のミラクル・分厚い雲の裏側には』

一日一日、秋という季節が定着していく。
季節の変わり目というのはどうしてこんなに甘く、わくわくするんだろうと思う。

夜に毛布を書きながら、窓から見えた月が綺麗で、なんだか久しぶりにちゃんと月を見た気がした。
冴え冴えとしていて、秋の夜の雲がかかっていて、見事。
雲を縁取るような月の光。
完全な美しさが当たり前のようにそこにあって、でも全然当たり前ではないくらい美しくて、ドラマチックなショーを見ているみたいだった。

当たり前にそこにあって、圧倒的なもの。

オノヨーコが、空の美しさにかなうアートはあるのだろうかと書いていたけれど、空はいつも、美しいってどういうことか思い出させてくれる。
ただ、月を覆っていた雲が晴れただけで。

さて、いよいよ個展まであと1ヶ月となった。
あんまり余計な情報がない方がいいのかなと思うのだけど、面白いことがあったので書いてみる。

額縁騒動

ここしばらくずっと、展示方法について頭を悩ませていた。
今まで、額装で展示したことはほとんどなかったのだけど、今回の原画は、イラストボードに下地を塗って乾かして、その上に絵具で描いている。
パネルを使って額装せずに描くのが一番コストはかからないのだけど、どうにもうまくできなくて、原画を制作したときは一番慣れている方法にしたのだった。

これまでの苦い経験から、この方法だと額装しないと原画に傷が入りそうだなというのはわかっていた。

今回は原画展なので、描いているイメージとしては、額縁を揃えたかった。
そして、どう考えても大変今更なのだけど、額縁というのは・・・・・ちゃんとしたものが欲しいぜよとなると、決して安いものではない。

本当なら憂いなく思い切って発注して揃いの額縁に額装できればいいのだけど、いいのだけど、いいのだけど・・・・・。てんてんてん。

どれだけ探しても、予算と照らして、どうにもこれだとぴったりくるものが見つからない。
以前世界堂で探した時に買った額縁は今回は使わないつもりだった。通販で探してみても、レンタルや、手作りも検討してみたけれど色々条件が合わなかったり、どうにも難しい。
IKEA にも額縁があると知って、実際見てみないとわからないよね・・・と、行ってみて一つ買ってみるけれど、お部屋に飾るにはいいかもしれないけれど、個展に使うには・・・・・てんてんてん。
(今日はてんてんてんが多い)

寝ても覚めても「どうしよう…」と考えて色々探すけれど、焦るばかりでどうにも気が滅入る。いろんな不安と引きあったのか、だんだんネガティブな方向に気持ちがいく。
そもそもこんな、額装も満足にできないなんて、私は何をやっているのだろう……と落ち込んだ。
魂の闇夜とはよくいうけれど、魂の闇夜の雪だるまのように、汚れていてちょっと溶け気味でビチャビチャしている感じになった。

今思えばちょっと笑えるコミカルな姿なのだけど、体調が良くなかったのはこの額縁騒動もあったのかも?というくらいには、久々に落ち込んでしまっていた。

変化が起こったのは、そんな風にビチャ……としていた時に、ふとお部屋の中で掃除をした時だった。
窓を開けて、ベッドの上で服をたたんでいたら、お部屋にも私の中にも、すっと風が通るような感じがあった。

そして、気づいた。
(いや、これはちょっと暗すぎでは?)と。

もし「大丈夫」だったらどうしたい?

最近よく毛布でも書いているように、「全部“大丈夫”だったら、どうしたい?」という感覚を、すっかり忘れていたんだなと気づいた。
もし「大丈夫」なんだったら、こんな風に落ち込んでいる必要はないと思った。
そうしたら、一気に洗面器から顔を上げた時みたいに、視界が広くなって息がノーマルにしやすくなった気がした。

展示のことを書いているノートに向かって、色々書いてみる。

私にとって、良い展示とは……
絵と言葉と、その前に立つお客さんの間に生まれるものがある場所。
それが生まれるようにと向かっていけば良いのだと思い直す。

できないことばかりに気を取られて暗澹としていたけれど、今回の展示は、ずっと待ち望んでいた機会で、こんな暗い顔をしている場合じゃない。
良い場になるよう、良い展示をすることにだけ集中しよう、と思ったら気持ちが晴れて、気が楽になった。

そして、その時全く別の用件でたまたまLINEがきた友人に、何気なく聞いてみた。

「額縁のお店、どこかいいところ知らない?」

知らないなあ、と返信がくる。

まあそうだよね~どうしようかな、と思った(この時点ではだいぶ気持ちが軽くなっていた)。
そしたら、そのあとすぐに、URLが送られてきた。

見てみると、なんと、額縁のセールのお知らせだった。
日付をみると、翌日。
「タイムリーだから行ってみたら?」と送ってくれたのだった。

元々画廊にかかっていた展示作品の額縁で、廃棄するには惜しいのでというセール。
たまたま次の日休みだったので、高くて結局買えないかも…と、人を信じない犬のような目をしながらも、行ってみることにした。

結論からいうと、私は額縁を手に入れることができた。
それも、文字通り、身動きできないくらいの一揃えの。

オープンとほぼ同時に行ったのだけど、ついた時にはそこには画家やアーティストと思われる人たちが、既に夢中で額縁を箱から出しては選んでいた。私の目に留まった額縁は、その中でも一番小さなものだった。

私を待っていましたか…?と言いたくなるくらい、イメージしていたものだった。マット装をイメージして、これだと思った。
結果、お腹がいっぱいで動けなくなる間抜けなライオンのようになった。

まだ額装前なので、どんな額縁だったかは展示でのお楽しみ…なのだけど、大事に使わせてもらおうと思える額縁だった。

写真家の方が展覧会をしていた額縁のようで、ひとつ箱から取り出したら、そこにはおそらく写真家の方がタイトルを手書きで記したタグが出てきた。

そこに書いてあったのは、一言。

『光』。

ぞくっとした。

なんだか運命なものを感じたのも束の間、集荷の人が来る!ということで、そのあとは大騒ぎしながら会場のお客さん達と協力しあって梱包し、発送して、錦糸公園をのぞむ喫茶店に入って帰った。ナポリタンと迷ってチキンドリアにしたけれど大正解だった。ナポリタンでも確実に大正解だったので、どのみち大勝利だったと思う。台風がきそうな真っ暗な空の午後、風に吹かれて、マスクの下で思わず笑ってしまうくらいだった。

分厚い雲の裏側には……

今回、我ながらちょっとおかしいくらい落ち込んだのだけど、あのままズーーーンとした状態で、怖れ焦って変な行動(手作りしかないと思い込んで木材を大量購入するなど)を取らなくてよかったと思う。

途中で、いや展示で大事なことは、良い世界を作ることでしょ…という点に立ち戻った時に、ズレていたいろんなことが正しいポジションに整列するように、動き出した気がした。

お客さんが見てくれている姿を想像して、良い場になっていることを想像した。
そうすると、ビチャビチャの汚れた雪だるまから一気に、同じ雪だるまでも歌って踊れるオラフのようになった。

これを書きながら、英語のことわざを思い出す。

“Every Cloud has a silver lining.”
「全ての雲には銀色に輝く裏地がある」=「雲の端は光っている」=不運や困難の裏には必ず希望があるという、古いことわざだそうだ。

台風がくると言われていた日の前日、空はまさにそんな感じだった。

落ち込みから一点、ふとした瞬間で気持ちが晴れて友達に泣き付いて、教えてもらったら、そこには全然想像しなかったようなことが待っていた。本当に、分厚い雲の裏側に、銀色の光が隠れていたみたいなことが起こったなと感じた。

分厚い雲の裏に、越えられないような壁の裏に、見えないものの裏に、こんな風に光が隠れているのだとしたら。

そこにいるのはわかってるんだぞ、みたいなノリで生きてみるというのは、一体どんな感じなのだろうか。

そういう境地、私はできるかわからないのだけど、やってみたいと思う。

***

こういうのは個展が終わった後に、実はねあの時…と、後日談として書いた方が賢明で綺麗なのかもしれないけれど、これから1ヶ月、どうせまた私は忘れて悩んだりすると思うので、備忘録として書いてみる。


そして、10月は個展準備に集中するため、毛布を基本お休みします。
基本、というのは不定期に更新するかもしれません。

個展では原画、本の言葉、詩、書き下ろしエッセイを展示します。

会場に来れない方にも楽しんでいただけるよう、色々考えているところです。

見ていただける瞬間のために、進めていこうと思います。


\お知らせ/

『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』(ビーナイス)刊行記念原画展を本屋 Titleさんで開催します。
2020年10月30日(金)〜11月12日(木)



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