見出し画像

毛布#4 『大きな愛、貪欲さ、春風駘蕩』元旦特別号

あけましておめでとうございます。
新年初毛布、元旦特別号です。

大晦日特別号でも書いたけれど、頭で考えるとロクなことがないとはいえ、やっぱりビジョンはもっていたい。

2020年の目標ってあるだろうか、と、黄色く完熟したかぼすを浮かべた昼間の温泉に浸かりながら考えて、谷の向こうの山と晴れた空を見ていると、なんだかそのまま解脱してしまいそうだった。

清々しくてとても気分が良く、新年の抱負はやっぱりあったほうがいいなと思い、せっかくなので考えてみた。

黄色いかぼすはクルクルと踊るように、湯の花の泳ぐお湯の上で回っている。
小さな頃から、そんなものをじっと見ながら育ってきたと思う。

こんなふうに楽しく。
楽しくありたい。
それは昨日の毛布大晦日特別号で書いた、「自由」を探す行為でもある。
ユーモアを大事に、笑う心を大事に、ユーモラスでありたい。

お風呂を上がって、机に向かっていると、
「愛を大きくしていく」ということが浮かんだ。

恐れを乗り越えて具体的にいうと、発行部数と、SNSをフォローしてくれる人の数が大きくなるといいと思った。

そう、新年なので嘘偽りなく書くと、Twitterフォローしてくれる人が1万人行ったらうれしいな、と思った。

それは、それだけ多くの人が楽しんでくれればいいと思ったからだ。
数がどうというわけではなく、それくらいの人数の人が楽しんでくれたら嬉しい。
関わってくれる人が楽しいと感じることがより一層あるといい。
そして、それがより大きくなっていくといい。

臆病だし、前世のトラウマか?というくらい、理由もなく怯えていることもあるけれど、どんと構えて進んでいければと思う。

活動を大きくしていく、ということを目標にしてもいい、と思った。

そしてその時の指針が、「愛を大きくしていく」という感覚だ。イメージしているととてつもなくワクワクしたし、イメージがどんどん湧いてきた。これであってるな、と思った。

広場のように、河川敷のように、誰でも自由にいられる場所が拡大していく。その一部でありたい。それが私にとっての「愛」で、その愛は広く自由なものであるといい。

大きな愛、という覚えやすい目標を胸に、ビッグラブを指針にしていきたいと思う。

お風呂で考えたのはそこまでだけど、書いていると新年の抱負はあと二つ出てきた。

二つ目は、いっそう貪欲に吸収していきたいということ。
去年はヒップホップとの出会いが大きかった。
某声優ラッププロジェクトをきいてしまったことをきっかけにCreepy Nutsを好きになり、R指定の出来る限り全てを知りたい…と、面白い人を見つけるとその人のブログを全部読むといういつもの習性のままに、ひたすらフリースタイルの動画を見まくって、音源を聴いて、R指定が尊敬する人たちを学びはじめ、そして帰省するときは新幹線でRHYMESTARの曲をずっと聴いて、なんでこんなにすごいんだ…とひたすら聴き入っていた。
皆、言葉に対する執念と愛がすごくて、「言葉を愛し、言葉に愛されたい」というのは私も本当にここ10年以上変わらずそうなので、こんなところに、同じように言葉に向き合っている人がいるんだ…と愕然とした。大の字だ。

全然知らないことばっかりだ。ありがたいことに。
今年もまた小さな求道者として旅を続けたい。私は相当怠惰ではあるけれど、私なりに求道していきたい。それが二つ目の抱負。

三つ目は、心の穏やかさだ。

去年後半、心がちょっとでも騒がしくなりそうなときは、ひたすら「大丈夫な世界にいく」とマントラのように唱えていた。そして、結構これが効いた。

自分に都合の良い世界に逃避するってこと?というネガティブな拒否反応があるかもしれないが、今現在を不当なまでに怯えすぎている、という傾向がある人にとっては結構大事なことではないかと思う。
生きてるだけで自分が失敗する、誰かに迷惑をかける、幸せにしていると誰かが怒って乗り込んでくる、そんなふうに無意識の恐怖に囚われている人は結構少なくはないのではないかと思う。
私は疲れてくるとすぐにそのモードになるので、ただただ生きてるだけで人は罰されたりしない、という前提でいる、という練習を去年はよくやっていた。

「大丈夫な世界」にいくと、不思議と現実的に物事を捉えられるようになる。

失敗は単なる失敗で、ミスはミスで。
大丈夫な世界ではそれ以上でも以下でもなく、ひたすら現実的にやっていくだけだ。

不安になったら「大丈夫な世界にいく」と、ちょっと自分なりに試してみて欲しい。
(そして効き目があったらぜひおしえてほしい)

去年、私はとても美しい言葉に出会った。

それは、「春風駘蕩」という言葉だ。
尾道は瀬戸田にある、平山郁夫美術館で、平山郁夫が出身地である生口島について書いた言葉だ。

春風駘蕩。なんていい言葉なんだろうとうっとりした。

「自分だけが幸せでいいのかと思う」と時々打ち明けられることがある。うまく返せているかわからないが、私は私ひとりが幸せであれば、世の中で1人幸せな人が増えるということなので、少なくとも自分1人は幸せでいてくれといつも思う。私の母はいつも穏やかで、ハッピーな人で、それに家族みんながいつも救われている。だから、自分ひとりが幸せというのは本当にすごい功徳なのではないかと思うし、その幸せさはきっと伝播するのではないかと思う。

なので、春風駘蕩な心でいること。太い樹のように強くありたい。これが三つ目の抱負。

思いの外長くなったけれど、そんなわけで、2020年は、春風駘蕩な心で、大きな愛のために、大きな愛をもって進んでいけたらと思う。関わってくれる人、読んでくれる人と、大きな愛をそれぞれの場所で共に作っていけたらと思います。

今年もどうぞよろしくお願いします。

(写真はカボスではなくミカン、全部食べた)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?