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わたしの源に触れる

今回、シェアアトリエ"TUKURIBA"で

大人だけの「fureru」を開催。


3回講座で、アートを通して「自分の源に触れる」を体感していく。その場をホールドしてくれてのは、前回のフレルの場を作ってくれたりなちゃん。


一回目は、クロッキー。みんな一回ずつモデルになり、描かれる。360度あらゆる視線を感じながら見られるという体感。ソワソワしたり、座ったり、仁王立ちしたり、あらゆるポーズをとった。描くときも、見て感じながら、描く。上手く描くとか、ちゃんとはいらない。ただ、その人を感じながら描く。

その後、自分をじっくり見て自画像を描く。感じて描く。みんな真剣だった。毎日自分という存在といるのに、こんなに丁寧に見ることはないんじゃないかなというほど、細かく感じた。

上手く描くじゃなく、感じたことを描く。それは、簡単なことのようで今までの考えることが得意になっている自分には少し難しいところもあった。だけど、わたしもみんなも真剣に向き合った。



そして、先日2回目を開催。

大きな丸いキャンバスに自分を描く。その絵をみると、自分の源に触れたことを思い出せる一枚にするために。

みんな自分と真剣に向き合い、自分を感じ表現していた。思いっきり描く人、悩みながら描く人、ニヤニヤしながら描く人。それぞれのカタチで、それぞれの向き合い方で、1人として同じカタチはなかった。

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わたしは、今世を共にしている右目のアザにフォーカスして描いた。ずっと見るのが苦手だと思っていた右目をずっとずっと見続けて描いた。すると、青い目と思っていたわたしの右目には、色んな色があった。紫、ブルー、ネイビー、少し赤など。見れば見るほど美しかったのだ。気持ち悪いと思っていた自分もいたのに、描きながら綺麗と思う自分がいた。

不思議な感覚。

自分を自分でちゃんと見る。自分で自分を感じる


その後、みんなでサークルになり、各自の描いた絵を真ん中に出し、一人ずつ絵を通して感じたこと、そしてみんながその絵を見て感じたことをフィードバックする時間をとった。

この時間が、本当にすごかった。みんなが本気でそこに居た。

自分に嘘をつかず、真実から語る。

違和感があるなら、違和感があると口に出して言う。その絵をみて、気持ち悪いと思うなら、それを伝える。もちろん、美しいと感じるならそれを伝える。

自分の違和感や自分の感じたことに集中しながら、声に出す。それは、日常の生活では軽く流してしまいがちなところかもしれない。だけど、その一つ一つの言葉を大切にする空間がすごかったのだ。

嘆く人、涙を流す人、笑う人、イラっとする人。なんでもありなのだ。

ただ、そこに居たみんなは、自分を全部使って表現していた。その時のその人が感じるものを、口や手、感覚、自分の体を使って。

そして、誰も引かなかった。そこに在り続けた

そして、感じたことをアートに通して表現することで、自分でも気づかなかった源に触れるのだ。それは、自分でも分からない溜まっていたことや怒り、悲しさなど色んな感情や感覚。自分が生み出したものだから、嘘がない。誰のものではなく、自分のものだから。

この感覚が本当にやばっかった。

そして、私はこんなに本気で自分を表現したい人達とこのアトリエに居れたことが本当に嬉しかった。この人間くさい人達が、愛おしかった。これからのアトリエの方向性や、どんなカタチを作っていきたいかを感じる時間でもあった。

本当に人と人は、深く繋がれるかもしれない。

そんな言葉が、頭をよぎった。

次回が最終回。何が起こるか分からないけど、確実にみんなが自分の源に触れたいという思いの強さを感じる。

ありがとうございました。








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