適切な時間をかけたい

野菜炒めという食べ物が好きだ。
白飯の強力なパートナーとなる味もさることながら、調理工程のお手軽さ、そして奥深さ。

作り方は非常に簡単だ。
野菜を切って、炒めて、最後に塩コショウで味を整えるだけ。

だが「おいしい野菜炒め」作りには多くのコツがいる。
野菜によっては炒め合わせる前に油通しをしたほうがいいし、調味料はなるべく合わせ調味料にしたほうが食べた時の味のばらつきがない。
なにより短時間でぱぱっと火を通さないと水っぽくなってしまう。

非常に奥が深いのだ。
野菜炒めを作るたびに、「時間をかけたほうがおいしくできる」という思い込みがひっくり返される。

一方で、カレーみたいな煮込み料理は時間をかけたほうがおいしくできる。
野菜の面取り、お肉の下味、煮込み時間をたっぷりとって丁寧にアク取りして…。
そのうえで味を染み込ませるために一晩寝かせるなんてこともある。

料理によって適切な調理時間は異なる。
世の中のあらゆる問題や事象も、解決に必要な時間は異なると思うのだ。

なんでも早ければいいものでもないし、
時間をかければいいってものでもない。
物事にはそれぞれかけるべき「適切な時間」があるのだ。
それを見誤るから無理に力を使って消耗したり、ひずみが生じたりするのだ。

「手間ひまかけたカレー」の味をなるべく短時間で仕上げようと思ったら、
圧力鍋みたいな強力なパワーが必要になる。
圧力鍋のパワーは侮れない。圧力弁が下がる前にふたをとると鍋が大爆発してしまう。

それくらいの圧力をかけなければ、長時間ことこと煮込んでだす奥深い味やとろとろ具合を引き出せない。

「時間をかけるべきこと」を無理くり短い時間でやると、それだけのパワーを使うということだ。
それをわかっていてあえて急ごしらえ的にカレーを作るのか?あるいは無理せず時間をかけてカレーを煮込むのか?

物事の解決に必要な「適切な時間量」を判断するのは難しい。
少なくともカレーや野菜炒め作りのようにはいかない。


それでも私は適切な時間量を追求したい。
もう誰も、必要以上に消耗することのないように。

「私は今カレーを作ってるのか?野菜炒めなのか?」という問いは、常に持っていたいと思うのだ。


そんな、皆様からサポートをいただけるような文章は一つも書いておりませんでして…