ことばを持つ

自分の話を受け入れてくれる人がいると知っている人の話は安心するし、もっと聞きたくなる。
それは自分で使いこなせる言葉を(多く)持っている人なのかもしれない。

そんなことを昨日ふと思って、メモに残しておきたいと思った。


自分の言いたいことを誰かに伝えようとするとき、
きっと自分の持っているすべての表現の中から最適解を(無意識だとしても)見つけだして相手に届けようとしている。

こういうとき、あの人ならなんていうかな
一般的にはどういう表現を使うっけ

多分、そんなことも考える。


「しとしとふる雨ってどんな雨?」
「火山が噴火したように怒っているって、結局どの程度?」

って、例えば突っ込んで聞かれた先を、私はどこまで考えているかなあって思って。

「あれ?この表現で伝わらなかった・・?」

って、なったとき、不安から安直な、他人の表現を引用しがちなことって結構あるんじゃないかと思って。

「しとしとっていうのはほら、あれだよ、」

って、続けようとした途端に

「(あれ、自分、しとしとってどういうつもりで選んだんだろう)」

って、なったりするんじゃないかなと思って。


例えばそんなとき、

「え、ほらあるじゃん。今日はしとしと雨が降ってるね、って、言わない?」

じゃなくて、

「しとしとって、霧吹きでシュッて一瞬水を吹き付けたときにゆっくりそれが地面に落ちていくイメージ。もしくはマロニーちゃんじゃなくて、春雨を箸で持ち上げたような、透明さと細さがあって下に向かう感じ。そういう雨の時って、しばらくすると地面の、土の匂いが立ち上ってくる気がして、好きなんだよね。春だなあ、って、感じる」

みたいな

正解不正解でなく、何かこう、自分の中で今を「しとしと」と表現した理由みたいなものを、そしてそれを口に出したいと思った訳を、いえたら楽しいのかもしれないなと思って。



と、いうのも、先日読み終わった古賀史健さんの「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」という本で「文章力の筋力トレーニング」というものが紹介されていたからなんだけれど、

自分自身意味はわからないけれど「よくつかわれる」「みんなが雰囲気でわかる」言葉を使うのは控える。

オノマトペに頼りすぎず、自分で比喩を遠くまで転がしてみる。

これ、楽しそうだなと思って。


「自分の話を受け入れてくれる人がいると知っている人」

という言葉があっているのかわからないけれど、昨日出会って私がそう感じたその人の話は、まっすぐで、話の場面が次から次へと変わっても聞きやすいなあと思ったところで、

それはなぜ?

と問われて、思い浮かんだのがこの「転がして自分の言葉を探す」作業だった。

多分私はその昨日の彼に対して「安易にありきたりな言葉を選ばない」という信頼を感じたからだと仮説を立ててみた。信頼が、聞いていて「安心」、ひいては「聞きやすい」に繋がっている気がする。

ちなみにきっと、「自分の話を受け入れてくれる人」は、何もすべてに「そうだね」をくれる人ではない。そしてまず一番に、自分が自分にとってそれなのだと思う。


自分で記憶や感情をもとに比喩を転がして、

それを今度は誰かと一緒に転がして、

そうやって「自分で使いこなせることば」を表現を持っていきたい。


今、そんなことをぼんやり考えている。









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