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伝え方って難しいよね

私は考えに考えた末に、めちゃくちゃ見た目がシンプルな言葉で結論を出す
らしい。

例えば
数日前、みんてつを開催する私なりの思いや目的について考えていたことを共同主催者に伝えた。

私の中の思いとしては、大きく2つあって
1つは、自分で考える習慣を持ってほしい。
もう1つは、対話を通して優しくなってほしい。

だから、みんてつがそのためのきっかけとなる場となったらいいなぁという結論を伝えた。

これだけ聞くと、
1つめはともかく、2つめは多分ほぼ伝わらない。

もう少し私の考えていたことを説明すると、
対話活動を通して、
自分の考えや話している自分自身が尊重される経験、
相手の考えや相手の話している時間を尊重する経験、
自分とは異なる視点に触れてその背景にまで思いを馳せる経験を重ねたら
自分に対しても、
他者に対しても
許容範囲が広くなっていくんじゃないか
そういう余白がある状態の人が増えたら争いも少なくなって平和になりそう
それってつまり、自分への・他者への・社会への「優しさ」だよなぁ

というようなことを考えていた。

でもその全部を説明するよりも
「対話を通して優しくなってほしい」
と伝えてしまう。


ということを指摘されたので、
自分なりに何故なのか考えてみた。


はじめは、単に語彙力が足りないからだと思ったのだが、それだけではない気がしてきた。

一見わかりやすい多義的な言葉で表現することで
相手に解釈の余地を残したいのではないか?

私なりには色々考えているけど、
それが唯一の正解だなんて全く思ってなくて

だけど、そのなかでもこれだけは間違いないって部分をあえて伝えるなら
ってところを切り取っていて
それがこの話では「優しい」だったのかもしれない

「対話を通して優しくなる」
だけを聞いて
私とはちがうルートでたどり着く人がいてもよくて

なんとなくの方向性とか私はこうしたいよっていうのを
ふわっと理解してくれて
もし、共感してくれたら
そこにその人なりにアプローチしてくれたらいいなぁ
という感じ。


場合によっては
もっとちゃんと擦り合わせだ方がいい時もあって
それが私にとっては難しいから苦戦するんだけど。

あと、しっくりくる言葉じゃないと表現したくないって思うのもあって
やっぱり語彙力も増やしていきたい。


支援とかアドバイスはするんだけど責任は持たないってことを覚悟を持ってやる

愛の楽曲工房 #223

この感覚も分かるなあって思ってて。

責任は持たないっていうか
踏みこみ過ぎないというか
相手の価値観とか感じ方とかそういうのを無視して
一方的に押しつけることはしたくない。

「私はこう思う」ということは伝えた上で
実際にどうするのかは本人次第。

それでうまくいかなかったとして
そこに私が腹を立てたり責めたりするのはちがう気がする。

あくまで
ともに生きる他者として
隣にいて、全力で味方でいるスタンス。

でも、そのラインの見極めってめちゃくちゃ難しい。

「馬を水辺に連れて行くことはできても水を飲ませることはできない」

とはよく言うけれど、

でもその馬が瀕死だったらどんな手を使っても飲ませるはず

それでも、もしかしたらその時点では手遅れになるかもしれない。

責任を持たないということに覚悟が必要って
そういうことだと思う。

さらに、相手との関係値によっては
どうしても影響を受けあうところもある。

関係が深くなるほど、相手を大切に思うほど、
持てるはずのない責任を持ちたくなって

それがいき過ぎると
相手のためだったはずのアドバイスや支援も
徐々に自分を守るためになってきたりして
相手が不快な思いをしたり傷ついているのに気づかない。

気づいていても止められない。

そうはなりたくないけど、
大切に思うから
近くにいたい。

お互いの影響をどこまで許容するか
その影響を許容できる距離感はどこか

っていうのを必ずしも言語化してなくても考えてるよなぁと思った話。

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