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ルシャナの仏国土 警察学校編 31-35


三一.親友ふたり

 剣術競技会の翌朝、久しぶりに特別朝礼が開かれた。
「おはよう。昨日も本当によくやってくれた。私も諸君を誇りに思う。さて、これから諸君はいよいよ実際の現場に配属されるわけだが、赴任先に何か希望があれば、その旨教えてくれ。特にない者については、私とソフィア警視とで決めさせてもらう。より多くの警官に諸君の技術を広めるため、かなりばらばらに配属先を決めなければならないが、許してくれたまえ。」
 篤史はそう言って各人を見渡した。今では彼らがまるで自分の子供たちのようだ。亡き父さんも、我々を手放した時にはこんな心境だったのだろうか。
 あれから、七人きょうだいのうち三人は役人になって直接行政に携わっているが、二人は船乗りに、またある者は楽師に、そして僕は警察官になった・・・。

 篤史は続けた。
「あとは諸君の赴任先を決めるだけとなったため、今週末の土曜日から一週間、完全な有給休暇期間とする。遠出も許可する。各自、届け出るように。以上だ。」
 帰ろうとすると、篤史とソフィアは景時から呼び止められた。
「待って下さい、加賀警視正、ソフィア警視!」
「うん?」
「はい?」
「このあいだの件でお話ししたいのですが。」
「わかった、一緒に来たまえ。ソフィアもいいね?」
「はい。」

 校長室に入ると、篤史とソフィアは景時からの言葉を待った。
「僕、ライランカに行きます!果たして僕なんかに皇帝という重責が担えるかどうかは分かりません。正直、ずいぶん迷っていました。でも、昨日いきなり段位が取れて、オンネト帝陛下から不意打ちを掛けられてわかったんです。僕たちには並々ならない知識や技術が詰め込まれているんだ、って。」
「カゲさん・・・。ありがとう!どうかライランカを頼みます。」
 ソフィアは、彼の手を握った。景時を画伯と呼ぶ者がいる一方で、カゲさんと呼ぶ者もいる。ソフィアもそうだ。
「男なら何でも挑戦してみろ、父ならきっとそう言うでしょう。父は、そんな性格でしたから。」
「そうか。立派なお父さんだったんだね。」
 篤史が頷いた。
「今週、墓参りに行って報告します。湯井岡市にあるのですが、よろしいでしょうか?」
「では、私たちもついて行きましょう。大切なご子息をお預かりするのですから、親御さんにご挨拶しなくてはいけません。」
 ソフィアが促した。
「もちろん構わないよ。そうだね、君の言う通りだ。」
(警視正は警視を見る時はどこか違う・・、やっぱり特別なんだな・・・。)
 景時は実感した。

「そうそう、リュウ君にも知らせないとね。」
 ソフィアが思い出して言った。
「リュウに?何を知らせると?」
 景時は驚いて訊き返す。何故ここで彼の名前が出てくるのだろう。
「実はね、彼にはライランカ警察庁に行ってもらうことになっているの。次期皇帝の話し相手になってもらえたらと思って。でもその時は、まだ貴方の承諾を得ていなかったから、相手が貴方だということは明かしていないのです。」
「リュウが僕の話し相手に・・・。」
「異国の地で暮らすことは大変だと思います。特に役職が上がれば上がるほど孤独になるでしょう、そんな時、二人して支え合ってもらえたらと思うのです。少なくとも貴方たちそれぞれが結婚して新しい家族が増えるまでは。」
「結婚・・・家族・・・。」
 考えもしていなかった。でも、確かにいつかは僕も結婚する。その日はいつか来るんだ!

「でも、警視と警視正がいらっしゃるじゃないですか?」
 景時は不思議に思った。ライランカに行けば、彼らとずっと一緒に宮廷で生活するはずだからだ。
「カゲさん、私はいなくなるのよ。それに彼は・・・。貴方、彼にはどうしても遠慮が残るんじゃない?本当に気兼ねなく何でも話せるって言い切れる?」
 ソフィアは至って冷静だったが、景時は自分が悪い質問をしてしまったように思い、返事を返すことができなかった。

 それから、篤史が内線電話でリュウを呼び出した。中に入ってきたリュウは三人を見て言った。
「あの、もしかしたらライランカの件ですか?」
「さすがに察しがいいわね。ライランカ次期皇帝内定者というのは彼なの。たった今、承諾してもらったばかりだけれど。」
ソフィアが景時を見て言った。リュウは景時をまじまじと見た。
「景時、皇帝内定者は君だったのか!」
(確かにこいつとならやっていける。こうして見ると、こいつだったら皇帝が似合うかもしれないな。)
「あぁ、ずいぶん迷ったんだけどな。君もライランカに行くそうじゃないか。よろしく頼む。」
 景時もリュウを改めてじっくりと見た。
(彼が相棒か。確かにお互い仲良くやってきた。気心の知れている友だ。・・・)

「結局、ライランカにはこの顔触れで行くのか。それじゃ、神崎君も藤原君のご両親のお腹参りに一緒に行かないか?三人で報告に行くことにしたところなんだ。」
篤史が提案した。
「あぁ、いいかもしれませんね。そして籠野市にも寄ってね。」
 ソフィアもそう言った。
「籠野市?」
 景時はその理由を知らない。
「僕の家族がいるんだ。湯井岡からは半日くらいかかる。」
 リュウが説明した。

三二.オルニアの人々

 六月、篤史の後任として、ナジブ・アリ・イスクムという警視正がやってきた。前の勤務地はアイユーブから少し離れたイオカ市で、篤史とはすでに顔見知りで親しい。
「篤史、今度、退任するそうだな。」
「あぁ。」
「君ほどの男を失うのは惜しいが、やはり愛の力は偉大だということか。」
 篤史がライランカへ行くために辞めるということは、すでにオルニア警察に所属する四〇人ほどの警視正たちに伝わっていた。
「否定はしない。ただ、住み慣れた土地を離れるというのはやはり少し寂しいものだな。」
 そして、真剣な表情でこう言った。
「ナジブ、君も剣術競技会で見ただろうが、今のアイユーブ警察学校は現時点で最強の技能を有している。講師を何人か残すつもりだから、くれぐれもあとを頼む。」
「わかってるって。僕を信じてくれよ。ははは。」
 ナジブはそう言って篤史の肩を叩いた。実際、ナジブも警察官の厳しさと度量の大きさを兼ね備えている男だった。指導者として申し分ない。紫政帝に後任として彼を推したのも実は篤史自身である。
「それにしても、君の嫁さん、すごい美人だな。どうやって口説いた?ん?」
 彼はニヤッと笑った。男同士の会話では、そうやって色恋事で相手をからかうのも嗜みの一つである。
「ナジブ、君なぁ・・・。」
 さすがの篤史も、これには言葉に窮した。まさか相手が姫君で、それを補佐し警護すべき自分が半ば強引に抱きしめてキスしてしまったのが始まりだった、とまではたとえ友であろうとも恥ずかしくて言えたものではない。
「おやおや、真に受けたか。君は相変わらず堅物のままと見える。まぁ許せ。僕だって野暮は言わん。そろそろコーヒーでも飲まんか。」

 篤史とソフィア、景時、リュウの四人は、月曜日の朝に湯井岡市に到着した。
 この街はオルニアの首都であり、街のどこからでも紫政帝が住まいする明禅館を小高い丘の上に見ることができる。規模は大きいが、地味な建物だ。

 市民墓地は街の西側にあった。
 景時は、亡き両親の顔を思い浮かべる。
(父さん、母さん、これからはたぶん来られなくなるだろうけど、ごめんな。でも、父さんと母さんはいつもこの胸にいるから。一緒に来てくれてると思ってていいよね。)
 ソフィアも「市民の碑」の前に歩み寄った。
(カゲさんのお父様、お母様、大切に育てられたご子息をお預かりします。誠に申し訳ございません。これからもどうか見守っていてあげて下さい・・・。)

 それから、篤史がライランカ行きのフェリーのチケットを買いに行くと言って、三人を宿泊先に残して一人で出かけた。
「今から買っておかないと、特に一等船室は予約が取れないからね。」

 夕方、景時とリュウは篤史から制服着用を指示された。
「これから、紫政帝陛下にお会いするから、失礼のないようにな。」
「えっ?」
「驚いてる場合ではないぞ。彼女は王族だ。ご挨拶に行って当然だろう。藤原君、君もだ。もっともまだ実感が湧いていないかな。」
「あ、なるほど、そうであります。」

 明禅館に近づいていくと、一つの人影が表門の前にいるのが見えて来た。それはソフィアが見知った人物だった。
「風馬殿下!お久しゅうございます。」
「どうもご無沙汰致しております。ファイーナ様にはご機嫌麗しゅうございます。」
「殿下御自らのお出迎え、誠に恐縮に存じます。カゲさん、リュウ君、こちらはオルニアの皇太子殿下。」
「えっ?!」
 二人は一瞬あっけにとられたが、慌てて敬礼した。
「藤原景時です!」
「神崎リュウです!」
 風馬は、にこやかに二人を見た。
「初めてお目にかかります。皇太子の田所風馬です。加賀君とは、もう幾度もお目にかかっていますね。」
「はい、殿下。ご無沙汰いたしております。」
(実は、かなりの頻度で何年間も会っているのだがな・・・。)
 風馬は篤史と目を合わせた。
 彼も謙虚で礼儀正しい人物だった。それに今、彼の目の前にいるのは、そう遠くない未来にライランカ皇太子になる人物なのである。
「たしか、次期皇太子は、藤原君でしたね。貴方は近々私と同じ立場になられると伺っております。どうかよろしく。」
 あ、そういう事になるんだ、と二人は思った。そして、今までは薄ぼんやりとしていたものが急に現実味を帯びてきた。
(なんか、本当に凄いことになってきたみたいだ・・・。)

 紫政帝との面会も同様で、途中からは食事を共にした。紫政帝と風馬、ソフィアと篤史が語り合うのを、景時とリュウが見ているという時間が圧倒的に長かったが、紫政帝も風馬も、景時とリュウに気さくに話しかけてくれた。
「まぁ、二人とも私たちにはもっと気楽にしていいんだよ。堅苦しいのは私も性に合わない。」
 紫政帝が言った。
(なるほど。ソフィア警視がおっしゃっていたのは、こういう事なんだ。)
 景時は思った。僕が皇帝陛下や警視正には遠慮してしまうように、僕が皇太子になったら周りから同じように遠慮されてしまうのだ。

 籠野では、リュウから電話で連絡を受けていた両親が四人を待っていた。
「ただいま。」
 リュウの声を聞いた両親は、すく出てきた。
「おかえり。元気なようね。」
 母親はまず息子を抱きしめた。それから、他の三人を丁重に家の中に案内した。部屋には、何となく異国情緒を感じるような香りが漂っている。前回ソフィアが訪れた時には無かった懐かしい香りだ。
「これは、クミナ茶の香り。それにサイユマゴの匂いもする・・・。」
「姫様のためにご用意いたしました。お懐かしいでしょう?今までもときどき作ってきたけど、リュウ、貴方ももうすぐ日常的に接することになる香りよ。」
 サシャが言った。クミナ茶はライランカ独特のお茶で、ハチミツが入っていて少し甘みがある。なお、大人だけで飲む場合には少し果実酒を入れる。今日も入れてあるようだ。
「この度は息子がお世話になりまして。あのあと話し合って、やはりライランカへ行くという結論になりました。どうかよろしくお願い申し上げます。」
 父親の京一が言った。我が子を警察学校に入れた時から、どこへ赴任になってもいいと覚悟はしていたが、妻の母国とはいえ異国への赴任は想定していなかった。だが、姫君直々の依頼で、しかも本庁となれば、とてもいい条件だ。
「こちらこそ、大切なご子息を遠くへ行かせることになって、本当に申し訳なく思っています。でも、彼はライランカに必要な人になったのです。」
「ファイーナ様・・・。息子をそんな風に言って下さって、嬉しゅうございます。」
 母は、以前にも増して頼もしくなった息子がを見た。(この子が・・・。)

三三.赴任先

 剣術競技会から二週間ほど経ったある日、制服着用が義務付けられている特別朝礼で、篤史の手から各人に直接『黒い剣』が渡された。
「おめでとう!大切に使うようにな。」
 彼は一人一人にそう良いながら手渡していった。最後はセルジオ・ツジムラ警部だ。
「おめでとう!しかし君には白くても黒くてもあまり変わらんかも知れんな。」
「いえ、大変な違いだと思っております!」
 セルジオは言った。
「春野君と今井君、二人から多くを学び、自分の至らなさを痛感しました。人が一人で学ぶことにはやはり限りがあります。他流から学びとることを、彼女たちは教えてくれたように思います。」
「そうか。ならば今後とも一層の精進をな。」
「は。」
 彼は新たな剣を受け取って下がった。

 篤史は改めて訓辞した。
「今、諸君が受け取った黒い剣は、何者にも染まらず左右されず正義を貫き、人の命を守り抜くための剣である。これから現場へと向かい、その剣を振るう時、その剣が何故黒く塗られているかを噛み締めてもらいたい。そして、現時点でそれを持つ者は君たちのみ。もしいつかどこかでその剣を見かけたならば、それは今ここに集っている誰かの教え子かもしれない。そういうように思って欲しい。」

 解散して、各人が剣を抜いてみると、刀身はやや青みがかった銀色に光っていた。
「これは・・・普通の刀身じゃないのか?!」
 傍らにいた周公沢が口を開いた。
「あ、その刀身は軽くて強靭なヤカジウムでできとるんよ。だから今までかかってしもうた。」
「博士、それは一体何なんですか?」
 光昭が尋ねた。今までそんな材質の名前は聞いたことがない。
「ま、それを加工できる者はまだ限られておるから知らんのも無理はないがの。とにかく硬くて軽い。特別製や。こんなもんを二〇本も作ってくれなどと、紫政帝陛下も、しんどいこと言わはる。わしがどんなに苦心したか。」
「それじゃ、この剣は博士が全部・・・。」
 皆んなが公沢を取り囲んだ。そういえば科学の講義が終わった後、公沢と呉章英は食堂に出てくる以外は実験室に篭りっきりでいたかと思うと、何ヶ月も警察学校以外の何処かへ通い続けて、何かしているようだった。まさか新しい材質で全員分の剣を作っていたとは・・・。
「あれ?番号が打ってある・・・。」
 ジェシカ・ティスードが気づいた。公沢がニヤリと笑う。
「当たり前じゃろうが。わし渾身の自信作、特別製や。シリアルナンバーくらい付けんでどうする。」

 それから、篤史とソフィアは、訓練生一人一人を校長室に呼んで、面談していった。セルジオと光昭には、そのまま残留して指導してくれるよう頼んだ。二人はもともと警察官だったので、残るといっても何の変化もないのだが、二人とも残留を快諾してくれた。
「こんなにやりがいがある仕事はありませんよ。」

 今井はるかが呼ばれた。
「貴女にも本当はこのままここにいて欲しいのだけれど、本来は警部以上の資格を持っている人でないと指導はできないから・・・。」
 と、ソフィアは前置きした。
「一旦はこの近くの派出所に三年くらい勤めて、改めて警部資格を取って下さい。筆記試験は、私の講義内容で間に合うはずよ。アイユーブ警察庁所属にしておきます。」
「はい。本当にお世話になりました、ファイーナ様、加賀警視正。どうかお幸せに。」
「ありがとう。」

 ジェシカ・ティスードは、生まれ故郷の所轄署だ。
「貴女には、まだまだ親孝行ができる。そばにいて、活躍を見せてあげなさい。」
「はい。ご配慮ありがとうございます。」

 宮部淳一は、皇宮警察への配属を指示された。
「自分が、でありますか?!」
 彼は驚いた。口下手で気が利かない自分に、華やかな世界が務まるのかと心配したのである。
「君だから任せるんだよ。」
 篤史が言った。
「君は口が固い。剣の腕もたつ。皇帝陛下も皇太子殿下も、気さくな方々だ。そう堅苦しく考えなくていい。そうして、三年経ったら、警部の資格を取って、後進の指導にあたって欲しい。あそこにも最高クラスの技術が必要なんだ。」
「わかりました。」
「皇宮警察には、小久保君にも行ってもらうつもりだ。」
「え、美穂さん?」
 小久保美穂は、本来言語学者で、言語学を講義するためにこの学校に来たと聞いている。
「宮廷には外国からたくさんの人が来る。そんな時に、通訳もできる警察官がいたらいいわよね。皇太子殿下がそう言ってくださったの。」
 ソフィアも言った。今日ではもう世界の言葉はほぼ統一されているが、それでも各国で固有の言葉遣いがある。周公沢の言葉がその一例だ。
「はぁ・・・。そうなんですか。」
 淳一はまるで夢を見ているようだった。皇帝陛下のお側近くにお仕えするなどとは、考えもしていなかったのだ。
「まぁ、実際に務めてみれば分かるさ。」
 篤史も微笑んでいる。やってみなきゃ分からない。それが淳一自身の根本思想であることを、篤史は知っていたのだ。

 中林肇は、オルニア警察庁本庁の配属に決まった。彼は柔道が特技だということで、本庁から直接指名を受けたのである。

 こうして全員の進路が定まった。あとは、卒業式を迎えるのみだ。

三四.卒業式

 訓練生たちは、卒業の日まで思い思いの日々を過ごした。そして、話題になるのはやはり誰がどこに行くかである。
 困ったのは景時だ。彼はソフィアに尋ねた。
「みんな、誰がどこに配属されるかを話し合っています。僕はどう答えたらいいのでしょう?ライランカの皇太子になると答えていいのでしょうか・・・?しかし、それでは貴女が姫君だと言わなければなりません。それに、みんながその話を本当だと受け取ってくれるかどうか・・・。」
 ソフィアは答えた。
「貴方にそんな気遣いをさせてごめんなさい。私のことは卒業式の時に明かすつもりなのだけれど、それまではただ、ライランカに行くとだけ言っておいて。」
「わかりました。リュウとも打ち合わせます。」
「本当にごめんなさい。」

 九月九日、卒業式の日・・・。
 篤史、ソフィア、ナジブ、公沢、章英、そのほか警察学校職員全員が同席のもと、制服姿の訓練生たちが黒い剣を帯びて並ぶ。
 篤史にとって、オルニア警察の制服を着るのはその日が最後になる。
(この制服ともお別れか・・・。体力尽きるまで着るつもりだったが、仕方あるまい。)
 篤史はソフィアを見た。(君のためなら・・・。)

 彼は最後の訓示を始めた。
「訓練生諸君、この度は卒業おめでとう。諸君は、現時点で最強の知識と技術を担う優秀な警察官となった。諸君らと共にこの二年間を過ごせたことを、私は誇りに思う。共に汗をかき、笑い、泣き、感動した仲間たちというのは、一生の財産である。たとえ離れていても、私たちは仲間だ。決して一人ではない。名残惜しいが、機会があったらまた会おう。また、職員の方々、私事で短期間で交代することになり、誠に申し訳ないが、後任のナジブ警視正は、話のわかる優秀な人物です。どうかよろしく頼みます。
 それから、ソフィアについて、諸君にはずっと伏せていたことがある。これからは、彼女の話を聞いて欲しい。私からは以上だ。諸君らの活躍を祈る。」

 ソフィアが進み出た。彼女も今朝は万感の思いで制服に袖を通した。
「皆さん、ご卒業おめでとうございます。これまで二年間、ご一緒に過ごせたこと、私にとってたいへん貴重な思い出となりました。私の本当の名前はファイーナ、ライランカ皇帝・アルティオの娘です。」
 もともと彼女のことを知っていた者を除くほとんどの者は、驚いて彼女を見た。(ソフィア警視が、ライランカのお姫様・・・?)
「私は病のため、あと少ししか生きられません。だから短期間で後継者を育てなければならなかった。折良く、紫政帝陛下が新しいカリキュラムで警察学校を運営されると聞き及び、その中で後継者を育てたいと思ったのです。そして、カゲさんを選びました。彼ならきっと素晴らしい皇帝になってくれるでしょう、」
 皆が一斉に景時のほうを見た。(彼がライランカの皇帝に・・・。)
「今まで黙っていて、本当にごめんなさい。でも、皆んなのことは忘れません。これからの活躍を期待しています。」

 彼女が話し終えて奥に引き返そうとした時、脇から大きな花束を抱えて来た人物がいる。大谷好子だった。
「好子!」
「ソフィア、今までお疲れ様。今日まではまだソフィアのままでいてちょうだい。」
「うん、うん!・・・」
 二人は泣きながら抱き合った。
「ごめん。君には黙って、彼女を呼んだんだ。」
 篤史が言った。一同はその光景にもらい泣きし、彼女が壇上から降りると、みな駆け寄ってきて、別れを惜しんだ。

 その後、ソフィアは長い時間をかけて好子にこれまでの経緯で伏せていたところを話した。好子は真剣な表情で話を聞いていた。
 そういえば、ライランカ人と結婚するからといって、長年勤めた警視正を辞するなんて、不可解なことだとは思っていた。普通なら、お嫁さん貰いましたで済む筈だ。しかし、相手が王女となれば母国を離れさせるわけにはいかない。なるほど、それで話の辻褄が合う。
「ライランカに帰っても、お手紙は頂戴ね。私たち、ずっとお友達なんだから。それとも、まさか貴女、加賀警視正だけいてくれればいい、なんて考えてるんじゃないでしょうねぇ?」
「まさかぁ!好子も冗談きついわね。・・・お手紙は必ず出すから。・・・きっと出すから・・・。」
「ほらぁ、また泣く。別れに涙は禁物だってば・・・。それに貴女、結婚するんでしょう?おめでとう!お幸せにね。・・・」
 そう言いながら二人は泣いた。
 好子は夜明け近くまで話し続け、ちぎれんばかりに手を振って帰って行った。

三五.ライランカへ

 旅立ちの日、空は晴れていた。
 篤史、ソフィア=ファイーナ、景時とリュウの四人は、他の訓練生すべてを見送ったあとでの出発となった。
「それじゃ、ナジブ、皆んな、 あとを頼んだよ。」
 篤史が言った。
「あぁ、任せとけ。君も元気でな。ファイーナ様、知らぬこととはいえ、ご無礼つかまつりました。どうか御身お大切に。藤原君と神崎君、君たちとは短い期間だったが、楽しい時間を過ごさせてもらった。元気でな。」
 ナジブは温かい笑顔で見送った。
(まさか姫君だったとはなぁ。しかもあの堅物を絵に描いたような男が・・・。世の中、分からん!)

 港には次の日の午後五時頃に到着した。ライランカ行きの船はもう接岸していた。出港予定時刻は翌朝の八時だったが、客が乗り遅れることを防ぐためにすでに乗船可能だった。篤史が受付でチケットを見せる。
「はい、一等船室のスイート一枚とツイン一枚でございますね。」
(えっ、スイートって・・・。それに、その二枚しかないの?)
 ファイーナの胸が高鳴った。この場合、ツインは景時とリュウだと考えられる。そうすると、自分は篤史と同じ船室に泊まるしかないではないか・・・・。
 係員が部屋の前まで案内してくれる。
「こちらが鍵でございます。出航までしばらくお待ちください。」
「どうもありがとう。」
 ファイーナの動揺とは反対に、篤史は落ち着いている。他の二人も、それがさも当たり前であるかのように早々にその場を去った。

「さて、中に入ろうか。」
 篤史は、戸惑うファイーナをエスコートして中に入った。スイートだけあって中は広く、バスルームやライティングデスクもある。だが、ファイーナが最も深く見つめたのは、ダブルベッドだった。
(やっぱり・・・!)
「あ、これか。やっぱり気になる?」
 篤史は微笑んでいる。
「だって!」
 ファイーナは耳元が熱くなっているのを感じた。篤史は、そんな彼女がまた愛おしくなって抱き寄せる。
「ファーニャ、僕たちはもう婚約してるんだ。構わないだろ?それに、これが君にとって一番の警護だと思うが。」
「貴方って、いつも強引なのね。初めてのキスも、プロポーズの時も、私の逃げ道を全て消してからだった。今だって、私が知らないうちにスイートルーム取って・・・!」
「君の言葉をひとつ訂正させてもらう。最初のキスは、何の用意もなかった。君の涙に負けただけだ。」
「もう、貴方って人は!どこまで私を蕩けさせれば気が済むの・・・。」
 彼女は、彼の温もりの中で言った。
「ファーニャ、帰国するまでは君は姫君でなくていられる。僕は一人の女性としての君と結ばれたい。・・・愛してるんだ・・・それでも嫌かい?」
「篤史・・・。」
 二人は互いに見つめ合い、唇を重ねた。

 夕食後、景時とリュウはラウンジのバーにいた。二人とも、ファイーナと篤史をできる限り二人きりにしてあげたいと思っていたのだ。
 景時はすぐに酔い潰れた。
「しあわせに・・・なっ・・くださ・・そ・・けいし・・。」
 途切れ途切れの言葉をリュウは読み取った。
「景時、きみ・・・。」

 景時は夜明け近くに目を覚ました。自分は船室のベッドに運ばれていて、そばにリュウがウトウトしているのが見えた。
「リュウ、君がここまて連れ帰ってくれたのか。」
「フッ、僕が将来の皇帝陛下を放っておくとでも思うか?」
「すまんな。」
「きっと僕はこういう時のために呼ばれたんだと思うよ。」
「ありがとう・・・。」

 やがて、船内アナウンスが出航を告げた。ライランカ、ファイーナの母国へ・・・。

(6月6日から第3編「白樺編」に進みます。)

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