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ルシャナの仏国土 白樺編 1-5


一.帰郷

 フェリーは、陸地を望むところまで来た。
「あれがライランカ。人口五千万人、森が大部分を占めているわ。比較的平和な土地よ。」
 ファイーナが言った。懐かしい、我が故郷・・・。
「ほんとに森だけみたいだ・・・。」
 リュウが呟いた。陸地の上に見えているのは、ただ森、森、森である。一ヶ所だけ開けているのが恐らく港町なのであろう。

 午前九時、船はゆっくり接岸した。一行がタラップを降りると、二人の女性が迎えに来ていた。ファイーナと同じ藍色の髪だ。
「お帰りなさいませ、姫様。」
「ナディア、迎えに来てくださったのね。どうもありがとう。」
「お身体の具合はいかがですか?」
「えぇ、一度だけ意識を無くしてしまったけど、それだけです。」
「山形医師から連絡は受けております。心配しました。ご無事のご帰国何よりでございます。」
「心配かけて、本当にごめんなさい。・・・紹介します。彼女は宮廷医務官のナディア・サディラ。こちらは藤原景時と神崎リュウ。これからのライランカを担ってもらう二人です。」
 二人はそれぞれに挨拶した。
「それから、婚約した加賀篤史。」
 彼女は恥ずかしそうに言った。
「お初にお目にかかります。よろしくお願い申し上げます。」
「こちらこそ。どうかよろしくお願い致します。」

 二人目の女性の顔を見ると、篤史は親しみの笑みを浮かべた。
「リーナ、迎えに来てくれたのか。元気そうで何よりだ。」
「お久し振りです、お兄さま。」
「お、お兄さま?」
 景時とリュウは目を丸くした。篤史はオルニア人のはず・・・。
 ファイーナはなるほどという表情を浮かべているだけで、驚いた様子はない。
「お、すまん。君たちは驚いたかもしれんな。実は、私には世界各地に血の繋がりのないきょうだいが六人いる。このイリーナもそのひとりだ。」
「加賀警視正、貴方は一体・・・?」
 イリーナは二人に挨拶した。
「初めてお目にかかります。ライランカの環境局長官をしております、イリーナ・タラノヴァと申します。」
「は、はい!どうかよろしくお願いします!」
 景時とリュウは慌てて挨拶を返した。
「姫様、皇帝陛下がお待ちかねでございますよ。どうぞ馬車へ。」

 宮殿は、大陸のほほ中央部にある。ファイーナは懐かしさに目を細めながら中へと向かった。
(二年しか経っていないから、何も変わってなくて当たり前だけど、本当に何もかもが懐かしいわ・・・。木々の木漏れ日も、リラの花の香りも、鳥のさえずりも・・・。)

 宮殿の入口ではアルティオが娘の帰りを今か今かと待ちわびていた。
「お父様!」
 ファイーナは父親に抱きついた。アルティオも久しぶりに会う娘を愛おしく抱きしめる。
「ファーニャ、待っておったぞ。障りはないか?」
「はい、お父様。・・・後継者も連れ帰りました。」
「君たちが・・・。私がこの国の皇帝・アルティオだ。まぁ、入りなさい。」
「は!」篤史が続く。
 景時とリュウもついていった。
(この方が皇帝陛下なんだ・・・。)

 四人は『白菊の間』へと導かれた。丸テーブルを囲んで話ができる部屋である。ファイーナが父帝に、ひとりひとりを紹介していく。
「まずは、藤原景時。彼が次期皇太子です。」
「うん。これからよろしく頼む。」
「はっ!藤原景時と申します!」
「それから、神崎リュウ。ライランカ警察本部に入ってもらおうと思っています。」
「よろしく頼む。君はハーフだと聞いている。きっとすぐにこの国にも馴染めるだろう。」
「はい。母がタユタヤ出身です。」

「そして、婚約した加賀篤史です。」
 ファイーナが恥ずかしそうに言った。
「マコト、久しぶりだな。まさかこのような形で君と再会しようとは思わなかったぞ。」
「は。陛下、誠に申し訳ございません!」
(マコト?どういうことだろう?)
 景時とリュウは、先程から呆気にとられっぱなしだ。篤史はこの国の環境局長官とはきょうだいだと言い、皇帝からはマコトと呼ばれ、まるで以前からよく知っているかのようだ。
「君は、本当に娘と結婚するつもりなんだね?公卿になったら、生涯そのままだぞ。」
「はい。姫はもう私にはなくてはならない存在なのです。どうかお許しください。」
 篤史はアルティオの前に跪き、深く頭を垂れた。
「篤史・・・。」
 ファイーナは胸が熱くなった。
 そのときアルティオが思わぬ行動をとった。自ら椅子をどけて、篤史に近づき、膝を曲げて彼の手を取ったのである。
「マコト、私はむしろ嬉しいのだよ。この娘の花嫁姿を見られるとは思っていなかった。娘を頼む!」
「陛下・・・。」
 二人はもはや互いに信頼し合う父親と娘婿だった。

 アルティオは話を先に進めた。
「まずは明日の朝、夜明けに帰化礼を行う。心の準備も必要だろう。ファーニャ、後から詳しく教えてあげなさい。景時君とリュウ君、マコトは、まずその旅装を解いて来るがよい。今夜はゲストルームに泊まりなさい。案内させよう。」
「それなら、私が。」
 ファイーナは他の三人をゲストルームまで送って、自分の部屋に入った。懐かしい香りが彼女を包み込む。
(あぁ、私、帰ってきたんだわ・・・。)
 そのままソファに座り込んで、目を閉じた。

二.マコトの記憶

 同じ日の午後、アルティオとの会食後、ファイーナ、景時、リュウの三人を前に、篤史が自らのことを話し始めた。

「ひと世代前のことだ。ヴィクトル・ベッカーという環境設計家がいた。彼の願いはただ一つ、世界を美しくすること。すなわち自然と共存し、人々が生きやすい世界を作り上げることだった。
 彼はある時、大地震から一つの街の人々を救ったのが縁で、紫政帝陛下と面識を得た。そして母と逸れて一人になっていた幼い僕を託された。そのときに紫政帝陛下はマコトと名付けてくれていたらしい。彼はライランカ人が多いアリョルカ温泉郷でも赤子を引き取ることになり、その後、各地の孤児院に行って子供を預かった。そのうちの一人が、さっきのイリーナだ。
 そうして集めた子供たち七人に、自分の夢、知識、技術の全てを授け、それぞれの母国に指南役として放ったのだ。
 僕も、環境設計家マコト・ベッカーとして数年間、明禅館に通って教えていた。
 ただ、僕の身元は数年後に分かったらしい。弁護士・加賀信頼の一人息子・加賀篤史、この名が本名だ。加賀の父は、ヴィクトルの手元を離れた僕を心から愛してくれたが、五年前に亡くなった。

 きょうだいのうち、三人は官僚になって直接的に政治に関わっている。イリーナもそうだ。
 だが、全員がそうなったわけではない。僕はどうも不器用で、政治や宮廷には向かんと思った。 もともと警察官にも憧れていたしな。
 紫政帝陛下も僕のことは可愛がって下さった。環境設計の分野では表に出ずにお仕えしたいとお話ししたら、それなら時折マコトの名で宮殿に来て、環境局の職員たちに環境設計学の講義をしてくれと仰った。あとは君たちが知る警視正としての僕だ。

 今から十八年前、当時十六歳だったファーニャにも会ったことがある。アルティオ帝陛下は娘が即位するに相応しいかどうかを外部から呼び寄せた幾人かの判断に委ねたのだ。おそらくその時は全員が即位に賛成したものと思う。
 だが、オルニアに後継者探しに来たファーニャと出会った時には、すでに僕の環境設計学講師としての役割は終わっていた。それに、今さら私の父ひとりの考えに頼らなくても、世界はもう『惑星市民条約機構』の元で安泰の体制になっている。これからは国家間の問題よりも、むしろ社会の治安のほうが大切になってくるものと思う。危険な思想を持つ者たちを一旦社会から遠ざけ、本来持つべき平穏な考え方に戻して、自ら本当の幸せを掴み取ってもらう。それが社会の役割なんだ。
 今から思えば、僕は職業に警察官を選んで正解だったかもしれんな。・・・まぁ、そういうことだ。」
(加賀警視正・・・。)
 初めて聞く篤史の生い立ちと深い造詣に、景時とリュウは感動し、まとめて聞いたファイーナは彼の大きさに改めて引き込まれていた。

 続いてファイーナが『帰化礼』について説明する。
「ライランカの帰化は特殊です。ライランカでは、この星の法力が強くて、普通の状態のままでは体が何らかの影響を受けてしまう可能性が高いの。だから一度、法力そのものに全身を浸す必要がある。それが帰化礼の本当の意味なのです。私たちの髪が藍色なのも、法力そのものの影響を受けているから。
 この宮殿はテティス湖という湖のほとりに建てられていてね、ライランカの皇帝は代々テティス湖を守ってきた。湖はきっとすぐに見ることになると思うけれど。
 帰化礼とは、そのテティス湖に全身くまなく身を浸すこと。その時、彼女から新しい名前を貰うのよ。」
「彼女?」
「リュウ君、貴方はもう知っているはず。」
「あ、守護精霊テティスだ!」
「そう。オルニアで貴方に髪の色のことを尋ねられたことがありましたね。あの時私は途中から帰化する場合については言及しませんでした。それはまだ貴方がライランカに来て、帰化することを考えでいなかったからです。ごめんなさい。
 覚者ルシャナ様の『星法の書』・・・貴方たちも読んだことあるわよね。今では伝説みたいにされてしまっているけれど、あれは事実なの。守護精霊テティスは実在している。
 彼女と会って名前を授かって湖から上がってきた時、貴方たちの髪は完全な藍色になっているでしょう。さっき父が心の準備と言ったのは、そのことなの。自分の髪の色が変わるのだから、予めそのつもりでいないとね。さらに、精霊と出会うなんて、世界でもこことウユニくらいだから。」
「守護精霊テティスは本当にいるんだ・・・。」
 もともと母親から話を聞いていたリュウも驚いたが、篤史もそのようなことはイリーナからは聞いたことがなかった。
「ライランカにそんな秘密があったとは・・・。」

三.帰化礼

 明け方近く、三人は前の晩に部屋に届けられた浅葱色の上下の衣装を着て、ファイーナに伴われてテティス湖のほとりに出た。アルティオが待っていた。
「おはよう。これから一人ずつ湖に向かってもらう。なお、ここでは履物を脱いで素足になりなさい。この先を進んでいくと、ほどなくして守護精霊テティスに出会えるはずだ。まずは、次期皇太子の景時、君が行きなさい。」
「はい。」

 景時は言われた通り奥へ進んだ。気のせいか、だんだん霧が深くなってくる。
 と、その中にほんのりと青く人影が見えてきた。その手前二メートルくらいのところまで来て、その影がどうやら若い女性のようだとは分かったものの、顔立ちは全く分からない。まるで、湖に垂れ込めている霧が集まって人の形を成しているかのようだ。かろうじて笑顔なのか悲しみに沈む顔を見せているのかの区別がつくかどうか、というところであろう。

「よく来ましたね、景時。」
 女性は、親しげな口調で話しかけた。景時には、かろうじて彼女が微笑むのが分かるだけだったが。
「僕の名前を・・・。貴女が守護精霊テティス様ですか?」
「あら、様付けは必要ないわ。ただテティスとだけ呼んでちょうだい。私はもう貴方のことも知ってるし、ね。」
 テティスは景時の瞳を覗き込むように見つめた。
「外の時間は止めてあるわ。ゆっくりお話ししましょう。」
「えっ?」(時間を止める、だって?)
「ふふふ、驚いた?もっとも、止めるというよりも、私たち二人だけが時間と同じ速さで遡っていると考えるほうが正確ね。私にはその能力が備わっているの。私、元々はウユニ人なのよ。生まれたのは三千年前。」
「それじゃ貴女は幽霊・・・いえ、失礼しました。何というか、魂だけの・・・。」
「そう。別に気にしてないから安心して。
 まだ国同士が戦争していた頃、乗っていた船が難破して、海に飲み込まれた私は、ライランカの岸辺に打ち上げられた。普通なら監禁とかされてもいい状況だったけど、ライランカの人たちは私をただの遭難者として温かく介抱してくれたわ。スパイじゃないかとか、そんなことは全く考えてなかったみたい。たしかにそんなつもりはなかったけど。とにかく信じてくれたのが嬉しかった。
 だからその時の怪我がもとで死ぬ時に私は強く願った。もしも生まれ変われるのなら、この土地を守護する力を持つ存在になりたい、って。
 そして気がついたら、この姿になっていたのよ。時間と空間、天気を操る能力を持つ精霊にね。
 藍色の髪を持つ人たちは、すべて私が守りたい人たち。・・・そう話したら、今度は逆にこの国の人たちみんなが私を守りますと言ってくれるようになった。だから今も私はライランカと共にあるの。」

 景時はこの話に感動した。
「強い絆なんですね。」
「ありがとう!貴方もきっとわかってもらえると思ったわ。」
「あの、ひとつ質問していいですか?この国の人たちの髪は、何故藍色なんでしょう?ファイーナ様は、法力の影響だと仰っておいででしたが。」
「そうね。その通りよ。原因は、惑星ルシアの真の自転軸にあるこの湖。法力が集まり、散る。それを近くで浴び続けているから、ライランカ人の髪は独特の色になっているの。ウユニの人たちも同じ理由なのだけれどね。
 私も、覚者ルシャナ様に直接お会いしたことがあるわ。『星法の書』に書かれていることは事実なの。」
「そういえば、『宝華品』には、確か貴女のことも・・・。答えてくださって、どうもありがとうございました。」
 景時は思い出した。今では伝説視されている書物に書かれていたことを・・・。もしいつかこの人が救われるのなら・・・。
 彼の心を読んだテティスは悲しみを隠して、なおも明るく振る舞う。
(彼には、底知れぬ優しさがある。ありがとう、景時・・・。)
「だからぁ、そんなに丁寧な言葉はやめて欲しいのよねぇ。お願いだから、もっと普通にして。・・・さあ、水に 入って。息は苦しくならないから。」
「はい。」
 テティスの言う通りだった。水に入っても何ともない。この湖は、たしかに普通じゃないんだ・・・。

 やがて頭の上まで浸かった彼は湖から上がった。テティスが語りかける。
「湖に顔を写してごらんなさい。」
 彼は水面を覗き込む。そこには、完全な藍色の髪を持つ自分が見えた。
「僕の髪が・・・。」
「貴方は今、ライランカ人になったのよ、アレクセイ。」
「アレクセイ・・・それが僕の名前なんですか?」
「そう。この地に伝わる始祖王アレクサンドル、その息子という意味よ。アルティオまで千年続いてきた王家の血統は、貴方の代から切り替わる。貴方は、この時代の始祖になるの。
 ライランカ人にとって、アレクサンドル王の名は正式な王位継承者と認められた証。それは、帰化後まもない貴方の大きな後ろ盾になってくれるはず。
 それにもともとアレクサンドルという名は、古代クスコ語の『光』が語源なの。景時の『かげ』も光のこと。貴方の名前の半分は残ることになるわ。
 どう?気に入ってもらえるかしら?
「始祖王アレクサンドル、それに光・・・僕の名前を半分残して・・・。
 テティス、どうもありがとうございます。この名前、大切に使わせて頂きます。」
「よかった。あ、愛称形はアリョーシャよ。それじゃ、あとはお願いね。貴方ならきっと皆んなから慕われる皇帝になれると思う。愛しているのに自ら譲る優しい人・・・。」
「えっ?」
 彼は驚いたが、テティスは、そのあとは続けずに、ただ微笑んだだけだった。
「何かあったら、また気楽に来てね。私から話したい時もテレパシーで呼びます。でもこれからは今日みたいにあまり堅苦しくしないでね。じゃあまた。」
 テティスは消えた。
(やけにぶっちゃけた精霊さんだなぁ。だけど、僕が改名に抵抗を感じてたこと知ってた。ソフィア警視に憧れていることも・・・誰にも話してなかったのに・・・。)

 彼が帰ると、いの一番にリュウが訊いてきた。
「おかえり。早かったね。それに、すっかり藍色の髪じゃないか!で、どうだった?新しい名前は?」
 早かった、だって?あんなにたくさん話したのに?じゃあ、やっぱり時間が止まってたのか。
「あぁ、気さくな精霊さんだね。僕は、アレクセイという名前になった。愛称はアリョーシャ。」

「ほほぉ、始祖王アレクサンドルにちなんだ名をもらったのか。テティスは、よほど君を見込んだのだね。
 次は、もうすぐ公卿になるマコト、君だ。
 アルティオが促した。

四.リフレイン

「ファーニャから話は聞いたわね。この湖は法力の集まり、全身を浸しても呼吸はできる。だから、ここで死ぬことは不可能よ、篤史。」
 テティスが言った。
「テティス・・・。そうか、貴女は僕の心まで知っているのですね。さすがに精霊だけのことはある。」
 篤史は力なく呟いた。実はファイーナが亡くなったら自分はその亡骸を抱えて、そのまま入水するつもりだったのだ。
「ほかのところで死のうとしても無駄よ。私がなんとしてでも貴方を止める。私はファーニャが羨ましい・・・最愛の人と結ばれて、そんなにまで愛されているなんて。
 ファーニャの思い出をいちばん強く残せるのは貴方なのよ。どうかその思い出をずっと離さないでいてあげて。貴方が生きている限り、ファーニャも生き続ける。そして、貴方をずっと暖めてくれるはずよ。」
 テティスは懇願に近い口調だった。
「・・・わかった。約束します。」
 その時、篤史にはテティスの気持ちがなんとなく伝わってきた。この感じは・・・。
「しかし、貴女はファーニャに似ていますね。失礼だが、愛する人がいらしたのではないですか?」
 精霊は少し驚いたが、ふうっと息をついて親しげに微笑んだ。
「ふふ、貴方は本当によく似ていますよ、彼に・・・。洞察力が強くて、でも不器用で堅苦しい喋り方しかできないところ。そう、私にも憧れの人がいました。告白はできなかった。片思いだったし、私が死んだから。
 でも今でも私は彼のことを思い出すと暖かくなって勇気づけられるの。貴方にもそういうふうに生きていって欲しいのです。」
「それが貴女のお気持ちだったのですね、テティス。これからは僕もライランカの一人として、ファーニャと一緒に貴女を守っていきます。」
「ありがとう・・・。じゃあ、湖の水に頭まで浸かって。」
「はい。」

 彼が湖から上がると、テティスは彼の新しい名を口にした。
「貴方のライランカでの名前は、クファシル。かつて英雄とまで謳われた名医と同じ名よ。彼は、手をかざすだけで身体の病を治してしまうばかりではなく、どんなに頑なな人の心にも入っていって闇を消した。
 人というものは、自分が本当に幸せであれば悪いことなどはおよそ考えもしない。闇が人を不幸にするの。
 貴方も同じように考えていますね。だから貴方にはこの名前が相応しいと思います。」
「英雄と同じ名など、僕などには勿体ない気がしますが・・・。」
「私は貴方を信じてる。それに、命名権が私にあるのを忘れたかしら?ふふふっ・・・。」
 精霊は悪戯っぽく笑って消えた。
「テティス・・・。」

 彼が戻ってくると、今度はファイーナが話しかけた。
「どうだった?私、これから貴方を何て呼べばいいの?」
 もっともな質問だ。
「クファシル・・・英雄視されたほどの名医の名前らしい。しかし僕には果たして相応しいのかどうか・・・。」
「そう・・・。でも、たしかに私にとって貴方は名医かもしれない。」
「ファーニャ・・・。」

「ほらそこ、二人でいつまでも見つめ合っている場合ではないぞ。あとにしなさい。」
 父帝が笑いながら言った。二人は慌てて少し離れる。(ファーニャ、幸せにしてもらうんだぞ・・・。)

 アルティオはリュウの肩を叩いた。
「さぁ、君の番だ。行きなさい。」

五.新たなる旅立ち

 リュウとテティスの対話が始まった。
「心強き人よ、ようこそテティス湖へ。」
「え、心強き人って・・・僕が?」
「リュウ、貴方は幼い頃からその髪の色が違うことでずっといじめられてきましたね。でも、それを乗り越えて立派な大人になった。貴方は強い人よ。自分では意識してなくてもね。貴方は、自分よりも弱い立場の人のこともよくわかってる。ファーニャにも、そう言われたことがありますね。」
「そういえば・・・はい、ありました。」
「本当に強い人って、誰のことも別け隔てなく優しく接するもの。それをああでもない、こうでもないと取り沙汰して人を攻めてばかりいる人は、本当は自分に自信がないのよ。不幸なことね。ところで私、元々はウユニ人なのよ。・・・」
 それから彼女は、前の二人に話したことをまた話して聞かせた。
「ウユニは全員がそれぞれ異なる力を持つ超能力者たちの国。皆んなが違う力や容姿を持っているの。だから、少しくらい違ったって誰も全然気にも留めない。
 ウユニ人から見ると、他の国で虐めがあるほうが異常に映るのよね。」
「なるほど。そうかもしれませんね。」
 リュウは感慨深く言った。
「貴方もこれから藍色の髪になるわけだけど、その優しさと強さ、忘れないでね。それじゃ、湖に入って。」
 テティスが促した。が、リュウは、ふと立ち止まる。
「・・・あ。」
「どうしました?」
「まだお聞きしたいことが。」
「ん?何かしら?」
「この国の人たち、姓がある人とない人がいるみたいに思うんです。何故なんですか?」
「あぁ、アルティオやファーニャのことね。それに、アレクセイとクファシルにも私がファーストネームしか告げなかったから?
 彼らは王室一族になるでしょう?本当はレイジャスって苗字があるのだけれど、普段は使う必要がないだけ。」
「レイジャス・・・ファイーナ様がオルニアで名乗っておられた名前と同じだ。」
「そう。彼女はファーストネームだけを変えてオルニアの身分証明書を作ってもらっていたの。きっと、もし周りに知り合いが誰もいない時に倒れても、ライランカの誰かが気づいて宮殿に知らせてくれるのではないかと思ったのね。
 だからリュウ、貴方が帰化したあとの名前は、新しいファーストネームにカンザキと付くの。貴方もそのほうがいいでしょ。」
 テティスは、僕は帰化してもあの両親の子どものままでいてもいいんだと言いたいんだ・・・リュウは胸が熱くなった。そうして、何故ライランカの人たちが彼女を守りたいと思うのかもわかったような気がした。
「そうだったんですか。納得しました。では入らせていただきます。」
 彼が上がると、テティスは新しいファーストネームを口にした。
「貴方はレオニード、強き獅子。これからは、レオニード・カンザキって名乗るのよ。
 それじゃまた、時々は何か話しに来てね。」

 彼は待っていた人々に、もらった名前と経緯を話した。ファイーナは言った。
「その通りよ。私は苗字だけそのまま使っていた。オルニアでは、苗字で呼ぶ人とファーストネームで呼ぶ人とが混在してるから幸いだったの。」
「それじゃ、僕も正式にはアレクセイ・レイジャスになるのか。」
 さっきまで景時だったアレクセイが呟いた。
 実は、世界がまだ王制だった時代に二つの王国が国王同士の婚姻で一つになった際、現在湖畔宮殿がある一帯を治めていたアレーシャ女王は敢えてクスコ王国に嫁ぐ形にしたのだ。そのため、ライランカ王室はクスコ語由来の姓を名乗っている。

 アルティオが満足そうに言った。
「さて、これでもう帰化礼は終わりだ。皆、これからはライランカ人として生きていって欲しい。私も頼もしい跡取りたちが出来て嬉しい。
 そろそろ朝食の準備が出来ている筈だ。レオも警察庁からの迎えが来るまで私たちと一緒に食べなさい。時刻はおそらく昼前になるだろう。」
「はっ!」
 そうだ、僕は警察官なんだ。・・・リュウ=レオは反射的に敬礼してから自覚した。これまで一緒に暮らして来た友も上司も、これからは仕えるべき王族なのだ・・・。
 彼がそんなことを考えていると、アレクセイが近寄ってきて言った。
「レオ、念のため確認しておくが、僕たちはお互い共に汗かき警察官訓練を受けてきた親友だ。二人っきりの時には、僕をアリョーシャと呼んでくれよ。頼むぜ、相棒!」
「アリョーシャ・・・。」
「そうだぞ。ファーニャが何のために君を見込んで連れてきたと思っている。」
 クファシルも親しみの笑みを浮かべていた。
「加賀警視正・・・いえ、クファシル様・・・。」

 門の前でファイーナとクファシル、アレクセイ、レオニードの四人が待っていると、ほどなくしてライランカ警察本庁から迎えが来た。
「私は、ライランカ警察本庁人事課のピョートル・ヤブラスキーだ。君が皇帝陛下肝いりの人材か。期待しているよ。」
「はっ!レオニード・カンザキと申します。よろしくお願いします!」
 彼は敬礼した。それから見送りに出た三人に向き直り、再び敬礼した。
「それでは、皆さん・・・お世話になりました!」
「元気でな。」クファシルが声をかけた。
「ときどきは顔を見せに来て。待っています。」と、ファイーナ。
「本当にいつでも来いよな。」アレクセイが言った。
「それではまた。失礼します!」
 レオニードは去っていった。

 敬礼して去るレオニードを見送ったアレクセイもまた、複雑な思いに駆られた。
(そうか。これからは僕も王族として見られるんだ・・・。しっかりしなくちゃな。)
 彼は自分に贈られたライランカの民族衣装に目をやった。

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