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ルシャナの仏国土 海洋編 1-5


一.激突

 ホルスの海賊船・ローズナイト号は、物資調達のため、海洋貿易国カレナルド近海の孤島にある母港ターコイズに停泊した。
 ここは、いわゆる海賊船基地である。停泊料が少し高いが、他の港では受け入れてもらえぬような船でも接岸することができ、通常物資の調達や船員の雇い入れも可能だ。

 その日は、ホルスと副船長ジャッカル・マーフィーが交易品や生活物資の買い出しに出て、月刊の船員新聞も買った。海で暮らす者たちのために、世界中のニュースを一ヶ月単位でまとめて伝える新聞である。
「お?アリョーシャ、あいついよいよ即位するのか!それに嫁さんまで貰いやがるってよ!手紙にはそんなことちっとも書いてなかったぞ!あんの野郎、さてはぬけがけしやがったか!」
 アレクセイの即位と結婚の予定を伝える記事を見つけたホルスは、その乱暴な言葉とは裏腹に顔を綻ばせた。彼が手紙を受け取るのは、母港ターコイズ港でだけで、ともすると船員新聞より手紙を読むのがかなり遅れることが多々ある。この時もそうだったのだ。しかも、アレクセイは后になるマリンとの出逢いから僅かの間に結婚を決めてしまっていた。
「いつぞやお越しになった方ですね。親方の弟さんになられた・・・。」
「うん。元々はマコにいの頼みだったが、俺自身もあいつのことは気に入ってるんだ。」

 ジャッカルは冷静で頭脳明晰な副船長だ。ウユニ人の特殊能力も合わせ持っている。彼のおかげで命拾いしたことが何度もある。
 彼は、ホルスがウユニに立ち寄った際、海に憧れつつもウユニ人で左眼だけが大きく赤くて不気味だからという理由でどの船からも断られていたところをスカウトした。普段は、他の人を驚かせぬように眼帯をしている。
「別に、見た目がどんなだって構わねぇじゃねぇかよ。海に憧れてるもんはよ!それに、ものは使いようだ。そのウユニの力、俺たちのために使ってもらおうじゃねぇか!」
「キャプテン・ホルス!」
 ジャッカルは、顔をくしゃくしゃにした。ようやく海に出られるのか!
「おい、泣くんじゃねぇ。泣く海賊がどこにいる!しゃんとしとけ!しゃんと!これから、俺のことは親方と呼べ。わかったな!」

 海賊とは名乗っていても、ホルスは無益な殺生や略奪はしない。無国籍の貿易商人と言ったほうが正確であろう。ただ、乗組員は彼自身が道場破りで船の建造費を貯めていく過程で集めてきた者が多く、血の気が多い。時々は、一般商船を襲い、剣豪たちと一戦を交わらせたりしてやらないと、彼らの鬱憤が貯まってしまう。それをホルスは『ガス抜き』と名づけている。
「そろそろまた、ガス抜きせんといかん頃かもしれんなぁ。」
「それが難点ですね。どうにも収まりがきかない連中ですから。」

 ライランカ近くの航路を航行中のこと、一隻の大型商船が通りかかった。
「じゃ、あれでガス抜きさせてもらうとするか。おい、野郎ども、ガス抜き開始だ!」
「おー!」
 船内が沸き立つ。乗組員は戦いの喜びに打ち震えながら、各々武器を持ち上げ、歓声を上げる。
「いいか!いつも言っとるが、金品は奪うな。女も犯すな。女子供も絶対に攫うな。外道なことをやりやがったら、お前ら全員、海にたたき落としてやるから、そう思え!行くぞ!」
「おー!」
 船員たちは一斉に大型商船になだれ込む。

 いつもなら、そのまま海賊の圧縮で済むのだが、この時は様子が違った。先に行った乗組員の話では、どうやら一人で海賊たちを押し戻している奴がいるらしい。ホルスが見に行くと、それはなんと女性警官である。
「なんと!女子おなごとは!これは ますます面白い、俺も相手になってもらおう!」
 そうして 真正面から構え合って初めて、ホルスはようやく婦警の剣の色に気づいた。
「おや?その剣は・・・。」
「怯むか!女だと思って侮るな!」
 ホルスと、その婦警との戦いが始まった。ホルスとて、ヴィクトル・ベッカーの元で佐竹織部から剣を仕込まれ、その後も道場破りで船の建造費を貯めてきたほどの剣豪である。もし正式な剣士試験を真面に受けたら、警察官級剣士クラスだろうと思われる。その彼が、互角に、しかもゆとりなく戦わねばならぬほどの相手は、早々いるものではない。
「お、なかなかやるではないか!」
「この船を守るのが私の務めだ!海賊行為は許さぬ!」
 ホルスの腕を以てしても、本当に手強い相手だった。少しでも隙を見せればやられる・・・。
 海賊たちも、大型商船の乗組員たちも、二人の戦いを固唾を呑んで見守っていた。
「すげー!あの親方を相手にして、あんなに戦ってる!」
「あんなの見たことない!あの婦警、強いな!」
 婦警はどんどん突っ込んで来る。ホルスは相手の手腕を見定め、自分の闘争本能が満たされると、相手との距離を置き、自らの剣を収めた。
「何故退く?!」
「あんたが、俺にとっては姪のような者だと知れたからさ。」
「姪だと?私は海賊風情に姪呼ばわりされる覚えはない!」
「その剣を持つ者は、自分の教え子だと俺の兄貴が言っていた。つまり、あんたは俺にとっては姪のような者に当たるってこった。さすが兄貴だ、これほど凄い剣士を育ておおせたか。」
「どういうことだ?兄貴とは誰なんだ?」
「俺の名はホルス。いつかまた会おう!」
 海賊たちを全員引き上げさせて、彼は去った。
 船に帰ってから、彼はしまったと思った。あの婦警もおそらくアレクセイを知っていよう。おめでとうと伝言を頼むのだった・・・。

 大型商船の船長が婦警の元に寄ってきた。
「いやー、お陰様で被害は全くありませんでした。本当にありがとうございます、春野警部。」

 その婦警こそ、アイユーブ警察学校で忍びの技を教えていた春野亜矢であった。現在は海洋警察で警部資格を取って任務に当たっている。
 この黒い剣を見て、あの海賊は自分の兄貴の教え子だと言った・・・。この剣を持つ者・・・アイユーブ警察学校・・・。指導員の誰かか、それともファイーナ姫・・・は女性だ。あの男は『兄貴』と言っていたから、姫ではない。あとは、加賀警視正?!そういえば、警視正は津沢衆から剣術を学んだと言っていた。そういえばあの海賊の太刀筋も津沢衆に通じるものがあった。この船はこれからライランカに寄港する。上陸したら、尋ねてみよう・・・。

「うん。ホルスは、いかにも私の弟だ。」
 警察学校時代には加賀篤史と名乗っていたクファシル公卿は、あっさり認めた。そうして、以前アレクセイたちに話したこともある自分の生い立ちを亜矢に話して聞かせた。(* 白樺編 二.マコトの記憶 を参照されたし。)
「そうだったのですか。警視正には何か違うものを感じておりましたが。」
「あいつは無国籍を通しているからな。しかし、根は良い奴なのだ。時々船を襲うのは、自分や乗組員の闘争本能を満足させるためで、決して犯罪行為はしない。分かってやって欲しい。」
「そういえば、彼の腕は相当なもの。被害があってもおかしくなかったのに。むしろ戦うこと自体が目的だったとすれば、それも納得できます。」
「ホルスには、あの似顔絵も渡してある。案外、力になってくれるかもしれん。」
「クファシル公卿殿下・・・。どうもありがとうございます。」

二.謎の用心棒

 それから数ヶ月が経ったある日、ホルスは、ターコイズの港で燃え残ってボロボロになった船を見た。
「何でぇ、こりゃ?これじゃ、海賊船じゃなくて、幽霊船じゃねぇか。」
「あーぁ、ほんとにえれー目にあっちまった。乗組員たちも全員半殺しで、もう抜けるって奴がほとんどだ。俺もとうとう年貢の納め時かもしんねぇ。自分がされてみて、初めて分かる。ひでぇことしてきたんだな、俺。・・・本当に愚かしい悪夢だぜ。」
 船主は項垂れた。この船主、実はそれこそ本当の海賊である。思いつくだけの悪事を重ねてきていた。この男にとってみれば、ホルスは同じ海賊仲間であり、割と普通に話せる相手だったのだが。
 船主の話によると、いつものように商船を襲ったのだが、それが運の尽き。その船にはとてつもない腕の用心棒がいて、逆に押し戻されたばかりか、乗組員たちは半殺し、船にも火を放たれて、命からがらここまで戻って来たというのである。
「ほほう、海賊相手にそこまでやれるとは。なかなかいねぇぜ。どんな奴か、一度お目にかかりてぇもんだ。」
「冗談じゃねぇ!いくらあんたでもあの男は無理だ。やめとけ。」
「で、その船の名は?」
「ボイド・ポセイドン・・・。あぁ、もう思い出すだけで恐ろしいぜ。・・・」
「ボイド・ポセイドン・・・。」

 ところが、である。そのボイド・ポセイドン号に、数日後ホルスは遭遇した。無論、そのまま通りすぎれば何も起こらないはずだった。だが、根っからの剣豪のホルスは手強い用心棒と聞けばやり合いたくて仕方がない。乗組員たちにこう言い渡した。
「今回は、俺ひとりで行く。誰も手出しなんねぇ。そして、もし俺が負けたら、ジャッカル、お前のテレポートで船ごとターコイズまで飛べ!そのあとはお前に任せる。」
「そんな、ホルス!」
 妻のノアが泣きそうな顔をする。
「やめて!お願い!」
 部下たちも口々に止める。しかし火がついた好奇心は止められない。ジャッカルは黙っていた。彼は、もしホルスが殺されそうになったら、彼の意に反してでも、強制的に彼を引き上げさせるつもりだったのだ。

 ホルスはボイド・ポセイドンに乗り込んだ。当然、自衛警備団が出てくるが、やはりそれでは到底物足りぬ。彼の目的はただ一つ!
「やい、用心棒!さっさと出てこい!俺はお前とだけ戦いたいんだ!」
 だが、最後に出てきた顔を見て、ホルスは驚いた。
「お前は?!」
 それは、いつかクファシルから渡された似顔絵と非常によく似た男だった・・・。

「おい、お前!名は何と言う?言え!」
「うるさいっ!この船の邪魔をする者は許さぬ!」
 男は剣を向けてくる。恐ろしいほどの速さだ。並の剣士なら、瞬間的にやられている。
(ん?この太刀筋、どこかで・・・。そうか、この間の婦警に似ているんだ!)
「おい、名前は何と言う?教えろ!」
 その時、横から別の声が答えた。
「海賊さん、その人にはいくら名前を訊いても無駄ですよ。その人は記憶を失っているのです。
 私は、この船の船長です。どうやら貴方の目的はこの人だけのようですね。他には目もくれない貴方を見込んでお話ししましょう。・・・アルベルト、剣を退いていいですよ。」
「しかし・・・。こいつは!」
「おそらく大丈夫です。そうですよね、海賊さん?」
「おう!俺はただ強い奴と戦えりゃ他にゃ興味はねぇ。だが、こいつの顔を見て、目的が変わった。こいつを探してる人がいるんだ。貰った似顔絵よりは少し年がってるようだが、まず間違いねぇ。証拠はその太刀筋だよ。しかし、記憶喪失とはなぁ・・・。」
 ホルスは剣を鞘に収めた。これ以上は戦わぬという意思表示である。
 アルベルトと呼ばれた用心棒は黙っている。代わりに船長が話し続ける。
「この人は、十五年ほど前、誰もいない砂浜で倒れているところを、うちの乗組員が見つけて介抱したのです。でも、どうしても自分が誰で、何故そこにいたのかも分からんというので、とりあえずうちの船に乗せてみたら、いや、強いの何の。それで、用心棒になって貰ったようなわけで。」
「そうだったのか。それなら、こいつを俺に預けてくれんか?心当たりがある。」
「お前、海賊だろ?信用出来るもんか!俺をこの船から離しておいて襲わんとも限らん。」
 用心棒が言った。
「ま、そう思われても無理はねぇな。だが、俺は是が非でもお前をある人に引き合わせねばならん。悪いが、少しの間だけ付き合って貰うぜ。いいよな、船長!それとも、この男の記憶を放っておいて、生涯用心棒のままにしておく気かい?そりゃぁ、非道ってもんだぜ。」
 船長はホルスを見つめた。この海賊、綺麗な目をしている・・・嘘ではないようだ。
「わかった!連れて行くがいい。」
「船長!」
 男は動揺した様子だ。
「だが、もしその心当たりというのが違っていたら、必ずこの船に戻してくれ。約束できるか?」
 この言葉で、男も船長の真意がわかったらしい。微かだが笑みが浮かんだ。
「あぁ、約束しよう。俺はホルス・ジルティガー。俺の名と我が船ローズナイトの名に賭けて、もし人違いだったら必ずこの船に戻す。もっとも、この男は自分の意に反した拘束などすぐに外してしまうだろうがな。
 ・・・そういう訳だ。お前の身柄はしばらく俺が預かる。決して危害は加えんし、いつでも帰してやる。だが、もしお前の帰りを待っている者たちがいるとしたら、そのままで良いはずがねぇ。そうだろう?
 それでも俺が信用出来ねぇっていうんなら、とりあえずの目的地を教えてやろう。ライランカの湖畔宮殿にいるクファシル公卿に会うのさ。」
 船長と用心棒は驚いた。ライランカの湖畔宮殿だと?海賊と王室に、どんな繋がりがあるというのだ?!

三.ローズナイト号

 ホルスが船に戻ると、すぐさま彼に抱きついてきた者がいる。女房のノアだ。
「ホルス!よかった!もう、心配したのよ!本当に無事でよかった!」
「ノア、心配かけてすまなかったな。だが、今は抱きつくのは止めろ。客人がいる。」
「あっ!ご、ごめんなさい!あら?・・・この人・・・。」
「そうだ。マコにいから頼まれてる似顔絵にそっくりなんだよ。船長の許可をもらって連れてきた。記憶喪失なんだってよ。厄介なことになっちまったが、しょうがねぇな。
 用心棒さんよ、俺の女房だ。」
「記憶喪失・・・。」
 ノアは、用心棒を見た。
「なんだよ。ジロジロ見るな。それに、さっきからずっと聞いてりゃあ、用心棒用心棒と!俺にもアルベルトって名前があるんだ!」
「だが、そりゃあの船長が付けただけだろう?ま、折角だから、身元が分かるまで、その名前で呼んでやろう、アルベルト。」
「けっ!」
 アルベルトは、嫌気がさした。まさか自分が海賊船なんぞに乗るとは思ってもいなかった!

「まず電報打たねぇと。こっち来い。」
 その途中の廊下に大きな掲示板があった。
「これを見ろ。お前と瓜二つだ。俺がお前を連れて行く理由がこれだ。事のあらましは、あとだ。まずは電報を打つ。」
「これが俺・・・。」

「リヤード、電報一本頼む。宛先は、ライランカの湖畔宮殿、クファシル殿。
 ニガオエノオトコ ミツケタ キオクソウシツ ライランカニツレテイク ホルス、以上。」
「アイアイサー!」
 通信士らしき男は言われた通りに電報を打った。
「・・・話は本当だったんだな。疑って悪かった。」
「まぁ、分かってもらえりゃいい。ライランカへは三日ほどかかるな。そのあいだに、俺の昔話をしてやるよ。俺たちが何故そこに行くのかも分かるだろう。」

 彼らは操舵室に入った。
「あ、親方!ご無事で!よかったー!」クルーがそう言いながら集まってくる。
「あぁ、みんな心配かけて悪かったな。こいつはアルベルト。大事な客人だ。しばらく乗ってもらう。」
「親方、その人は!似顔絵の人じゃないですか!」
 どうやら、この船の全員、あの似顔絵を知っているらしい。それもそうか・・・。アルベルトは胸をなで下ろす。もちろん油断はならない。だが、だんだんこの海賊の話が本当らしいと思えてきたのである。
 ホルスが叫ぶ。
「進路変更!本船はこれよりライランカへ向かう!」
「アイアイサー!」

 この船には海賊らしさがあまりない。乗組員はきちんとセーラー襟の海賊服に身を固め、隅々まで掃除が行き届いている。各々が剣を下げている事以外は、まるで一般商船のようだ。
 ホルスは彼を船長室に通し、真新しい赤ワインのボトルのコルクをナイフで引き抜いた。
「まず言っとくがな、俺たちは略奪なんてゲスなことには興味ねぇ。ただ、時々はものすごく強い奴と戦いたくなるだけよ。そこんとこは分かれよな。この船の建造費だって、俺が道場破りで貯めた金だ。血で染まった金じゃねぇ。」
 ホルスは笑った。
「それじゃ、本題といくか。・・・」

 昔、ヴィクトル・ベッカーという環境設計家がいた。彼は、世界各地の孤児院から一人ずつ子供を引き取って、自分の理想のために子供たちに知識と技術を叩き込んだ。世界平和と環境との共存だ。そのうちの一人がマクタバ人の俺。
 ホルスは元々の名だが、ベッカーという名前じゃ迫力がねぇから、ジルティガーと名乗ることにした。強そうだろ?
 だけど、マクタバは砂漠の中に点在するオアシス連合国家だ。皇帝も、たまに起きる揉め事の仲裁をするくらいしかすることがない。
 もともと船で海に出たかった俺は、道場破りで金を貯めてこの船を作った。国家なんて厄介なものに振り回されたくなかったから、無国籍でな。周りからは海賊呼ばわりされてるが、そんなことはどうだっていい。ただ、世界中いろんなとこに行って、旨いもん食って、いろんな人と会って、強い奴と戦えれば満足なんだよ。
 しかし、俺にも信念がある。非道なことは大嫌いなんだ。醜くて儚いもんだぜ。
 ということで、俺には血の繋がらないきょうだいが幾人かいる。ライランカの湖畔宮殿にいるクファシル公卿というのも、俺の兄貴だ。もともとは、内密に皇帝の補佐をしながら、オルニアで警察官をやってたんだが、ライランカの姫さんと結ばれちまってよ。こっちが驚いたぜ。
 お前そっくりの、あの似顔絵も、その兄貴から尋ね人だと言われて渡されたもんだ。詳しいことは知らないが、お前の顔を見て、俺が驚いたのは、そういう訳だ。

 それから、客室に案内するというので、ついて行くと、途中で十二、三歳くらいの男の子に会った。
「馬鹿野郎!俺が許可する以外は上には出てくるなと言ってあるだろうが!」
 ホルスが叱りつけた。
「だって、たまには親方に会いたいんだもん。」
 その子が言った。
「おや、この船は子供も乗せるのかい?」
「乗組員たちの家族だ。一緒に暮らさせてやらねぇと、男どもが悪さを起こすかも知んねぇからな。俺も女房と一緒だし、自分だけ夫婦で一緒にいるというのも気が引ける。下には学校もあるぜ。なんたってこの船は由緒正しい船なんだ。子供たちにもそれなりの職に就いて欲しいのさ。
 それにしてもシリウス、お前は医者になりてぇんだろ?俺なんかに会いに来る暇があったら、勉強しろ!勉強!」
 ホルスはアルベルトに背を向けて、子供を下へと続く階段へと誘導しながら言った。
「ほう、海賊に『由緒正しい』があるのかい?」
「なんとでも言え。・・・しかし、考えてみりゃあ、お前にも似顔絵を配ってまで探している者がいることは確かだ。もしそれが人違いでなかったら、会わせてやりてぇなぁ。」
「・・・。」
 俺を探している奴とは、一体どんな奴なんたろう。そもそも俺は何者なのだ・・・。

四.滝つぼ

 ホルスから電報を受け取ったクファシルは、すぐさま海洋警察ライランカ支庁に飛んだ。支部長に面会を求め、挨拶もそこそこに本題を切り出す。
「実は、かねてから春野君が探している人物が見つかり、以前話したローズナイトという船でこちらに向かっているらしい。
 忙しいこととは思うが、春野君を今すぐにでもライランカに呼び寄せられないか?一人の一途な女性の幸せがかかっている。何とかお願いできぬだろうか?」
「そうですか!あの春野君の希望が遂に叶うのですな!早速現在位置と予定を調べさせます。」
 支部長も、春野亜矢のことはよく知っている。本庁のマーベラス長官からも便宜を図るよう指示されているし、それに王室のお声掛かりもあれば、大っぴらに動いても問題はなかろう。
「しかし、気になるのは、弟が『キオクソウシツ』と打ってきていることだ。再会して、すんなり解決とはいかんかもしれん。」
「そうなんですか。記憶喪失とは、厄介ですな。」

 その日、春野亜矢はライランカから直接無線が届くほど近い海域で、商船を護衛してきていた。ライランカ支庁から無線連絡を受ける。
「春野君か?クファシルだ。聞こえるか?」
「えっ?クファシル公卿殿下?何故この無線を?」
「春野君・・・落ち着いて聞いてくれ。」
 無線機の向こうで、相手がひと呼吸置くのが分かった。
「ホルスから、似顔絵に似た男を見つけたと知らせてきた。今ライランカに向かっているようだ。調べてみたら、あと三日ほどで着きそうな位置にいる。それがまだ君の許嫁本人かどうかは分からない。だが、君に会わせてやりたい。
 いいか、くれぐれも無事にライランカまで来るんだぞ!こういう時に事故は起こりやすい。絶対に来い!
 それから・・・彼はどうやら記憶喪失らしいのだ。覚悟して来るんだ。わかったね?」
 さすがの亜矢も言葉を失った。
 隼・・・彼が見つかった?とうとう会えるのか?!だが、記憶喪失だと?!私を忘れているというのか!
「春野君!気をたしかに持て!こちらに着くまで、とにかく任務を全うすることだけを考えろ!あとは、私が手配しておく。幸運と無事を祈る!以上だ。」
 クファシルからの無線は、そこで切れた。亜矢は、その場にへなへなと座り込んでしまった。同僚のマティスが慌てて彼女を支える。
「春野君!」

 亜矢を乗せた船は、何事もなくライランカの港に接岸した。隣には見覚えのある黒い帆船が停泊している。これは、このあいだの・・・?!
「春野君!こっちだ!」
 港の中央に、クファシルとホルスが並んで立っていた。
「よぉ、婦警さん。似顔絵の依頼主がまさかあんただったとはな。・・・全く奇遇だぜ。」
 ホルスが言った。
「貴方は・・・その節は、クファシル殿下のお身内とは知らず、失礼いたしました。春野亜矢です。」
「良いってことよ。海賊を取り締まるのは警官として当然のことだ。だが、これからが問題だぜ。これから顔を確認してもらうが、その男は記憶を失くしている。あんたを見ても分かるかどうか・・・。気をたしかに持って会うんだな。」
「はい。」
 亜矢は覚悟を決めて来た。とにかく会わねばならぬ。
「ジャッカル!」
 ホルスが、ローズナイト号で待機していたジャッカルを呼んだ。
 ジャッカルと共に歩いてくる人物がいた。・・・
「隼・・・!」

 亜矢は、ゆっくり近づいた。その顔を確かめながら、これまでの時間の中を泳ぎながら、目の前まで歩いた。頬に手を当てようとする。
「お前、誰だ?」
 男は亜矢の手をよけた。亜矢は手を下ろした。やはり記憶がないのか?私を忘れてしまっているというのか?
「隼・・・。私はお前の許嫁だ!本当に忘れてしまったのか?!」
「悪いな。覚えてねぇんだよ。何もかもが闇の中だ。何か証拠があるのか?」
 言葉遣いまで変わっている・・・。証拠といえば・・・そうだ!
「隼・・・右の鎖骨あたり、肩口を見せてみろ。赤アザがあるはずだ。」
 彼は、服を肩口だけ脱いだ。そこには彼女が言う通り大きな赤アザがあった。表からは見えないこのアザを、この女は知っている・・・。今、俺の目の前で涙を溜めているこの女は、本当に俺の許嫁だというのか・・・?

「どうやら、間違いはないようだな。」
 ホルスが言った。
「アルベルト、お前の本当の名前は、ハヤブサというらしいぜ。この婦警さんは、ずっとお前を探し続けてきたらしい。ま、今すぐに思い出せと言っても無理だろうが、しばらくはそばにいてやれ。」
 その男・ハヤブサは、夢見心地で聞いていた。ハヤブサ・・・それが俺の名?目の前にいるのが許婚?・・・やはり分からない。だが、彼らは嘘をついてはいない。それだけはわかる。
「春野君、マーベラス長官には、私からすでに一ヶ月間の有給休暇を頼んである。君のことだ、何かしら策を考えてあるのだろう?どんなことでもいい、やってみなさい。」
「クファシル殿下。・・・それなら、ひとつお願いがございます。私と彼を、オルニアに行かせて下さい。荒療治になるかもしれませんが。」
「しかし、まさか海賊船に婦警さんを乗せてやるわけにはいかねぇしなぁ・・・。」
 ホルスが頭を掻いていると、横にいたジャッカルが口を開いた。
「私がテレポートで飛ばしましょう。正確な地点を教えて下さい。」

 彼らがテレポートされて消えると、クファシルがジャッカルに礼を言った。
「ありがとう。上手くいくといいのだが、」
「きっと上手くいきます。あの人の思いは強い。彼にそれがわからぬはずがありません。たった三日付き合っていただけですが、彼は勘が鋭い人です。クファシル殿下、あのお二人は生まれついての忍び・・・ですよね?」
「何?」ホルスは驚いた。
「それじゃマコにい、あの二人も織部さんと同じだってぇのか?!」
 クファシルは答えた。
「あぁ。元々の『忍び』だということでは同じなんだ。ただ、織部さんとは同じ一族ではないらしい。」
「そうだったのか。俺はてっきりあの婦警さんの剣はマコ兄の直伝かと思ってたぜ。」
「とんでもない。彼女のほうがはるかに上だよ。今もし真剣に立ち会ったら、僕のほうが負けるだろうな。」
「マコ兄・・・。」

 二人は、故郷の村から少し離れた川岸に飛ばされて来た。さらに、そこへの道は獣道しかないので、人気ひとけは全くない。
「ここが私たちの故郷だ。見覚えはないか?」
「ないな。それよりも、お前の名前を教えろ。呼びようがねぇ。」
 女は彼を見た。
「そうか、思い出せぬか。ならば、思い出すまで待ってやる。来いっ!」
 女は、彼を滝が川に流れ込むところまで引っ張ってきた。そのまま滝の裏へと入っていく。
「ここは・・・。」
 男が辺りを見回すと、そこは小さな洞窟のような空間だった。女は服を脱ぐ。
「な、何をする?!」
「隼・・・。本当に覚えておらぬのか!お主はここで私を抱いたのだぞ!」
 女はどんどん近づいてくる。男は思わず後ずさりした。そうして、突然目の前の光景が変わり。体がふわっと浮かんだ。滝から落ちていく。
「しまった!」女の声が聞こえた。
 水の中で、彼の体はもみくちゃになり、回転しながら流されていた。と、その中に浮かんだ顔がある。
「かえ・・・で・・・」
 彼の意識はそこで一旦途絶えた。

 目を覚ますと、女が裸のまま心配そうに自分を見ていた。川岸だった。
「大丈夫か?まさか手練れのお主が流されようとは思わなんだ。許せ。」
「かえで・・・。」
「隼?お主、今、何と言った?!」
「お前は楓・・・俺の許婚だ!そうだよな!」
 彼女の目から涙がこほれ落ちた。
「やっと思い出したか、この馬鹿!馬鹿!大馬鹿野郎!・・・」
 女は男の胸を幾度も叩いた。涙が止まらない。
「楓・・・。心配かけたな・・・。」
 隼は、彼女をきつく抱きしめた。

 暫しの後、亜矢はようやく泣き止んだ。。そのあいだ隼は彼女をずっと懐に抱きすくめたまま動かずにいた。
「これからどうする?先ずは村長むらおさの所に行って、事の次第を報告せねばならぬな。」
「だが、服が濡れたままではまずい。乾くまで暫し干しておかねば。」
 隼は亜矢を抱え上げて洞窟に連れて行った。先ほど亜矢が脱ぎ捨てた服の隣に、自分の服を並べて広げる。
 薄暗い洞窟の中で許嫁二人が共に裸でいれば、まとまった時間の過ごし方は自ずと知れている。二人は互いを求め合った。
 生き別れてから、十六年の月日が経っていた・・・。

五.月明かりの窓辺で

 三時間後、二人は村長むらおさに会いに行った。村長は代替わりして息子が後を継ぎ、忍びから遠退いて従業員を多く抱える大規模な稲作農家になっていた。今の当主は二人を見ると、たいそう驚き、また懐かしがってくれた。
 二人はそこで互いにこれまでの経緯を話し、改めて十六年の月日の長さを感じた。
「それでは、その制服は本物なのだな。」
「はい。紫政帝陛下には、本当にお世話になりました。私と桔梗は今、正式な警察官です。」
 彼らと幼馴染みの桔梗は、彼女と同じく警部資格を取ってアイユーブ警察学校で指導官になっている。
「そうか。真っ当な職を得ているのだな。して、隼、そなたはこれから如何に生きていく所存か?また船の用心棒か?それでは二人また離れ離れではないか。」
 隼は、少し考えてから答えた。
「私も今楓の話を聞いたばかりで、自分の将来のことはまだ決めかねますが、できる限り楓のそばにいてやりとうございます。そのことを優先して生業なりわいを決めようかと。」
「隼・・・。」
 楓=亜矢は、胸を熱くした。やはりこの人は変わってはいなかった・・・。
「それで、二人とも今日はどうするのだ?よかったら、一晩泊めてやってもよいが。腹も減っておろう。」
「いえ、お気持ちだけで十分でございます。お世話になった方々がライランカで待って下さっているはずですので。」
 亜矢は、クファシルとホルスに何かしらの連絡を付けなければならないと思った。すべてはそこからだ。

 それから、二人はオルニアの首都・湯井岡市に来た。忍びの脚では、村から湯井岡市まで二時間もあれば着いてしまう。
「これから、どうするのだ?」
「明禅館に行く。紫政帝陛下には、本当にお世話になった。一時は戸籍係に置いていただいたこともある。お礼のご挨拶をせねば。また、クファシル殿下とキャプテン・ホルスにも、お主が記憶を取り戻した旨のご報告をせねばならぬ。」
 実は、その紫政帝は今この世にはいない。彼は一年前に亡くなり、皇太子だった風馬が、玄洋帝と号して即位している。亜矢が名前を名乗って謁見を求めると、すぐに謁見室に通された。
「亜矢!久しぶりだな!・・・二人いると聞いて、もしやと思ったが、遂に会えたのだな。本当におめでとう!」
「はい!両陛下のお陰を持ちまして、この度めぐり会うことができました。心より感謝申し上げます。」
 亜矢は膝をつき、深々と頭を下げた。隼も彼女に合わせて礼を尽くす。
「そうか。父が生きていたら、さぞかし喜んだことであろう。
 さて、隼とやら、その顔をよく見せてくれ。亜矢は、君をずっと探し続けた。その一途な思いを君は生涯かけて受け止めなければならぬ。君にそれが出来るかな。」
「陛下・・・。」
 その時の隼の顔を、亜矢は生涯忘れまいと思った。強い決意と優しさに満ちた男の顔だった。
「亜矢は、私を待ち続けてくれました。世界中の海を巡ってまで探し続けてくれました。その強い思いは、私にとってかけがえのない宝です。私は、彼女との結婚を望みます!」
「隼、よくぞ申した!それでこそ、亜矢が惚れぬいた男よ!この玄洋帝田所風馬、君たちを心より祝福しよう!」
「陛下・・・ありがとうございます。」
「そうと決まれば、早速結婚式の支度を整えなければ。
 まずは、隼、君も一般戸籍に入れなければならぬ。名前は、実は父がもう決めてある。烏丸徹からすまとおる・・・で、どうだ?同じく鳥の名を含み、何事もやり抜く徹底の徹と書く。」
「紫政帝陛下は、そこまでお決めになっていたのですか!」
 亜矢は、改めて老帝の懐の深さを思った。その死に間に合わなかったことが心から悔やまれる。
「玄洋帝陛下、ライランカのクファシル殿下にも、お礼とご報告をしたいのです。お電話をお借りできますでしょうか?」

 クファシルは、電話口でたいそう喜んでくれた。
「本当におめでとう!ホルスとアリョーシャ、レオにも伝えるよ!
 どうやったかは聞かなくてもよいが、こんなに早く記憶を取り戻せたとは。早速結婚式だな!可能なら出席させて貰いたい。」
「ありがとうございます。本当に皆様のお陰でございます。お礼の申し上げようがございません。・・・ファイーナ様にもお知らせ致しとうございました・・・。」
 亜矢はまた泣き出しそうになるのを堪えた。
「大丈夫だ、春野君。ファーニャも今、私と共に聞いているよ。私の中にいるのだからな。」
「クファシル殿下・・・。そうですよね。玄洋帝陛下が、式の支度をして下さるそうにございます。殿下におかれましては、どうかそれまでお待ち下さいますよう。」
「わかった。彼にもよろしく伝えてくれ。結婚式の詳細が決まったら、また連絡してくれたまえ。」
 久しぶりに聞く、かつての警察学校の校長の言葉遣いであった。クファシル殿下はわざとその言葉遣いをして下さったのだろう、と彼女は思った。

 その夜、二人の宿泊室には明禅館内の客間があてがわれた。
「しかし、船に乗って海外を回っていたのでは、道理でいくら探しても見つからぬはずだ。しかも記憶喪失ときている。」
 亜矢と徹は浴衣を着て、月明かりの窓辺で寄り添っている。
「本当に苦労をかけたな。あの当時、俺はウユニの地図を作れという命を受けていた。ところがウユニはその時々に応じて空間構成が変化してしまう。ならばと切り立った崖を登って城に入ろうとしたところ、そこから海に落ちたらしい。
 そこを運良く通りかかって、拾って用心棒にしてくれたのが、ボイド・ポセイドンという商船だったのだ。
 キャプテン・ホルスは、なんだか強い用心棒がいるというので、挑戦しに来たらしい。だが、俺の顔を見て、心当たりがあるからとライランカに送り届けてくれたのだ。
 本当に、出会いというのはありがたいものだ。きっとそれも、お前がずっと俺を探し続けてくれたお陰なのだろうな。
 しかし、ウユニに行く前にお前を抱いて、果たしてそれで良かったのだろうかと、今になって思う。あの時、俺はお前が偵察かなんかに行かされて、もし誰かに身体を奪われでもしたらと、まだ初々しかったお前を半ば強引に抱いた・・・。重荷になってやしなかったか。」
「何を申す、決してそんなことはない!そんなことを考えていたのか、馬鹿!あの日があったから、私はここまで来られたんだ。隼・・・いや、徹・・・これからはずっと一緒だ!離れるでないぞ。」
「そんな台詞は、男に言わせろよ。・・・亜矢、本当に、ずっと一緒にいような。今までの分を取り返すんだ。」
 そうして話しているうちに、亜矢の体が重くなった。顔を見ると、いつの間にかすやすや眠っている。
 徹は彼女の頬に手を触れた。瑞々しかった肌は柔らかく熟れて年齢を感じさせる。こいつは俺のために方々を探し回った。どんなにか辛かったことだろう・・・。
 それが安心して一気に疲れたんだな。今日はいろいろ有りすぎた。
 記憶喪失の俺と会って、村まで帰って、滝に落ちた俺を助け上げて・・・ん?待てよ。俺が記憶を無くした時と今日、どちらも高いところから水の中に深く沈んで意識が無くなるという点で同じではないか?!
 もしかしたら、俺の記憶が戻ったのは、同じ体験、それも命に関わるような臨死体験が起きたせいなのだろうか・・・。

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