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キツい言葉や過激な意見、見たくないのは甘えでしょうか。

どうも、「普通になれなかった人間」シンリです。

実は私には、どうしようもなく苦手なものがあります。
それが、タイトルにある「キツい言葉」や、「過激な意見」です。

(この「苦手」が指すところは、「自分がそれをするのが苦手」ではなく、「それを見る・聞くのが苦手」という意味です)

ふと周りを見渡せば、そういうものはいくらでも、世の中にゴロゴロと転がっています。
他者を、特定のグループや国を、時には自身を。
過剰なまでに責め立て、強い言葉で主張を繰り返す人の、なんと多いことか。


例えば、政治批判などは右も左もどっちもひどいと思っていますし、
フェミニストと反フェミニストの対立えげつないものだと思っています。
某国を異様に毛嫌いする方々もいらっしゃいますよね。

……まあ、そういう社会問題とかの壮大な話は、ひとまず置いておくとして(今回の主題はそこではないので)。
もうちょっと身近なところを例に出しますね。

すぐ「ゴミ」とか「クソ」とか、「死ね」とか「カス」とか「クズ」だとか言ってしまう人。
ネット上でも現実でも、どこにでもいますよね。
(上記の、社会問題などに言及する人たちにも、結構多いような気がします)

はっきり言って、こういう強い言葉が本当に苦手なんです。
かつていじめられっ子だったことや、HSP気質っぽいことも、その苦手意識に関係してるのかもしれません。

たとえ言われているのが自分でなくても。
言われている者に非があったとしても。

聞いていて気分がよろしくないというか、しんどくなってしまうというか。
そういう事、ありませんか?

たとえその主張が正当なものであっても、キツい言葉が使われている、それだけで支持したくなくなってしまうのですよね。

noteを見ていても、そのようなあちこち尖った、読んでいて苦しい文章が時折見受けられます。
書いていて苦しくないのかな、と思ってしまうような。
それとも、苦しいからそう書いてしまうのかな。

そもそも、そういう方は、人に読ませるためでなく、自分のために書いているのかもしれませんね。

いえ、もちろん、自分のために文章を綴ること自体は否定しません。
他ならぬ私だって、自分の思考をまとめたくて、記事を書いているに過ぎませんから。

ただ、いくら自分のための文章であっても、公開する以上は、
「誰かが目にする可能性のあるもの」だという認識は持っていただきたい
な、と思うことがありますね。

正直、私も「心がけている」だけであって、全然完璧にはできていませんし、
時には誰かを苦しめることを言ったり書いたりすることもあるかもしれません。

それでも、少なくとも不特定多数の人が目にする可能性のあるnoteでは、
なるべく、過激で乱暴な言葉は使わないように心がけています。


それに、読者に感謝することを忘れないでいたいなって思っています。
読み終わったあとに後腐れしないような書き方をしたいなと思って、色々考えてたりもしてます。

まだまだ、完璧にできているとは言えませんけどね……(小声)

noteに限らず、TwitterでもFacebookでもInstagramでも同じですが。
公開(送信)ボタンを押す前に、一度読み返してみて、自分がしんどくないか。これから読む人がしんどくならないか。

そうした事をちょっとだけ考えてみてから、投稿するようにしてもらえたら嬉しいなあ、と思うのです。

綺麗事だと思いますか。うるさいと思いますか。
ちょっと鬱陶しいかもしれませんね、ごめんなさい。

本当に、自分に向けて発信された訳ではないはずの言葉や文章で、傷つくことが少なくないのです。
文章を読むのは好きなのに、時々、文章を読んだせいでしんどくなってしまうのです。とんだ皮肉です。

まあ、単純に私が普通の人より傷つきやすいだけ、という可能性も大いにありますが。
そうだとしたら、それは、本当に私だけが悪いのでしょうか?

……ちょっと、愚痴っぽくなってしまってごめんなさい。気が弱ってるのかな。
こんな話を、ここまで読んでくれてありがとうございます。

noteの書き方ひとつでも、ほんの少し世界は平和になるかもしれません。
世界平和は言い過ぎかな? ……でも、私のような傷つきやすい人が、少しだけ生きやすくなると思います。多分ね。

それに、キツい言葉を使うと、結局傷つくのは自分だと考えているので、
私は、私も傷つきたくないけど、キツい言葉を使う人自身にも傷ついて欲しくないなって思うんです。

この記事が、誰かの言動を見直すきっかけになりますように。
無為に傷つく誰かを減らせますように。

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