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価値を探していた《幼少期編》


自信を扱うコーチとして今は活動しているけど

振り返ってみると私の人生は
自分の価値を探すことに
時間をたくさん使ってきたと思う。

それはもう、長い間。笑



【 自分の価値は自分で決めていい 】

ここに辿り着くまで
すごく遠回りをしてきた。

もうちょっと早く気付けていたら
もうちょっと早く楽になれたかもしれない。
という思いがあって

今、自分の価値がわからなくて
探している人にも、

価値を探し求めることに一生懸命だった
過去の自分にも、

伝えたい!!!
と思ってこのnoteを書いています。


"自信を扱うコーチ"
と名乗ることになるなんて
1ミリも思ってなかったなあ〜


ちょっと長くなりそうですが
読んでもらえたら嬉しいです💕



《 幼少期編 》


愛情表現が下手で怒るスイッチが謎
仕事に忙しい父

家のことと子どものことは全部やって
専業主婦だけどいつも忙しそうな母

スポーツも勉強もだいたいできる
やんちゃで自由な3つ年上の兄

ムードメーカーだけどかなりの負けず嫌い
ヘソを曲げると手に負えない(笑)2つ下の妹

その間の
あまり特徴のない手がかからず"いいこ"の私。


ごく普通の家庭だったのだけど
私は母の大変そうな姿を
ずっと横で見ていた気がする。



幼稚園〜小学校低学年の頃の記憶って

みんなどれぐらいあるのかな?

この頃の自分、何が好きだっけ?
って考えても私はあんまり出てこない。

色々と習い事をしていたけど
この中ではピアノが得意だったなーぐらい。

好きだったかどうかはあまりわかんないけど
それよりも浮かぶのは


上手にできたときのお母さんの嬉しそうな顔。
重要なパートを任された時に
お母さんにかけてもらった言葉。

お母さんに褒めてもらいたかった。
喜んでる顔がみたかったんだなあっていうのは

今でこそわかること。


そんな中、

幼稚園が一緒で同じマンションに住んでいて
習い事のほとんどを
同じ教室に通っていた友達がいた。

仲良しだったし、憧れだった。


その子は

周りの女の子がセーラームーンと
キューティーハニーとか言ってる時に
戦隊モノを好んで、

それを好きと言える姿が
当時の私にとっては不思議だった。

スイミングではどんどん上のクラスに行って、

バレエの発表会では存在感があった。



唯一、
ピアノだけは彼女よりもできる気がしていて
彼女よりも楽しく打ち込めていた。

長く続けられていたのは
それが私の自信となっていたからかもしれない。


それから小学校低学年ぐらいまで
私はピアノが得意って言ってた思う。

転校してその自信が急になくなった。

転校先の学校に
ものすごく上手な子がいて。
私とすれ違いで転校した子だから
会ったことはないんだけどね。


先生から話を聞いて


あ、勝てない


って思ったのを覚えてる。

周りの子もその子の上手さを知ってるから
比べられる気がして恥ずかしかった。


その辺から
私は色んなことに自信がなくなっていった。



これが得意ってものがあっても
自分よりもできる人が必ず現れる。



一番になれないとしたら

私の価値ってなんだろう?

お母さんは私のこと褒めてくれなくなる?

お母さんを喜ばせられない?


誰も、なーーんにも言ってないのにね。

私は生きる意味を考え始めてた。





幼少期編 おわり。


割と恵まれた環境だったはずだったし

誰かに言われたわけでもないのに

いつも自分よりもできる人がいることに気付くと
だから私には価値がない、と思ってた。


割と最近まで。


ナンバーワンになれること≠得意なこと

得意なことがある≠価値がある






得意なこと
=人よりも楽に頑張れたり続けられること

この世に生まれた瞬間から価値があって
自分の価値=自分の中にある


《思春期編》につづく。

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