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今日も五月蝿い君は

まだ2月だというのに小蝿が家に住み着いた。
いわく今年の、つまり3ヶ月先である未来の5月から俺のために飛んできたのだと言う。

なんでも俺の陰気は時空を突き抜けるほど強く、暗くて重くてかなわない、

俺が5月に来るのを待っていたらこの世が陰気で真っ暗になってしまうと世の行く末を案じたそうで、

自分が行ってなんとかしなければと、寒い中、自身の危険も顧みず勇者の如く身ひとつで、俺のところまで飛んできたらしい。

まったくご苦労なことである。

この小蝿が五月蝿くてかなわない。
俺が何かするたび思うたび、いや何もせずとも、ごちゃごちゃと文句をつけてくる。


「ご主人、あなたまた落ち込んでいるでしょう。
自分は軽く見られたとかなんとか
思っているでしょう?じゃなんですか?
ご主人は本当に軽いんですか?
どちらかと言うと大男の部類じゃあないんですか?私と張り合いますか?

私なんてホラッ。この通り!飛べちゃう位軽いですよ。ご主人よりはるかに!
見てください!見えます?分かります?
ここで改めてご主人に問いたい、あなたは本当に軽いんです…」

「五月蝿い!」

と、この有様。

「ここでの軽いはそういう意味じゃあないんだよ!まぁ、蝿には分からんだろうがな」

大声で嫌味を吐き捨てると、小蝿はやっと少し黙った。

少しシュンとした表情を浮かべる小蝿に罪悪感が湧いたが、でもすぐにまた騒ぎ出すのだ。

これくらい言わないと、自分ひとりで思考する時間が全く消えてしまう。

「ああ、春のお花の蜜が吸いたい…5月の皐月なんか最高ですねぇ」

小蝿がわざとらしく耳元で囁いてくる。

「買わないよ。俺は今、外に出たくない」
「はああ、お花のお蜜。春のお花だなんて、贅沢は言わないから、お花……お密……」

「五月蝿い!」

イライラして、吐き捨ててそのまま家を出てきてしまった。俺だって流石に分かる。小蝿は仲直りのきっかけを与えてくれたのだ。

花を買って帰った。黄色のフリージアという花に、緑の葉と霞草をあしらったブーケを差し出し、

「ほら。蜜だぞ」

ぶっきらぼうに贈る。まさか初めて花を贈る相手が小蝿になるだなんて、人生は全く何が起こるか分からない。
小蝿はブーンと飛んでくるなり

「まあ!まあまあまあ!ご主人。
これはなんて言う花ですの?
可愛らしいっ。素晴らしいお花ですわね!
陰気なこの家とご主人をパッと明るく照らしてくれる……!だからわたくしお花って大好きですの……!」

全く五月蝿いし、悪口めいていて気分が悪いが、お互い様なのでぐっと反論を抑える。じゃないとこの花を贈った意味がなくなってしまう。

「フリージアというらしい。好きなだけ蜜でもなんでも吸えばいい。頼むから少し静かにしてくれ」

ブーケを花瓶に生けて窓辺に置くと、もうずっと敷きっぱなしの布団に突っ伏した。

ペロペロと音が聞こえる。吸うと言っていたが、小蝿は蜜を舐めていた。
おまけに
「まっ、美味しい……!感動ですわ。まさか生きてるうちに冬のお花を堪能できる日が来るなんて。5月のお花も良いけれど2月のお花も良いですわねえ。陰気を辿ってご主人の元に辿り着いた時は、あまりの澱んだ暗さにどうしたものかと思ったけれど、なんでも取り組んでみるものですわねえ。ペロペロ。んっ美味しい。

まあでもまだまだやることは山積みですわ。まずはあの布団、一度干さないとカビが生えてしまいそう……いやもう生えているかしら。そして洗面所、お手洗い、お風呂のお掃除に、一度物を整理して要らないものは処分するのも大事ですわよねえ。とりあえず……」

この調子でペラペラと相変わらず五月蝿い。
そして合間にペロペロと蜜を堪能し、花の周りをブンブン飛んでいる。

ペラペラペラペラ
ペロペロ
ペラペラ
ブーン

五月蝿くてかなわない。とても寝れやしないし、考えが一向にまとまらない。

俺は布団から起き上がり、布団から布団カバーを剥がすと、布団を持ってベランダへ向かった。カバーは洗濯しようと思っている。

掃き出し窓を開けると、二月の冷たい空気に包まれた。部屋着だけでは、まだ外は寒い。
ベランダの手すりに布団をかけようと、気付かぬうちに下げていた顔を上げた。
午後の太陽が瞳を刺す。俺はうっと声をあげ、細めた目で空を見つめた。




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