散歩
海のそばを、私はずっとつま先を見ながら歩いていた。2歩ぐらい先に歩いている彼の背中を視界に入れたら見つめてしまいそうで、視線が熱を持ってしまう気がして、見ることも眺めることもできなかった。彼もまた、後ろを歩く私を振り返ることなく、前を向いて「お前次第だ」とひとこと言った。
私は迷っていた。自分のやりたいことが一体どこでできるのか、前に進んでも道があるのかどうかわからない。そんな中、ずっと下を向いて歩いていたときに掛けられたのが、その言葉だった。
その言葉は、冷たいわけでもなく、熱いわけでもない。私と同じ温度の体温を持った友人として、対等に私の想いや考えを尊重してくれたやさしい言葉だった。
帰省したタイミングで彼と会う約束をして、ご飯を食べた後はただひたすら歩いた。そういえば、よく彼とは散歩をした。歩きながらのほうがいろんなことをポンポンとリズムよく話すことができたので、気がつくと結構歩いていることが多かった。
海の近くにある公園に向かいながら、私たちの日常を悩ませたり楽しませるさまざまなことを話しながらずっと歩いていた。いろんなことを話しただろうけど、何を話したかはもう思い出せない。私がうだうだと迷い悩んでいる横で、彼はそのひとことを、ポーンと遠くまで届く山なりのボールのように、雲ひとつない青空に向かって投げた。
本当に、私次第だ。全部自分で決めることだ。
一人でできるんだろうか。やっていけるんだろうか。ほんとうは、涙が出そうだった。だけど、そんな不安も迷いも、全部ひっくるめて見守ってもらっているような気がした。心配されているわけではない。共感されているわけでも、寄り添ってくれているわけでもない。ただ、ちょっと離れたところから、行く末を見届けようとしてくれているような感覚。
それだけで、心強いことに気づいた。
これから先どんなことがあっても、自分で選んだことは間違っていなかったと思えるように、自分で選んだ道を正解にしようと思った。
そう思って、その日から何もつかめないかもしれなくても前に進めるようにともがき続けた結果、かたちばかりは自分のやりたいことができるようになった。
今でもあのときの選択が間違っていたか、正しかったのか、それは分からないけれど、私はあのときの言葉を、不慣れながらもキャッチできたと思っている。
彼はその時の言葉を、何気なく言ったのだと思う。けれどわたしは、そのひとことにずいぶんと背中を押してもらったし、ひとつ大きな覚悟ができた。悩んでも、苦しんでも、決めるのは自分だ。他人にこう言われたからとか、周りはみんなこうしてるからとか、そういうことで人生は決まらない。私の人生は、私が決める。そういう覚悟だ。
あの時彼と一緒に海を見た記憶は、ずっと私の中にある。
海は綺麗だったし、空も青かった。風も心地よかったし、すがすがしかった。あの一瞬、私を取り巻いていたすべてが追い風のように思える。
ついでに好きだったということは伝えそこねた。言葉にすることはできなかったけれど、それで良かったと今でも思う。もしかしたら薄々気持ちは伝わっていたかもしれないけど、知らないふりをしてくれていたかもしれない。何でも話せる関係だった2人をそのままでいさせてくれた。
今はもう連絡を取ることはないから、その思い出はそのまま風化されていく。だけれど私はときどき彼のことを思い出す。川に架かる大きな橋から、太陽に照らされて水面がきらきらしているのを見たとき、あの日見た海の青さも思い出す。それくらいでいい。あのときは、ほんとうにありがとう。
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