憧れと自我
「誰かや何かに憧れた瞬間、憧れられる人にはなれなくなる」とある人が言っていた。とても同意したけれど、でも特にある種の女性から憧れを奪ったら、大変なことになるだろうと思う。憧れは力だから。
江國作品の中の女性たちへの憧れがなければ、私は他人の物差しで自分や世界を測るようなつまらない人だっただろうし、言葉の美しさを知らないままだった。
それらはすなわち、世界が自分の目にこんなにも美しく映りうるということを知らないままだったであろうことを意味し、無論それは恐ろしい事態である。
倒れそうに甘いカクテルやバッハの世界、青い夕方、誰かと知り合うことの素晴らしさ、豊かな生活とは如何なるものか、本当に何もかもを知らないままだった。
あるいは、心が粉々になったとき、SEX AND THE CITYのキャリーみたいに「おしゃれしてヒールを履いて夢を叶えて、もっと自分らしく生きられる!」と自分を励まさなければ、今の仕事を始めていなかったし、立ち直りはもっと遅かった。(SATCの4人をもはや自分の友達だと思っていて、泣いてしまわないように、当時は絶やさずSATCを流していた)
自分の意思や好きなことに忠実なキャリーは、本当にすごいのだ。仕事で有名になって稼いでいるのに、靴や服を買いすぎているのに気づかず破産したエピソードが大好き。コーヒーさえもハイセンスなドレスで買いに行ってしまうし、いくらお金がなくてもタクシーで移動する。運動がきらいで、足元はほぼ必ず10cm以上のハイヒールだから。
キャリーのことが本当に大好き。自分に忠実でないと人生を楽しむことは不可能なのだと、キャリーから学んだ。この憧れは、私を確かに支えてくれたのだ。
とはいえ、大人になると憧れを叶える機会をもてるし、いい意味でも悪い意味でも足るを知ってしまうので、何かに憧れる気持ちが少なくなっていく。
でも、自分の力で叶えてしまった憧れが過去になり、それが自我になっていることに気づくとき幸福に思うので、やっぱり何かに憧れることなく生き抜くのは、私には不可能だと思う。
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