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挑戦する意義~自然、生物、起業

生物という自然を中心に、基礎研究を支援する事業を立ち上げているわけですが、事業立ち上げも、ある種、人間が作る社会という「自然」と向き合うことだなぁと最近感じます。

大学時代は、ダイビングでそれを強く感じました。部活でももちろん潜っていたのですが、フリーダイビング(素潜り)なんかやると、特に、感じます。

体調を完璧に整えても、海の中、特にうねりの発生なんかは、こちらの状態なんか関係なく起こる。結果、深く潜れないとか。記録、どこまで深く潜れるかがすべてじゃないとは思うものの、もちろん記録も意識してしまう。プールでいくら長く息を止めて潜っていられても、当然、海ではそんな風にはいかない。こちらが自然に合わせて潜るしかない。下手すると、タンクの酸素がないので、本当に死ぬわけですし。

大学・大学院で、クジラ・イルカの研究をしていた時も同じで、結局、クジラ・イルカのことが分かることなんてほとんどない。答えを探して研究するけど、「ここまでは辻褄が合うけど、これは合わない」なんてことが日常茶飯事。「わからないことがわかる」ということの連続なわけです。こちらは命はかかってないけど、暗中模索な苦悩に見舞われます。

そして、起業。市場が明確で、何かしら改善的なサービスや商品を提供する場合は、少し違うのかもしれませんが、何もない所から市場を創り、事業化していく。この過程では、予測不能な人間社会という「自然」が相手になってきます。共感して、前のめりに応援してくれる人、逆に、一般的に真っ当だと言われていることをベースに鼻で笑う人。ある種、何がスイッチになって、対面した人がそうなっていくのか、分からない部分がたくさんあって、人がどう思い、どう反応してくれるのかというのは、「分からない」ということが分かってきました。もちろん、分からないことが分かっても、楽しくない(笑)

じゃ、何が楽しいのか。何を基準に、自分が動くのか。ダイビングも研究も起業も、もちろんどれも同じではないけど、結局は、自分が最初に感じた、「自分を賭ける価値がある」と感じた直感、匂いだったと思い至りました。

もちろん興味のあるすべてのことに、限られた自分というリソースが掛けられるわけではないので、選択していくことを無意識にしていくわけですが、この直感や匂いは、うまく、それこそ論理的に説明できるものでもないし、否定されても結局は、挑戦することになる。もちろん、苦しいけど、何かに突き動かされて、そう動くことってあると思います。そして、そうやって動く時間を持てることって、実は、すごく幸せなことなんじゃないかなと思ったりもします。

長生きすること、お金持ちになること、高い地位や名誉を得ること。もちろん、年はともかく、どれももっていないので、すごくうらやましいことですが(笑)、本当に、血が沸き上がるような幸せ感、そいういうものを得られる時間は別のところにあると思います。匂いを感じて、動いている時間に。

消えていく時間のなかで、何を「自分の価値」にできるか、いつまでも探していくことが、そして、いつか見つけることが、「挑戦」する意義なのかもしれない。

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