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優しい人が損をする世界なんて

今日はnote投稿を初めてちょうど1ヶ月になる。
準備などは特にせずに、その日に思いついたことを2000字書き綴ってきた。言葉がまとまらなくて、結局何が伝えたいのかわからなくなる時も、今日は絶対これを書きたいと思える日も、自分の心や感情を言葉にすることに向き合うのはとても難しかったし、逃げ出したくなる時もあった。
日付を超えてしまう日も、寝落ちして夜中に投稿する日もあったので、自分の不甲斐なさに心底笑えてしまうが、これが飾らないありのままの私なので、いいかなとも思ったりする。

一年前の私であれば無理をしてまでも血眼にして必死に投稿していたと思う。過去の私は全くの真逆で、必死に毎日を生きていた。完璧主義だったのかもしれない。しかし、いろいろなきっかけが重なり、自分が今まで待っていた価値観が少しずつ崩れていった。それは人の優しさや頑張りを当たり前のように搾取する人たちに対しての憤りだった。

その時に思い知らされたのは『優しい人は損をする』ということだった。ただ優しいだけではなくて自分軸がなく、自己犠牲を伴う優しさを持っている人のことだ。私も以前はそっち側の人であった。自己犠牲の優しさは相手を優先すぎるあまりに、通常の感覚を忘れてしまっていた。相手と自分が平等であれば優しさやあたたかさはお互いを支え合うものになると思う。
しかしどちらかが大きすぎたり小さすぎたり、天秤が傾いている場合は、傾きが上にいる方が弱者になる。つまり知らないうちに負担を受け入れているということになる。
それは気がつかないうちに起きている現象で、誰かの為に私がしてあげたい。もしくは、その人の喜ぶ顔がみたいからという理由かもしれない。しかし自分を大切にしていないという背景があれば誰にでも起こりうる災難になると思う。
私の場合はその天秤の傾きに気がつくのが遅くて、限界を超えてしまうところでふと気がついた。

『相手を大切にすること』それはとても美しいことだ。しかし大前提に自分を大切にできていなければ、その人はそういう扱いを受けてしまう。自分を大切にできない人は相手にも大切にされないのだ。相手は自分の合わせ鏡なのだから。
実際に私は私のことが大嫌いだった。何の取り柄もなくて、空っぽなのに、人に頼まれごとをしたら期待されたこと以上のことをしたいと思って頑張りすぎてしまう。自分をすり減らして生きているように感じていたが、自己犠牲は美徳だと、人の役に立つことは私の使命だと信じていたくらい崖っぷちだった。後から気づいたらもう遅くて、すり減った自分自身がとても惨めで可哀想だった。もう1人の自分がそこにいたのなら抱きしめてもう大丈夫だから無理しなくていいし、あなたが1番大切だから他のことはあなたの人生には無関係だよと強く伝えていたと思う。たくさんの親しい人がいたのに、笑顔で自分を偽っていたから、とても孤独を感じた。
それに気がついた日から、空っぽな自分を埋める時間が始まった。
自分自身を一番大切にして、心がワクワクしないものや無理をして付き合っていた人間関係を全て手放した。自分の好きなことをして、自分の心と向き合う時間をたくさん作った。そうすると少しずつ、私らしさを知れた。私ってこんなことで幸せって思うんだ。こんな時に悲しくなるんだ。と自分の中で小さな声が聞こえるようになった。それは今まで見過ごしてきた心の声だった。本当はお休みにはゆっくり一日中寝てみたかったり、人と会う予定ばかりでエネルギーを奪われていたこと、暖かい布団で眠れて美味しいご飯を食べることがこんなに幸せに感じたり、というようなものだった。実は感動したり、幸せを感じるポイントはとても低かった。ただ見えていなかっただけで、幸せや感動は日々の生活にたくさん散りばめられていた。
そして人間関係にも変化があった。今までは自分の嫌なところに目を背けて来たし、人には弱さを見せることはなかった。しかし、嫌なところや弱さを認めることができてから数人にだけありのままの自分を曝け出すことができるようになった。素で過ごすことがこんなにも楽だなんて思わなかった。今ではお陰様でありのままの自分で過ごせている。
私は初めから優しい人は少ないと思っている。
たくさん傷ついて失敗や挫折をして、いろいろな経験を乗り越えてきた人が過去の自分にできなかったことを巡り巡って誰かにしているのだと思う。それが優しさの循環だ。優しい人は傷ついてきた人だ、人の痛みがわかるのも、自分がその痛みを経験したからなのだと考えている。私は自分が失敗してきた経験があるからこそ、自己犠牲の優しさを持っている人には絶対にまずは自分を大切にするという当たり前のことを当たり前にしてあげて欲しい。いつか心がすり減って粉々になる日が来るのだから、無理をせずに、自分優先で生きて欲しい。自分を大切にすることで離れていくご縁はあなたにとって不必要なものだ。自分を大切にしていると、大切にしてくれる人と出逢える。自己犠牲の伴う優しい人にとって、優しくあたたかい世界になることを願っている。あなたはあなたのままで良い。どうか自分にとびきり優しく、ダメなところも全部受け入れて、許容して一緒に生きていこう。ひとりひとりが自分のことを大切に過ごしたら、自己犠牲の優しさはきっと減るのだろうか。そうであってほしいし、そんな世界になることを願っている。




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