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この世界を変えるもの|2021年3月16日の日記

日記を書いていて寝たのが4時だったのでとてもねむい朝。午前中にしなければならない仕事があり、さいきんの平均よりははやく起きて始業した。




音声放送、タイトルをみた瞬間に笑ってしまった。まさか2週にわたるとは。

オープニング、あまりにガッシャガシャで最初なんの音かわからなかった。BGMも途切れさせていたり、編集凝ってるな~(編集だよね?)

叫びさえオートミュートされてしまうヤスミノさん不憫すぎる。スマホは多少強くなったようでよかった。インターネットを濾過した顔、なんかちょっとこわいな。あまりにも印象ちがくない!?と思ったらひげがなくなったのか。またなにか企画があるのかな。

休日に散歩した話、中目黒からお台場って2時間以上かかるんじゃない?? みくのしんの散歩好きってそんなにガチだったのか。

音声放送はyoutubeにあげていないどころかメールフォームすらなくてほんとうにただふたりが話しているだけのラジオで、だがそこがいいのでこれからもゆるりとやっていってほしい。




定時ちょっとすぎに仕事を終えて、またレバニラをつくった。

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鶏レバーは安くておいしくてえらい。最初は切ったりするのがちょっときもちわるかったけどすぐに慣れた。さいきんはニラも安いし、レバニラは300円足らずでできて2回か3回ぶんの食事になるのでおそろしいほどのコスパのよさである。ずっとこれでいいじゃん、と思うけどあすけんのお姉さんにたんぱく質が足りないと注意されてしまうのでつぎは肉を食べる。

あすけんの入力はひとまず1週間以上継続している。これまでの最高は42点、最低は6点だ。6点て。これまでの人生でとったことのないような点数をこの歳になってあらたに経験することになるとは思わなかった。

あすけんをはじめてわかったことは、甘くてやわらかくておいしいものはとにかくカロリーが高く、おおむね脂質で構成されており、飽和脂肪酸とやらが多分にふくまれているということだ。わたしは「甘くてやわらかくておいしいもの」を「幸せ」と定義しているので、食べる量や回数を減らすのにやぶさかでないにせよ、やめるのはありえない。そうなると、けっきょくは運動をしなければならない。そこで、なにひとつがまんせず人生をたのしくやっていくには、「運動=めんどうな、やりたくないこと」という図式を変えるしかないのではと気づいた。気づきました。気づいたところまでが現在の進捗です。三島由紀夫だって「世界を変貌させるものは認識だ」いうてはりますからね。

俺は君に知らせたかったんだ。この世界を変貌させるものは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。
(三島由紀夫『金閣寺』)




MtGだ! 永田さんがなんかしらんすごい大会に出たやつ!

「吐き気と吐き気の千秋楽」いいな。ごはん食べながらぼけっと見てたら急にコールがはじまって永田さんが “こちら側” に語りかけてきたのでめちゃくちゃ笑った。

こういうカードゲームはまったくやったことがない。身近なところだと遊戯王(遊戯王とデュエルマスターズって別ものなの? おなじだと思ってた)とかポケモンのやつがあったはず。トレーディングカードゲームにかぎらず、カード状のものを収集した記憶がないな。子どものころはなにして遊んでいたんだろうとふしぎに思うくらい、ゲームと名のつくものにふれた覚えがすくない。

最後、「口開けて詰め込まれるのを待ってるだけの コンテンツのフォアグラにはなるんじゃねぇぞ!」は永田のお悩み相談室っぽいマジのよさがあって刺さった。いろんなことに興味をもって、細々とでも出力していこう。




GYAOで『anone』をみた。

2年前のテレビ放送時にはもうテレビのない生活をしていたので、毎週TVerの見逃し配信でみていたのをおぼえている。

第1話をみて、「第1話の情報量じゃないのよ……」という思いでいっぱいになり、前にも読んだヒコ(@hiko1985)さんのブログをあらためて読んだ。

読んで「なるほど~~~」と思うと同時にいいたいことがなにもなくなってしまった。ぜんぶ書いてあるので……

2度めの視聴ということもあり、ほとんどのシーンはあぁそうだったそうだったと思いながらみていたのだけど、ひとつだけ以前には印象に残っていなかったところがあって、それに気づいたのは収穫だった。まさにこのブログのトップに使われている画像のシーンだ。

ハリカを追ってきた亜乃音さんが、彼女にひとことかけたあと、ふと地面から拾ったなにかをハリカに握らせる。それは石だった。これによってハリカは自分を守っていた幻想を打ち砕くことになる。幻想を打ち砕く。文字どおり、石を投げて。ハリカにそのきっかけをあたえたのが亜乃音さんだったことはなにか大きな意味があるんじゃないかと思った。

ひといきにみてしまいたい気持ちをおさえてきょうは第1話だけ。この先もたのしみ。




もうすこし経つと、だんだんと(感覚的には一気に)もろもろの活動が再開する。日曜日にはひさしぶりに電車にのって出かける。正直、すべてが、等しく、まったくたのしみではない。やりたくてやっていたはずのこと、休んでいるあいだにエネルギーをためていたはずのことのすべてが、完全に重荷になっている。人に会いたくない。歌ったり踊ったり、話したり飲んだり、したいと思うまでもなくしていた、これまでの生活では自然だったことが、ものすごくハードルの高いことに感じる。

でも、やったほうがいいということもわかっている。めんどうな予定でも行ってみたらたのしいんだからとかいう次元ではなく、このまま家でひとりで仕事だけをしてすごしていたらダメになってしまうと、実感としてわかるからだ。

いやだな~~~~~~~~~。愛想笑いが発生するかもしれない場所に一秒もいたくない。しかし愛想笑いはしてしまう。そういう性格だから。家でオモコロのコンテンツで笑っているときのようにはいかない。生身の人間が目の前にいるとはそういうことだ。


シン・エヴァをいつ観にいくか決めなければいけない。それだけはすこしたのしみだな。


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