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シンエヴァを観た(エヴァ私史)

3月8日に公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』をようやく観た。熱いうちに書くぞ~。考察とかはない、ただの思い出と感想。長い。


これまでのエヴァンゲリオン――うろおぼえ私史


◤2008~2010年

・はじめてエヴァにふれたとき、わたしは高校生だった。最初はクラスメイトに借りた漫画、いわゆる「貞本エヴァ」から入った。そのひとそろいの単行本をみんなで順に読んでいた。

(そういう漫画がほかにもあった気がする。ONE PIECEやDEATH NOTEがそうだったかな。好きなバンドや歌手のCDも頻繁に貸し借りしていて、モノがコミュニケーション手段としての価値をもつ時代だったと懐古する。)

(そのクラスメイトは当時のわたしのまわりでは圧倒的にサブカルに詳しくて、ほかにもいろいろな漫画やカルチャーをすすめてくれたような記憶がうっすらとある。いまにして思えば擬態したきれいなオタクだった。いまはなにをしているんだろう。)

・おそらく漫画をだいたい読んでから、アニメ(TVシリーズ)を観た。当時は、漫画を先に読んでいたこともあって「漫画(原作)のアニメ化」と勘違いしていた節があり、アニメ版は完結?するんだ、と思ったような気がする。

・アニメの最終2話をみたときの「なんぞ???」という感じはなんとなくおぼえている。ただ、そもそもそれまでの話も理解できていたわけではなくて、たぶん「リリス」と「リリン」の区別もついていなかった。まぎらわしい名前をつけおって……

・当時はそれを詳しく調べようという発想もなく、ただ「汎用ヒト型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオン」という文字列・響きのかっこよさにしびれ、カヲルくんの儚げなさまに目をハートにしていただけだった。メカもの(というカテゴライズでいいのかわからないけど)の作品にふれたのがそもそもはじめてだったので、戦闘シーンやNERV本部の構造、第三新東京市(名前かっけ~)の景色にただただ感嘆していたのだと思う。いまみても当然めちゃくちゃかっこいい。

・友だち同士で考察などをした記憶はまったくなく、「歌はいいね」「おめでとう」を繰りかえし言いあっていたような気がする。アニメのラストは「よくわからん。おめでとう(拍手)」が共通認識だった。

・おそらく同時期に旧劇場版も観たはず。はずよな……? 記憶はない。観たと思いこんでいたけど観ていないのかも。その時点で公開されていた新劇場版「:序」はなんらかのかたちで観た(はず)。アニメ版のダイジェストか?と思った気がする。

(よく覚えていないけど、いまにして思えばアニメはYouTubeにあった非適法なものを観ていたかもしれない。当時まだ身のまわりにはあまり浸透していなかったYouTubeは、違法アップロードの温床だったように記憶している。でも当時まだ自分のパソコンは持っていないんだよな、家族と共用のやつで観たんだったか……)

(漫画を貸してくれた友だちが「序破急」っていう作品の構成の型があって(「起承転結」みたいな)、と話してくれたことを覚えている。特進クラスの女子みんなでお昼ごはんを食べていたいちばん角の空き教室の風景。)

・「:破」は2009年の公開当時、友だちと一緒に映画館で観た。冒頭のマリの初登場シーンがめっっっっっちゃかっこよくて、「なんかよくわからんけどピンクのエヴァ!!!」と興奮したことを覚えている。(いやこのマリって誰!?)(アスカの名前がちがうんですけど!?)と混乱したことも。

・漫画はたぶん11巻か12巻までしか読んでいない。完結するまえに高校を卒業してしまったので……


2011~2016年

・高校卒業後、大学生活にいそがしかったわたしがエヴァにふれることはほとんどなかった。具体的に思いだしたのは東日本大震災後に起こった「ヤシマ作戦」のムーブメントのときくらいだったか(まあ当時はこれを機にアニメを見返そう!というかんじではなかったけど)。そんななかでも「:Q」の公開が2012年秋に決まったと知ったときには、これは劇場で観なければ!と思った(のだと思う、覚えていないけど)。

・「:序」「:破」の復習をしてから臨んだのだったかは忘れてしまったけど、「:Q」は大学の近くの映画館で観た。全編にわたりまったく意味がわからず、意味がわからないという印象だけが残った。(アスカめっちゃ怒ってる……? ミサトさんとリツコさん雰囲気変わったね……? ちょっとシンジがかわいそうすぎない……? 説明なさすぎでは……? カヲルくんまじで……?)というくらいの感想。

・「:Q」の最後で次回予告として『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』のタイトルが出たとき、頭に「『シン・』とは???」「これまでのタイトルを使ってうまいことしてる!!!」「リピート記号???」「なんて読むの~」とが同時に浮かんだことを覚えている。リピート記号っていかにも結末でなんかそういう展開しそうじゃん、とも思ったかもしれない。

・そういえば2014年に漫画版(貞本エヴァ)の最終14巻が出たとき、それをヴィレヴァンかどこかでちらっと見かけたような気がする。終わったんだ!という驚きと、まだ終わってなかったんだ!というそれを上回る驚きがあった。

・その後もエヴァのことはすっかり忘れてすごしていて、2016年に『シン・ゴジラ』(おもしろかったね~)が公開されたときの庵野監督のコメントで、そういえばまだ終わっていなかった、あの意味わからん設定と展開でほうりだされたままなんだった、と思いだした。『シン・ゴジラ』のタイトルをみてもぴんときていなかったのだから、ほんとうに忘れていたのだ。


2020~2021年

・またすっかり忘れていて(こんなに書き連ねてきてアレだけど要はそこまでファンではないんだよな)2020年。これまでの新劇場版三作がYouTubeで無料公開されるとの知らせをうけて、そういえば(略)となり、遠からず公開されるであろう完結編のために観ておくことにした。

・無料公開最終日(延期されたんだっけ?)の滑りこみで三作を一日で観た。いそいそと準備をしたりして、ひとりたのしげである。じっさいたのしかった。

・あいかわらず「:Q」の内容はぜんぜんわからず、「エヴァにだけは乗らんでくださいよ!」だけ覚えた。このころにはネット上に考察もたくさん出ていただろうけどけっきょく特に調べなかったな。まあそこまでの興味じゃなかったんだろう。生活のなかでほかにやることは山ほどあった。


・その後はまたまったく気にかけないでいたが、「シン」の公開日が発表されたときはやはり興奮した。また延期になるのではとどこかでは案じていたものの、延期しないでほしいと願った。これまでの幾度かの延期の情報や「特報」には一時的な関心しかもっていなかったので、日付を確認してすぐカレンダーに書きこんだのはかなり前のめりな姿勢だった。

・ただ、無事に再々延期とならず3月8日に公開されたときにはまた、それほどの熱ではなくなっていた。ともかく初日はほんとうに観たいひとたちが行くだろうしと見送り、最初の週末も同じように見送った。公開当初は徹底的に避けるつもりだったネタバレも、そこまで神経質にならなくてもいいかと思うようになっていた(さすがに自分から踏もうとはしなかったけど)。

・そしてきのう(4月3日)、ようやくチケットを買った。けっきょく「映画のチケットをとる」ということじたいがめんどうで先送りしていただけだった。そうやって劇場公開期間を逃してきた映画は数知れない。いざとなればたのしみではあるものの、間にあわない可能性を考慮していちばん遅い18時からの回を予約した。


・ ・ ・


本題――シンエヴァを観た


なっげ~前置き。もう3200字超なんだが? でもこの完結作までそれだけ待ったということなんだよな(わたしは待っていないけど)。ここまでおつきあいいただきありがとう。いよいよきょうの夜。映画館にむかう。


観るまえ:

・上映時間が長い→トイレ問題→お餅を食べるといいらしい、という情報をTwitterで得ていて、TLに流れてきたときには一笑に付したものの、それに乗るのもまた一興……という気になって家を出るまえに食べた。お正月のあまりものが消費できてよかった。

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・入場口で、特典の『シン・ポスタービジュアルカード』(A5サイズ)がもらえた。公開後すぐにやっていたアスカのポストカードのことは知っていたけどこれはまったく知らなかったのでふつうに通りすぎるところだった。Wikipediaをみると、3月27日から全国合計100万枚限定で配布されているものらしい。ラッキーやね。

・席は空いていた、と思ったが、席数5割減かつ公開からほぼ1か月経っていることをふまえれば十分多かったともいえる。わたしの左右にはだれもいなかった。

・けっきょく前三作の復習はせずに臨んだので、頭にあったのはわくわく感よりも不安だった。まあ復習しても同じだったと思うけど。あの意味わからん「:Q」のラスト、3人がどこかへ歩いていったけど、そのあとの話ってことでいいのよね……?という気持ち。

・TLでみかける「シンエヴァ後」のひとたちから不満は感じられなかったので、すくなくとも納得できる終わりかたなんだろうとは予想した。あとはな~んも考えてない。かなりフラットな状態だった。


観ながら:

・本編前の「これまでのエヴァンゲリオン」。編集こってるなあ。これ観てもわかんないよ~

・本編。東京タワー? パリっていった? パリだ~。みたよこのパリ。パソコン班ががんばっていて、飛びかう言葉がぜんぜん理解できなくて、これよこれ~!と思った。マリが「Excusez-moi, Eiffel」といったのはききとれた

・3人が歩いている~! ちゃんと続きだ。日本っぽいな~。エヴァの一歩を思うと、自分の足で歩くのってすごいまどろっこしいんじゃないかなと思った。シンジめっちゃ姿勢わるい、それつかれるからやめたほうがいいよ

・シンジ限界??? 声かけてきたの誰? 目ざめるシーンの動き、よかった。おとなトウジ! おとなになったんだ。シンジが14歳のみためのままなのはどう思っているんだろう

・それからの第3村の描写ぜんたいは、ひとの営みの賛歌という印象で(、ちょうどキショ松さんの哲学ラジオをきいたところだったのと原宿さんが最近いっていることを思いだして)、ひとが生きるためにすべきことについてなにか通底するメッセージがあるように感じた

・おとなケンスケ、おとなだな~。いろいろな現状説明役

・「ニアサードインパクト」、なんだけっけそれ、サードじゃないのと思いながらも、みんなが自然に「ニアサー」と略しているのが生々しくてよかった。それだけよく口の端にのぼるワードなんだな

・綾波が村になじんでいくようすがかなり長くて、同時にシンジが落ちこんでいる時間も長くて、こちとらシンジがなんでそんなに鬱ってるのかもよくわかっていないので「どういう展開???」となった。ただ綾波が感情を得ていく過程と、村の人びと(とくに委員長)の人柄やことばのセンスじたいはよかった

・綾波がパァンとなるところはヒッとなった(語彙よ)。そうやってまたシンジにトラウマをうえつけてさあ……

・シンジの顔つきが変わった。大丈夫? また鬱転しない? アスカまだ怒ってる、ずっと怒ってる

・ヴンダーってドイツ語のwunderだよね、奇跡、だよね。すごい名前つけるよな~。希望とかじゃないんだ。ミサトさんも奇跡ってよく口にするね

・加地さん、そうだったの!? それ既出情報!? え~~~。というかふつうの人間ひとりで止められるようなアレなんだ。なにか要素があったのか

・そこからの戦闘シーンはいつものごとくよくわからなかった。ただかっこい~と口開けてみてた。音楽もすご~い

・キリスト教由来のネーミングが濁流のようにでてきて、なんかこれ、大丈夫なの?と急に思った。まあよく考えたらタイトルが「エヴァンゲリオン(福音)」だもんね。いまさらか

・なにを指しているのかわからない言葉だらけで頭は「???」だけど映像のすごさでひたすら押しきられている。庵野監督のやりたかったことがこれなんだとしたら、技術的にも時間が必要だったんじゃないのと思った。アニメーションの技術のことはまったく知らないので印象論だけど

・ヴンダー内部の損傷のシーン、なんでそういうとこの液体を赤くするの〜、趣味悪いよお、と思った、エヴァの機体にはいろいろ事情はあるんだろうけどその飛行体はどうにかもうちょっとただのメカにできなかったのか(なぜしなかったのか)

・あれよあれよというまにゲンドウのサングラスが撃たれて「え!?」となり、その後も「どゆこと!?」と思ったまま話が進んでいく

・「母の不在」はエヴァぜんたいをつらぬくファクターだけど、ここではっきりと「父殺し」が明示された。綾波は「そういうふうにつくられた」とアスカがわざわざ説明していたしエディプスコンプレックスの変形か

・ゲンドウとシンジの対話はまああるだろうなという要素ではあったけど、思ったよりはるかにゲンドウの語りが長くて、急によく話すなあ、と思った。そのへんもコミュニケーション下手人(へたんちゅ)ゆえか?

・やっっっぱりすべてはゲンドウのめちゃくちゃなエゴだということがわかってくる。おまえというやつは……。けっきょく「ゼーレのシナリオ」ってなんだったの、という話になるが、折よくゼーレのシナリオとやらを得たゲンドウがそれを私的に活用することを思いついて、表向きは計画にのっているようにみせていたというかんじなのかな

・シンジが急成長、歩み寄っていく。なんかシンジの変化が予定調和的に感じてしまった

・ゲンドウの「海の浄化」というワードとシンジが青い海を前に座っているシーンで、あのポスターの青い海ってめっちゃ意味あるじゃん!!!と気づいた。この世界では海は赤いんだった……。気づくのがめちゃくちゃ遅い。それまでただ、きれいなポスターだな~と思っていた

・終盤のラフ画っぽいやつがそのまま使われているところ、かなりびっくりして、これ自分がつくっている側だったら「これでいいの!?」となるだろうなと想像した。こうすることによる効果はよくわからない……。新劇場版は(それにかぎらずなのか?)折々で手が加えられているようなので、このシーンもあとで変わったりするんだろうか

・なんか大団円っぽく終わろうとしている~~~。シンジの「ちょっとおとなになった顔」の表現がすごいなあ、すごくいいなあと思っていた

・マリってけっきょく何者だったんだろう、ゲンドウの回想にもいたし、冬月とも古くからの顔見知りみたいだし。「イスカリオテのマリア」? キーパーソンであるということだけは伝わる異名だ


・なにがどうなったのかわからない


・「渚司令」ってなに〜〜〜〜〜! どゆこと!? 加治さん冬月さんもっとちゃんと説明して〜〜〜!


・ラスト。え? あ! なるほど!? なるほどじゃないが。わからん。え~。そうなんだ。これで終わりか


・終わりました


・終わった〜


・恐山のこのツイートが妙に印象に残っていて、わたしもそう思うかな?とぼんやり考えていたけど、まったく思わなかったな


・エンドロールダービーは勝った


観たあと:

・複数人で観にきているひともいたし、ひとまず誰の声もききたくなかったので客電がつくと同時にAirPods Proをつけた。パンフレットを買って、まっすぐ帰宅。

・終わったんだ、とは思うけど特にそれ以上の感慨とかはない。映画としてはおもしろかったし、リアルタイムにこの劇場公開に立ち会えたことは、下の世代からしたらうらやましがられることかなと思う。

・制作陣が描きたかったことがなんであれ、わたしが受けとれる範囲の「エヴァ」は「設定と世界観がつくりこまれていて戦闘シーンが超絶かっこいい作品」だった。その設定と世界観のところをもうすこし知りたいとは思う。

・ひとまず人の感想をみるまえに自分のことをぜんぶ書いてしまいたかったので遅くなったけど書けてよかった。映画を総括した感想はそもそも書けると思っていなかったし、観てからもどこをピックアップしたらいいのかわからないからひとまず「え~?」とか「あ~!」とか思ったことを網羅的に書き出しておくにとどめる。

・あしたパンフレットを読んで、それからいろんなひとの感想をみていく。たぶんこのnoteに追記する。


観てから:

(翌日以降の追記)

4月10日

・観てから1週間になるが、なんだかんだでまだパンフレットを読んでいない。あ~

・観ていていちばん印象的だったところを書きもらしていた。それは「大人と子ども」についてだ。

・とくに2020年に新劇場版三作をまとめて観なおしてから感じつづけていたエヴァにたいするイメージは「子どもにそんなことさすな」だった。はじめてエヴァにふれた高校生のころには、わたしは自然とシンジたち「14歳」の側で、あたえられた環境に理不尽さはあるものの「そういう作品(設定)」としてとらえていたように思う。が、もうミサトさんの年齢のほうが近くなってしまったいまでは、年端もいかない子どもたちにはあまりに負担が大きすぎることを強いているし、それについて大人として果たすべき義務を放棄していると思うようになった(同時に「ミサトさんすごすぎかい」とも思うけど)。もし子どもたちがエヴァに乗ることが避けられないにしても、納得にたる説明や十分なフォローをすることは絶対に必要なことだ。大人たちはそろいもそろって、それを怠っている。

・今作では、ミサトさんの後悔や「シンジを子どもとして扱う」ことがかなりクローズアップされているようだった。口にもだしていたし、ミサトさんの実子とシンジが並んだ写真もそれをあらわしていると思う。

・で、そこでアスカが「先に大人になっちゃった」と発言したり、シンジが父を乗り越える(? 受容する?)ことで成長していったりという直接的な描写がある。彼らの体は大人へと成長することをやめてしまったのだから、その変化はいうまでもなく精神的なものだ。

・それと前後してアスカの幼少時代の描写もある。つまり、孤独に戦うことを強いられてきた子どもたちが、「子ども」として救われ、「大人」になっていく、ということ? 子ども時代の終わりとして、シンジのなかにいた母は離れていったの?


・うーん…… はやくパンフレット読もう


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