微熱と平熱。ー「花束みたいな恋をした」を観てー
恋と愛の違いって、微熱と平熱の違いなんじゃないか。
遅ばせながら、映画「花束みたいな恋をした」を観た。
公開前から楽しみにしていたけれど、妊娠もあり映画館で見るのは諦めていた。でもDVDが出たというので、さっそく借りてきた。
余韻が残る、そして考えさせられる素敵な映画だった。この感覚がなくならないうちに残しておこうと思う。
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なんだろう。最後の、あの平熱な感じは。そういう関係でもいいんじゃないかと、麦くんのような思いを抱いたりもしたんだけれど。
でも、多分きっと、あの2人の今までの関係を振り返れば、あの温度感になってしまっては、やっぱり終わりだったんだろうと思う。
だって、最初の出会いがあまりにもカラフルで、ビビットで、ときめきとワクワクに溢れて、ポップで止まらない感じだったから。
そして、それを支えていたのが、共通の趣味であり、共通の価値観だったから。それがズレてしまっては、もうダメだったんだろう。
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おそらく変わったのは、麦くんの方だったんだと思う。でも社会人になって変わっていく麦くんの気持ちもわかる。社会って、悲しいほど現実と向き合う場所だから。
でも絹ちゃんだって、ずっと学生気分で浮かれてたわけじゃない。生活も成り立たせつつ、やりたいことができるバランスをうまく見つけようとしていた。
ただ、そのまま好きなことを好きなままでい続けた絹ちゃんと、好きだった気持ちが終わったしまった麦くんとの違いがあっただけ。どっちが悪いとかじゃない。
私だって、ずっと好きなままのものと、好きが終わってしまったものと両方あるから。それは、自分でどうにかできるものじゃない。
ただ2人の場合、同じものが好きで意気投合したから、その片方が変わってしまっては辛いんだろう、特に絹ちゃんは。
麦くんは、あまりそれに気づいてないのかもしれない。だから別れたあの日も、関係を続けたいと言ったのだろう。
でも2人の間には、もうどうにもできない変化があった。
2人はずっと出会ってから、微熱だったんだと思う。恋特有の、足が少し地面から浮いたあの感じ。だから、平熱になった(むしろ冷めてしまった)あの関係では、もうどうすることもできなかった。
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私たちの場合はどうなんだろうか。つい置き換えて考えしまった。
確かに私たちにも、ポップでハッピーで、カラフルな時があった。全部が一緒なんじゃないかって思って浮かれた瞬間もあった。
でもそれは趣味の話じゃなかったし、感覚や価値観もすごく近いと思ったけど、全部が同じではないと初めからお互い分かっていた。
その上で、一緒に自然体でいられるのことがいいと思ったし、その平熱でいられる感じが心地よかった。
それは年齢を重ねて、社会に出てからも時間が経って現実も分かり、最初から結婚も見据えていたからかもしれない。
そう考えると、学生時代に出会って、結婚するって結構難しいのかもなぁ。どうしてもキラキラしていた頃が見え隠れして、その落差に愕然としてしまう気がするから。
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恋人と家族の違いって、その温度差なのかもしれないな、とこの映画を見て思った。恋は熱が急に上がってふわふわしていて、愛は心地よい平熱がずっと続くような。
私たちは、恋人的な温度も保ちつつ、家族にもなれるような温度で出会うことができた。だから、結婚できたんだと思う。
きっと、麦くんと絹ちゃんが今付き合っている相手も、きっと平熱でいられる人なんだろう。だから多分、2人はそれぞれの相手と結婚して家族になるのかもしれない。そして、それは多分あの恋があって、それが終わったからこそ、出会えた相手なんだろう。
これでよかった気もするし、これが必然だったような気もする。でも、あの映画の中の、最初の頃の2人が眩しすぎて、どうかあの2人のまま、と願ってしまっていた自分もいる。
きっとあの頃の2人は、その瞬間にしかできない、純度100%の恋をしていたんだと思う。ふわふわと夢見たいな、花束みたいな恋を。本当に素敵な時間を過ごしていたんだなと思うと、ちょっぴり羨ましい。
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今まで観てきた恋愛映画やドラマ、漫画では恋の形のままハッピーエンドになることが多かった。この温度感のままで、ずっとこの関係は続くのかな、と疑問に思うこともあった。
そう思うと、これが一番のリアルな恋の終わりなのかもしれない。だからこそ、みんなの心に響いいて、たくさんの人に届いたんだろう。
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ちょっと抽象的だけど、私が感じたことを書きました。映画の雰囲気も好きだったし、モノローグで紡ぐ言葉も美しい。素敵な映画でした。観られてよかったな。
楽しいだけじゃない、リアルで心に刺さる、でも忘れることのできない、そんな映画。また、いつの日か観てみたいと思います。