毒親① 誕生日を祝ってくれない毒親

私の親は両親ともいわゆる毒親です。
私はフェミニストでもあり反出生主義者でもあるのですが、反出生主義の源はこの毒親です。

かなりプライベートな話になってしまいますが、過去を清算するという意味でもここで私の親にされた辛かったことを書かせてください。

私より壮絶な体験をされた方もたくさんいらっしゃると思いますが、暖かく見守っていただけると幸いです。

たくさんあるので、その都度書いていきたいと思います。

①誕生日を祝ってくれない

<子供の頃>
私の家庭は物心ついた頃から親がシングルマザーで、契約社員で薄給だったため、とても貧乏でした。
そのため普段から、教科書代や交通費や生理用品等、必要必需品ですら要求すると嫌な顔をされる始末でした。

なので、普段は欲しいものはおろか必要必需品すらも我慢する日々が続いていました。

そんな中、ほとんどの子供がわがままが許されて欲しいものを買ってもらえて生まれてきたことを祝ってもらえる日、誕生日には少し期待していました。
「流石に誕生日くらいは…」と淡い期待を毎年抱きますが、毎年裏切られました。

欲しいものを言うと嫌な顔をされ、いつものように私が我慢するように仕向けてきました。
私は気が強い方だったのでそこは折れずに頑なに要求し、毎年誕生日プレゼントはゲットしていました。

プレゼントを貰えば少しは気持ちが晴れるかと思ったのですが、いやそうな顔をされ私が強く強く要求してようやくもらったプレゼントなんて何も嬉しくありませんでした。

「私は生まれてこない方が良かったの?」

そんな自己嫌悪が日々私の中に募っていきました。
私は親に愛されてないんだ。生まれてこない方が良かったんだ。
私なんていなくなった方がいいんだって。


<ハタチの誕生日>

そんな自己嫌悪を募らせている中、20歳になる数ヶ月前、長年飼っていたペットが亡くなり私はかなり精神的に追い詰められていました。
かなりのショックだったため、私は悲しいという感情に蓋をして数ヶ月過ごしていました。ペットが亡くなったショックを直視したら苦しすぎてどうしようもないからです。
でも、蓋をしているだけで悲しさはずっと心の中にありました。

そして20歳を迎えました。私の誕生月は11月なので成人式の少し前です。
当然、うちのような貧乏家庭では振袖は着られないと諦めており、友人が振袖を見に行ったという話を感情を押し潰してニコニコ聞いていました。
友人によると、レンタルでも振袖は10万円以上かかるそうです。
そんなの無理に決まっている。本当は”みんなみたいに振袖を着たい”という感情はみないフリをして「まぁ、私そういうの興味ないし。」と思い込んでいました。

20歳の誕生日もプレゼントを要求しましたが、その年はなぜか「今度ね」と濁されて翌年1月になってももらえませんでした。

周りの友人は成人式の前撮りをして、誕生日は両親に祝われています。

20歳の誕生日とは、人生で一番盛大に祝ってもらえる誕生日だと思っていたのですが、私は近くのファミレスで食事に連れて行ってもらったのみでした。
プレゼントもなし、振袖もなし。

ずっとずっと人生が辛くて、生きている意味も分からなくて、辛いことが重なりすぎて限界を迎え、この時ついに爆発しました。

結局、1月にブチギレてプレゼントを買ってもらい、よくよく聞いたら家に母が昔着ていた振袖があると言うことで成人式も終わった後に振袖をきて家族写真を撮りにいきました。

形だけの成人のお祝いです。私がブチギレなかったら全く起こらなかったイベントです。
結局振袖もプレゼントももらいましたが、例の如く全く嬉しくありませんでした。

だって、こういうのって親が自主的にやってくれるものでしょ?

子供を喜ばせたくて、子供のことを思って、やることでしょ?

私がブチギレてからやってもらってもなんの意味もないんですよ。

”大切にされている”
”私は存在価値があるんだ”

という自己肯定感はまるで得られません。

後々母をこのことで責め立てたら「お金がなかったから」と言い訳していましたが全く納得できません。

私が20歳を迎える日付は、生まれた瞬間に決定してるんですから。

20年も準備する時間があったのにお金がないって意味がわかりません。



<人生で初めて死にたいと思った>

このハタチの誕生日事件があってから、私の自己肯定感は0になり、人生で初めて本気で死にたいと思いました。

ネットで自殺について毎日検索する日々でした。

当時大学生だったのですが、その時から行く気力がなくなり不登校となりました。

毎日毎日ベットから動かず、ずっと携帯で自殺について調べるだけの日々を送っていました。

結局、丸1年間不登校となり、夜間大学だったため授業のコマ数に余裕がなく、留年してしまいました。

それからカウンセリングに通ったり、家庭環境が変わったことによりなんとか社会生活を送れるくらいまで回復していますが、
26歳の今もずっと「死にたい」という気持ちは消えたことがありません。

苦しいです。


あとがき

いくつかエピソードを書こうと思ったのですが、1つで長くなってしまったので一旦終わりにしようと思います。

まだまだあるので、お付き合いいただける方はまた読んでいただけると幸いです。


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