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ゲームだろうが何だろうが

うちに任天堂のswitchが来たのは長女が小6か中1の頃。コロナの自宅待機に耐えかねて渋々買ったような気がする。
それまでは公園でみんなで集まってゲームしている子ども達を見ると、最近の子はつまらないなーと思っていたし、娘が欲しいと言わないことをしめしめと思っていた。(今思えば言わせない圧があったんだろうな。)

ゲームの世界に篭ってコミニュケーションが取れなくなる。依存のようにずっとやってしまう。
それが怖かった。聞こえないふりをして手に取らせない事でそれを防いでいた。

不登校になって、オンラインフリースクールでみんなでゲームする為にオンラインも繋いだ。その時は娘の居場所を確保するのに必死だったけど、それが無ければ繋げたくなかったと思う。
制限もしなかったから本当に自由にやっていたし、今思えば、それで時間を潰していたのだろう。

私も一度はやってみようと娘のやってるスプラトゥーンをやってみた。3Dの操作に慣れず、自分の動きを見て酔ってしまうくらい下手だった。
どうして娘はあんなに上手く出来るのか、尊敬した。

コツコツ練習(私にとってゲームは修行みたいなものだ)を続けてると、娘とゲームの話題が出来るようになった。
上手な娘のプレイを見るのが楽しくてやってるとついつい見に行ってしまう。小学生の時もこうやって従兄弟のゲームプレイを見て夏休み過ごしていたのを思い出す。

「ゲームは飽きた、そんなに好きなわけでもない」
そう言って、今はやりたい時にだけやっている。ゲーム上手な末っ子とチームになってやってる姿は見ていて微笑ましい。

ゲームであれ、何であれ、親より出来ることって自立していく上でとても大切だと思う。そのために勉強したり、親の知らない能力を身に付けていくのではないだろうか。
私は勉強する事で、学歴が低かった親に反抗していた。親の世界で認められるんじゃなくて、その枠から飛び出して行きたかった。
だから、私の子どもたちが私を馬鹿に出来る機会は大事だと思った。まぁ単純に下手なんだけど…。
自分でも分かってるから馬鹿にされても腹も立たない。
親が純粋に子どものことを1人の人間として、すごいね!って思ったらいい。子どもが自分より優れてるところを素直に認めたらいいのにと思う。

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