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ミ“ツ”コの最期と、私たちのこれから。



突然ですが、
母方の祖母ミツコが先日旅立ちました。


私をよく知る、
又はこのnoteを2年前くらいから
読んでくださっている方々には
「あぁ、あのおばあちゃん...」といった感じかと。


うん、そう。
コロナだうんぬんになる前年から
母、叔父、叔母(叔父ちゃんのお嫁さん)と私で
日替わり在宅介護をしていたミツコです。



私は金曜日の担当で、
当時は祖母宅からリモートで仕事してました。


今となっちゃ当たり前な働き方だけど、
その時は特別な社内申請が必要だったり、
スカイプ接続で手こずったり。
本当に世の中、ガラリと変わりましたね。


さて。


『当時は』と書いたのも、
コロナが深刻になってきてから
都内住みの私は担当から外れ、
更にはミツコもショートステイに入ったりして、
色々状況がこの2年で変わったから。


直近のミツコはホームに入っていました。
これも母親たちの苦渋の決断だったかと。
ちなみに、
おじいちゃんは2005年に亡くなっています。


ミツコの最期は本当に突然でした。
大きな持病があったりしたわけではなく、
数日前に母がホームに面会に行った時も、
「早く帰りたい」と不貞腐れていたそう。


それが、とある朝、
おかゆが喉を通らなくなり緊急搬送され、
数時間後、息を引き取ったとの連絡が入りました。
私はオンライン定例会の最中でした。


急いで午後の打ち合わせをリーダーにお任せし、
ユキ(妹)と待ち合わせて実家に向かいました。


急いで向かったものの、
孫の私たちにできることなど無いに等しく。


94歳と高齢だったこともあり、
いつかは...と、どこかで心構えが出来ていたのか、
不思議と私もユキも平常でいられました。


ってかまぁ、
ユキはいつもズッシリ平常なんだけど。


待ち合わせたときも、


午後イチで
めっちゃでかい商談入ってたけど、
マネージャーに代理お願いしてきたわ。
資料途中だったから、それも。




と言っていました。
午後イチ商談の資料が11時段階で未完...
それをぶん投げられたマネージャーの気持ち...


そんなこんなで私とユキは実家に着き、
母が病院から帰宅するのを待ちました。


すると母から私宛てに、
「葬儀は〇〇日で家族葬で、、、」と
この後の流れについての電話が入りました。
電話越しの母の声は、涙ぐんでいました。



諸々了解、と電話を切ると
今度は母からユキ宛てに電話が。
おそるおそる?電話を取ると、



牛乳どんくらい余ってる???



ユキが冷蔵庫を開けて確認し、
「まぁ半分くらいはあるよ」と返事をすると、


「ならおけ、直帰する」
ティロリンッ(LINE通話が終わる音)


・・・
ユキが思わず一言。



え?なに??
姉吉は業務連絡担当で、
ユキはメシ担当みたいな使い分け???



真相は分からないが、
その時ユキのほうが冷蔵庫の近くにいたのは
確かな事実である。見抜いてたのか??



そして数十分後、母が帰宅しました。
「大変だったね」と2人で声をかけると、



本当だよ〜
コーイチ(叔父ちゃん)が
「ミツコのツは本当は小さいッなんだ」
って言い張ってさ〜〜


「それじゃ『みっこ』じゃん!」
って言ったら
「いやでも母さんが昔そう言ってたんだよ」
とか、ホント意味不明〜〜











すみません、なんの話ですか???



手続きの際に祖母の名前を書く欄で
「つ」が大文字か小文字かで揉めたらしい。


※このnoteではカタカナ表記していますが、
 本名は平仮名+漢字の「みつ子」です。


※この名前問題は結局戸籍?を調べて、
 大文字の「つ」だということが証明され、
 姉である母に軍配が上がったのだけど、
 葬儀当日もおじちゃんは一人、
 「ぜってぇ小さい『っ』なんだけどなぁ」と
 ボソボソ言っていました。諦めてください。



そんな具合に。
悲しみというよりかは疲れた表情で帰宅した母。


その夜は、
おばあちゃんの最期の話を始め、
今回はお通夜がない一日完結の家族葬なこと、
棺に思い出の品を入れていいこと、等を聞きました。


で、さっそく話題は
「思い出の品、何入れる???」に。


ミツコが好きだったものを挙げていったら

  • 寿司→火葬できるからイケる

  • ねじりドーナッツ→火葬できるからイケる

  • パチンコのスロット→コイン火葬できないw

  • オロナミンC→瓶火葬できないw

などなど。
洋服類と合わせて、
イケるものは入れることに。笑



この他にも、
よく通ってたドトールのコーヒーを入れよう、
おじいちゃんが好きだった
ショートブレッドクッキーも入れようとか。


まるで合宿前の買い出しのように、
食料調達で浦和を駆け回った私だったのでした。




コーヒーがなかったからカフェラテに。
てか、食料担当はアイツだったんじゃないのか・・・?




あ、そうそう。


ミツコnoteを読んだことがある方は
記憶を辿って欲しいのですが、
ミツコは私のこともユキのことも
「ユキ」と呼んでいました。
理由は、「ユキの方が呼びやすいから」でした。



そしてミツコはユキが遊びに行くと決まって
ユキのネイルを羨ましそうに眺めていました。



ミツコは紫色の服を着ているイメージが強く、
米寿のお祝い時もこの紫の服を着ていたので、



ユキが何かを見せている
この表情、一体ヤツは何を見せたのだろうか



「今度おばあちゃんにも塗ってあげる、紫にする?」
とユキが聞くと、


「深〜い赤」
とのご要望をいただいたことがあったのでした。



それを思い出した母が、今回こんな提案を。



そして本当にユキが赤のマニュキュアを塗って、
ミツコはイケイケバブリーなギャルとなって、
皆に見守られながら旅立って行ったのでした。





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今こうした心で書き出せるのもひとえに
葬儀を滞りなく進めてくれた母たちのおかげ。


私はここ数年間の時間の中で、
ミツコと母たちのコミュニケーションを通じて、
いずれ来るであろう人間の終わりということと、
向き合ってきました。


いや、向き合うってほど、
自分が直接関与した事はないので、
見学していた、という感覚に近いかも。



祖母なき今、
寂しい気持ちはもちろんありますが、
今回のスーパーカスタマイズ性の高い家族葬で、
ミツコをお見送りできたことで、
どこか晴れやかで清々しい気持ちもあります。




ただ、それは孫という距離感の私だからであり、
葬儀が終わった後の母の精神状態が心配でした。
虚無感に襲われて、無気力にならないかと。


でもさすがは私の母、心配は無用でした。


葬儀が終わった夜、実家に戻り、
母のいつものToDoボードを見てみたら・・・



「絶対に忘れないぞ」感が凄い



葬儀翌日の歯医者では
歯医者さんと韓流話で盛り上がったそうです。


まぁよくよく考えれば、葬儀前夜に
「喪服入るかチェックしないと」と
風呂上がりにファッションショーを始めて、
「バンザイしなければセーフだな」とか
言ってたくらいのタフネスだったので、
本当に心配無用でした。



でもまぁふと、
四十九日が終わるくらいまではふと、
「あぁ、本当にもうミツコはいないんだなぁ」と
感じて寂しくなるときも訪れると思います。


それでも日常は素知らぬ顔で流れていきますし、
私たちも何食わぬ顔で呼吸していかなければなりません。
ミツコが94年間、そうしていたように。





叔父ちゃんが
「たまには故人を思い出してやってください」と
挨拶の際に言っていたけれど、これからは、



パチ屋の前を通ったり、
ドトールでお茶したり、
赤いネイルのお姉さんを見かけたり、


そんな些細なシーンが
目の前に繰り広げられるたびに
ミツコが「ユキちゃ〜ん」と脳裏に現れそう。


私の名前は「マリ」であって、
決して「ユキ」ではないのだけど、
まぁいつも通り許してあげようと思います。
名前になんて、そんな大きな意味はないからね。



ミツコが
「みつ子」であっても「みっ子」であっても、
世界一チャーミングなおばあちゃんであったことに
変わりがなかったのと同じようにね。




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