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あ、そういえば結婚しました。





単刀直入、コンパクトに。少し前に結婚しました。



27〜29歳くらいにかけて、毎月のようにあがる【ご報告】というFacebook投稿を見ては、「やれ○○も結婚したのね、やれ●●は赤ちゃんを産んだのね」と思っていました。


自分だけが取り残されていっているような焦燥感と、私だっていつか!という対抗心と、いやそもそも誰と戦ってんの?という虚無感が、積もり積もっていき、素直にお祝いできない自分がどんどん嫌になっていきました。


そんな拗らせに拗らせを重ねた私が、気がつけば「溝口」という名前を卒業する選択をし、今は恵まれたことに、なんだか安定した場所にいます。


周りの【ご報告】投稿に勝手にもがき苦しんだ身なので、今日のこのnoteも皆さんにハッピーニュースをお届けする意図では書いていません。いわゆる新婚ラブラブな惚気展開も待っていません。とことんシャニカマ(=斜に構えているということ)で、すみません。


ただ、今この決断をした自分の気持ちを忘れたくなくって、未来の自分が振り返れる記録のために、綴っています。








結婚に至るまでの長〜い経緯や、入籍前夜に我が妹ユキと「みぞまり」の名付け親である高校同級生のけんちゃんと(二人は初対面)謎に人形町で飲んで『溝口最後の夜』を謳歌したエピソードなどは割愛するとして・・・


こんな一筋縄ではいかない私を選んでくれたお相手は、私にとって兄のような、親戚のおじさんのような、時に母親(父親ではなく)のような温もりを持った人です。


いろいろ考えすぎる私に「ちゃんとボーッとしてる?」と肩の力を抜くことを定期的に意識させてくれる人でもあります。


私たち二人はお酒が好きでよく居酒屋に行くのですが、たとえお酒が飲めない身体になっても、その時は二人でコーヒーを飲みに喫茶店に行けばいいやと思いました。


コーヒーの香りも分からなくなってきたら、その時は二人で映画を観に映画館に行けばいいやと思いました。


視力が低下して遠くのスクリーンがよく見えなくなってきてしまったら、二人とも大好きな音楽を聴きに行けばいいし、耳も遠くなってしまったら、家で水ダウの録画でも見ながら手を叩いて笑っていればいいやと思いました。


というか、思えました。


結婚してこれから新しい人生が始まるというのにやや不吉な表現をしますが、この人となら五感が無くなる最期の瞬間まで何かしらをしながら元気でいられる、そう思えたのでした。


一人にしておくと悩みすぎる私を理解して「俺はあなたよりも先に逝けない。最期はあなたに先に死んでもらうからね」と殺害予告をされている私ですが、それならばそれで。お言葉に甘えて、とことん看取ってもらおうと思っています。








ここまで書いてきて、ぼんやりと左手薬指の指輪を見つめながら思います。やっぱり自分はちょっと変なのかもしれない。あなた新婚ですよね?何故にもう死の話をしているのですか?


まぁいいや、こんな感じで。既にお祝いしてくださった皆さま、ありがとうございました。これからも変わらぬ優しさで見守って、時に叱って、いやでも基本温かい目で見守ってくださりますと幸いです。のんびりとやっていきます!


では、ラスト数時間、良い週末を。




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