文章じゃないと伝わらないことってあるよねっていう話

おはようございます。今日も暑いですね。つい先週まであんなにも寒かったのに、天気ってまるで幼子のよう。と思えばかわいいものかもしれません。
さて、第一回目の投稿からかなりの時間が空いてしまいました。その間に人生経験を積んだかというと、それは些か疑問ではあります。
ただ少し、文章でのこしておきたいな、と思うことがあるので、書かせていただきたいと思います。

時は遡り、私が確か小学2年生とかそんな時期、NHKのアニメで、【獣の奏者エリン】てありませんでしたか?土曜日の18:25からだったような…結構クラスでも流行っていて、私も例に漏れずにかなりはまって見ていました。
お友達が、青い鳥文庫の【獣の奏者】を持っていたので、みんなで借りて読んだりもしていました。
その後、また4年生とか5年生になった時、図書室にハードカバーの本があって、じっくり読み直したんですが、その時に気づいたことのお話になります。

ちょっと説明が難しいのでぜひ読んでいただきたいのですが、講談社のホームページにあらすじが載っていたので、引用させていただきますね。




獣の奏者 (1)闘蛇編
著者:上橋菜穂子

獣ノ医術師の母と暮らす少女、エリン。ある日、戦闘用の獣である闘蛇が何頭も一度に死に、その責任を問われた母は処刑されてしまう。孤児となったエリンは蜂飼いのジョウンに助けられて暮らすうちに、山中で天を翔ける王獣と出合う。その姿に魅了され、王獣の医術師になろうと決心するエリンだったが、そのことが、やがて、王国の運命を左右する立場にエリンを立たせることに……。


獣の奏者 (2)王獣編
著者:上橋菜穂子

傷ついた王獣の子、リランを救いたい一心で、王獣を操る術を見つけてしまったエリンに、学舎の人々は驚愕する。しかし、王獣は「けっして馴らしてはいけない獣」であった。その理由を、エリンはやがて、身をもって知ることになる……。王国の命運をかけた争いに巻きこまれていくエリン。――人と獣との間にかけられた橋が導く、絶望と希望とは?


これは2巻までのあらすじですが、4巻と、外伝も出ています。4巻まで読み終えた上で、外伝を読み、そのあとがきまで読むと、伏線のすごさに感動します…


【獣の奏者】のなかで、「王獣は決して人に慣らしてはいけない獣」といわれるのですが、そもそもは「人に慣れない獣」と言われているんです。主人公のエリンはその常識を打ち破っていくことになるわけなのですが…
その過程で「王獣は言葉を操ることができる」ということをエリンは発見します。そこでエリンは、竪琴を使って言葉を編み出し、リランに教えました。「あたま、背中、足」などの部位「痒い、痛い」「触れて、掻いて」など、単語としてリランに教えていくのですが、ある日リランは、教わった言葉を自分で組み合わせ、「背中 痒い 掻いて」とエリンに伝えてきます。そこでエリンは衝撃を受ける、という話でした。
それからエリンとリランは、エリンの作りだし「言葉」を使って会話をするようになるのですが、この文章ではここからが本題です。
その会話のシーン、アニメにはないのです。ない、というか、アニメでは表現できないのです。
エリンの編み出した、エリンとリランにしか使えない「言葉」これ、文章では表現できても、映像と音声ではできない、できたとしても、字幕を入れるしかないのです。
それを知った時、衝撃でした。小学5年生なんて、ちょっとしたことで衝撃を受けますからね…
でもその時の感覚は今でも続いていて、
「文章でしか表現できないことがある」
なんておもしろいんだろう、と思っています。
【獣の奏者】に限らず、そういった描写は、特にファンタジー要素を含んでいる作品には、たくさんありますね。

「文章ってすごい!」を残しておきたかっただけなので、だからなんだよ、というものが書きあがってしまいましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
今日の小田急も、おもしろい匂いがしますね。

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