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あの日

あの日私は出張先の大阪にある事務所にいて、いつまでも終わらない、船酔いしそうなゆっくりした横揺れに、電柱がグラングランするのを見ていた。この不思議な揺れの震源が、関東すらを超えた東北にあると聞いても、その距離感はうまく掴めなくて、え、どういうこと、と思うばかりで。

やたら長引く揺れに、事務所の会議室のテレビをつけてみんなで状況を飲み込めないながらもどうやら東北で大きな地震があったと知る。しばらくすると、津波の第一波が、漁港に停めてある車を押し流す定点カメラの粗めの映像が映り、それは私にとって初めてリアルタイムに見た津波の映像だった。

漁港には人影は見えなかったし、定点カメラの動かない視点からは全体の規模感が分からなくて、まさかあんなにも巨大で広範囲な津波が押し寄せているとは思いもよらなかった。

当時一人暮らしをしていた私は、自宅に戻ってからもひとり、大津波の映像に釘付けになってしまい、その後も連日津波の映像と原発事故のニュースを見続けてかなり神経が参ってしまい、目を瞑ると津波の映像が浮かんだり、夢に出てきたり、余震に怯えたり、毎日が緊張感と興奮状態にあるなかで、なんとか仕事をしてた。

昔からほんのちょっとした揺れでも目を覚ましたし、地震も雷もオバケも全部、怖かった。怖がりだったから、実家住まいの頃は夜中に地震があると自分だけが起きているのが不安で両親の寝室へ行って何事もなく寝ている姿を確認したりした。

そんな怖がりな私が、たまたま仕事の都合で震源から離れた場所に一人暮らししていたせいで、被災せずに済んだわけなのだけど、家族や友人の多くが関東に住んでいて、計画停電とか放射能とか、次々にやってくる大変過ぎる状況を、ただただ心配していることしかできなかったことが、安全な場所からの高みの見物みたいな後ろめたさがどこかであって、本当はみんなと一緒に居られれば良かったのにと、思ったような気もする。

当時の記憶や感情はもうだいぶ曖昧だし、時系列も曖昧。今みたいに心境をメモしたりする余裕も全くなかった。ふりかえると、もともと寂しがり屋で、仕事経験も浅いなかアウェイの土地で孤軍奮闘してた心細さや未来へのぼんやりした不安みたいなもので心細い時期だったかもしれない。何せまだ二十代、色々若かった。

個人的にも仕事上でも、原発事故の放射能汚染の影響はとてつもなく大きくて、水素爆発が起きたというニュースが流れた日、夕方に差し掛かってからやっととれた休憩時間に、事務所の駐車場から見た東の空の低いところにピンク色の、夕陽を浴びた雲がなぜかものすごく怖くて、不吉だったのを鮮明に覚えている。

震災直後のショック状態が落ち着いても、仕事もプライベートも、自分にとって譲れないものは何か、みたいなことを考えながら過ごすことが増えて、充実しつつも毎日が重かった。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に、「清々しい大気の中で」というタイトルの章があるのだけど、当時それがすごく心に引っかかっていて、ああもう、世界は原発事故前には戻れないんだ、私は原発事故のあった後の世界をこの先生きなきゃいけないんだ、という、時間の不可逆性が強く意識された。もう、胸いっぱいに、肺いっぱいに、何も考えずに清々しい空気を吸うことはできない、精神的に、って思い詰めてた。

時間が不可逆なのはいつだって変わらないこの世界の基本法則だけど、あの震災で、私がそれまでの人生で一番強く、その事を思い知らされた。身近な人が全員無事だった私でさえそうなのに、家族や友人を亡くした方の思いは計り知れない。

あの日から十年、結婚して、何度か引っ越ししたりして、今ふたりの子どもを育てている。あの時、子どもを育てているお母さん、お父さん達は、もっともっと大変だったろうな。と思うし、と同時に、守らなきゃいけないものが明確にあるから、かえって気持ちは強く、右往左往せずにいられたのかなとか、想像する。

子ども達は健康にすくすく育っているし、周りの人や環境に恵まれて生きてこれたけど、一年半前には初期乳がんで手術したんだった。それも、私にとってすごく大きな出来事だったけど、個人の歴史と、みんなで共有している社会的な歴史は、受けとめかたも関わり方も印象も違う。

昨年からの新型コロナ禍も、コロナがある前にはもう戻れない、不可逆性を強く感じる出来事だった。震災から十年以内に、また別の大きな問題が降りかかるとは。私は戦争を知らないけれど、震災とコロナ禍を経験する時代に生きてるんだな。

これから先も何が起こるのか、ますます予測できない世界になったと思う。でも、何か起きる時、それは普段の平穏な日々では開けなくても良い箱に入っている問題を、嫌でも突きつけてきて、それはすごく生きるための本質的なもので、向き合うことで強くなれるものでもある。

緊張感の日々が続くことは辛いけれど、その中で拾い集めた大事なことの欠片たちを握りしめて、これからも生きていこうと思う。



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