見出し画像

日米の違いについて in NY 《話をすること》

NYの街中は、普段は人でごった返している。歩いていると聞こえてくる言語は英語がメインだが、ほかの言語も多く聞こえてくる。スペイン語、イタリア語、あとは中国語が耳に入ってくる。聞き覚えのないヨーロッパ系の言語も多く聞こえてくる。人種も様々、飛び交う言葉も様々だ。ヒスパニック系の人が多いNYでは、スペイン語はほぼ公用語となっている感がある。NYのデブラシオ市長は、市民向けの会見の後半をスペイン語でも行っている。

日本は、身の回りに住んでいる人は、基本的に言葉も文化も同じであることが当たり前の社会である。もちろん他の国から仕事をしに来ている、移住している人も今は多いが、それでも身の回りの人と話をする時に、言葉や文化の違いを気にする場面はそう多くない。目の前にいる話し相手との言葉と文化の違いを意識する機会は決して多くはない。

NYは違う。目の前の話し相手のバックグラウンド(言語・出身・人種・宗教など)はどういうものかわからない、自分と違うだろうという前提で話が始まる。恐らくだが、そのため、自分がどういう人なのかわかってもらうため、とにかく人と話をする、表現する、という文化がこの国にはあるように思える。黙っていては周りに自分のことを理解されないのはもちろん、存在さえも認めてもらえない感じさえある。自分という存在を認識してもらうために、アメリカで人々は皆大声で自らを表現し合い、理解し合おうとする。街中が騒がしい理由も、レストランが騒がしい理由も、根底にはこういう理由があるのではないかと思っている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?