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「EXIT」って、

思いつくままに書いているので、プロットなど何もありません。それでも、今この熱量のまま書かなくてはいけないという使命感に駆られ、思いの丈をそのまま筆に任せて認めています。読みにくい部分は、この思いに免じてどうぞご容赦ください。

今朝のめざましテレビ。5月4日〜6日の3日間、「めざましおうちFES」というコーナーが特別に設けられており、今日がその最終日だった。このコーナーに、近頃最大の推しであるお笑いコンビ・「EXIT」さんが出演するとの情報を得て、朝がとてつもなく弱い私は、超久しぶりに7時に跳ね起きた。在宅勤務が続き、通勤時間がなくなったことを良いことにかなりギリギリまで寝ている私にとって、そんな時間に起床したのは恐らく1ヶ月半ぶりくらいだ。いや、そんなことはどうでもいい。

EXITさんが披露したのは、「リモート漫才」。文字通り、りんたろー。さんと兼近さんのお二方がそれぞれの自宅から漫才を行うという、このご時世に相応しいスタイルのお笑いだ。そこで目にしたのは、衝撃的な漫才だった。

初見の感想。正直に言う。本当に放送事故かと思った。「……え? え!? 大丈夫!?」という心配が先走り、非常にヒヤヒヤ……いや、ヒエヒエしたのを覚えている。だが、途中で気づいた。

これは、「敢えて」、こうなんじゃないのか?

起きてまだ15分程度の寝ぼけ眼で見ていた私は、その境地に至った瞬間、一気に目が覚めた。と同時に、鳥肌が立つのを感じた。

これは、単なる「リモート」の「漫才」ではないのだ。

そもそも漫才と言えば。サンパチマイクを挟んでコンビ(トリオもそうだが)が立ち、ボケとツッコミを繰り返しながらオチに向かって話を繰り広げ、観客を笑いの渦に巻き込む。そのような、いわば固定観念があった。

しかし、今朝見せてもらったもの。EXITのおふたりは、イラストのサンパチを挟んではいるものの、顔を突き合わせて喋っているわけではない。物理的に彼らを繋いでいるのは、ビデオ通話だけ。まあリモートだし、そうなるだろう。そうやって漫才を配信しているコンビは多くいる。もちろん、それも楽しい。だが、それは「リモート」になっただけの、通常の「漫才」だ。

だが、EXITさんが今朝披露したものは少し違う。ただおふたりがリモートで喋って、人々を楽しませているだけではない。これは、いわゆる「リモート漫才」を超越したものだ。

コロナの影響で外出自粛、休校、在宅勤務となり、オンラインでの会議や授業、飲み会などへ参加した方はわかるであろう、「リモート」あるある。回線にラグが起き、上手いテンポで会話が進まない。ノイズやフリーズにより、通話が途切れたり飛んだりする。私自身、これに煩わされることが多々ある。

ところが、EXITさんはこれを「利用」し、笑いに変えたのだ。ネット回線を利用して行う漫才だからこそ、起こりうるトラブル。その「リモートあるある」を漫才の中に取り入れ、あたかも放送事故かのように「演出」する。それは見る人の心配も生むが、笑いも生むものだ。放送事故映像特集とかドラマのNG集がいい例。面白く感じる人がいるから、それらは存在しているわけで。数分の漫才でその面白さを提示してきたのは、もうさすがとしか言いようがない。いつも少し先を見ているんだなと、彼らの目のつけどころにひどく感服した。

おうちFESコーナー終了後。初見の衝撃を胸に、すぐに録画リストを開き、2回目を見る。ガチの放送事故ではないことを知って安心しながら視聴していると、自分でも訳がわからないほど笑っていた。そのまま3回目を見る。やっぱり笑いが止まらない。その後、深夜の地震のせいであまり眠れていなかったので、二度寝をキめ、起きてからまた見直す。今日だけで数えきれないほど見たが、永遠に面白い。もはや中毒。そして、何度も見返すうちに、こんなネタを考えついたEXITさんに、今度は畏敬の念が止まらなくなった。涙腺バグりんたろー。さんよろしく、私も涙腺がバグって泣きながら見ていた。

人って、考えて考えて考え抜いたら、こんなに新しくて、面白いことができるのか。全ての人がそうじゃないのかもしれない。プロのお笑い芸人で、「チャラ男です」と言いながらも、真面目かつストイックにお笑いに向き合っているEXITのおふたりだから、このようなことを閃いたのかもしれない。

だが、社会人1年目の時、仕事でもよく言われた。「本当にお客様のためになること」を考え抜いたら自然と答えは出るだろう、と。確かにそうだった。考え抜いて切り抜けたトラブルは、まだ若手の私でもそこそこある。その先に、自分にとってありがたい結末が待っていたりもした。つまり、「物事に対してどれだけ必死になるか/ならないか」、そこなんだな。

必死に考え抜けば、あるいは挑戦すれば、「何か」を自分のものにできるのかもしれない。仕事に限らず、勉強や生活習慣の改善、それから、趣味。極めたいと思いながらも、報われなくて投げ出してしまいそうなこと、全て。私は諦めがちで、いろんな夢を手放してきた。でも、もし仮に「そう」すれば、結果を出せるのかもしれない。いや、そもそも何かについて「必死に考え抜くこと」自体が、それに対して自分が抱いてしまっている「固定観念」を覆すことに繋がるのかもしれない。そんな可能性まで突きつけられた気がして、「バイブスいと上がりけり」状態になり、調子に乗ってこんな文章を認めている次第だ。

ところで、EXITさんはちょうど1ヶ月前の4月6日、公式のYouTubeチャンネルに「コロナ注意喚起漫才」をアップロードしている。その時はリモート漫才ではなかったが、兼近さんがこんな台詞を言っている。

「そしてオレらは、令和の芸人として、新しいザイマンの形を提示していくことに決めるんだよ」

そう言いながら、兼近さんは相方のりんたろー。さんとの距離を取る。「この距離でのザイマン ウケないでしょう!?」と戸惑うりんたろー。さんに対し、「感染してまでウケたいんですか?」という鋭いツッコミを引っ提げて。

▼引用元はこちら

この時の「新しいザイマンの形」というのは、あくまで距離の話だけだったのかもしれない。しかし、今朝のネタを見て、冗談でなく度肝を抜かれた私は、彼らの挑戦はずっと「新しいことの模索」、ひいては「固定観念からの脱却」だったんじゃないか、と感じ、この台詞の意味を改めて噛みしめたのだった。EXIT沼新参者なので、既におふたりがそれを公言されていたりしたら、不勉強で大変申し訳ございません。

しかし、現に彼らの今までの活動を見れば、いわゆる「お笑い芸人」らしくないことも数多ある。これを批判する人も、中にはいるかもしれない。しかし私は、その「お笑い芸人」という枠に囚われず、様々なことに挑戦し、新しい旋風を巻き起こし続けているEXITさんを、心の底から尊敬しているし、大きな憧れを抱いてもいる。きっと多くの人がそう思っているはずだ。その感情は、「かっこいいなあ」だったり、「すごいなあ」だったり、「大好き!」だったり、「これだから推せるんだよなあ」だったり、「こんな風に生きてみたい」……だったり。いくらでも湧き出てくる。やばい、また涙腺がバグりそう。

「EXIT」というコンビ名の由来。彼らは、「全ての人のつらいこと、ストレスの出口になれば」という思いから、この名前をつけたと明言している。ただ、新参者の1ジッターとして感じたこと、それは。

「EXIT」って、「固定観念からの出口」なんじゃないだろうか。


ところで、先ほど更新されたEXIT・りんたろー。さんのnoteを読んで、さらなる衝撃を受けて涙腺がバグったのは、また別の話である。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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