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両親の老いを受けとめるとき


母の病気が再発の兆候。
毎月父が車を運転して往復2時間の道のりを送り迎えし、ドクターの説明を聞く。一年以上"安定"の花まるを頂いていたが、今回数値から「うむ?」となったという。両親ふたりじゃ説明理解も心許ない。
そもそも運転も危ない。


最初の告知は私が両親と同席して話を聞き、わかりやすくふたりに解説したけれど、骨が折れた。特に父には疲労困憊した。こんなにも伝えることにエネルギーを要するとは。
話のわかる男だったんだけどなあ。
今おもえば、理解力や話のつながり、記憶と保存と結び付けが難しくなっていたんだろうと想像はつく。


これからは弟との共同作業でいっちょうやったろうかとおもう。いよいよ我が家にも介護な波がじわじわきたんだね。今までよくじじばば2人でがんばってきてくれたね。ありがとう。感謝。


加えて父の加齢による認知機能低下の進行が思っていたより早く、昨日tellで話したが声も明らかに弱々しく驚いた。


仕事の鬼で、毎年新しいチャレンジを重ねてきた父。自営の厳しさを背に、常に希望に燃えている姿しかみたことがない。そんな父を追いかけるようにわたしは自分の仕事と、家庭と育児に取り組んできたんだ。
常に全力がデフォルト。里帰りをするたびに互いの仕事観や近況報告や夢をビールをつぎあい🍻ながら、心ゆくまで語り尽くしたものだ。


父が眠くなり「お父さんはもう寝るよ」の声を寂しくきき、おやすみなさい、とひとりリビングに取り残される。さっきまでの余韻に浸り新しいビールを開ける夜。母と続きを話してみたり。

あんな時間はまたやってくるのだろうか。たまらなくきてほしい。いや、絶対実現させる。



私の大好きなかっこいいお父さん。
面影は薄らいできたのかな。薄らいでもいいよ。
お父さんはお父さんだから。


年末年始は帰れないけど、1/15の母の採血検査は、弟とわたしと、4人で一緒にいこう。

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