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20年ぶりにピアノを弾き始める

なんということでしょう。
私が今世で、もう一度ピアノを弾くことになるとは。

ピアノについてはあまりにも話が長すぎるので、今後追々書くとは思うのだが、つまり私はさりげない話題にすら「ピアノ」の「ピ」の字も一切出さずに過ごしてきたように思う。
今思えば、ピアノをあえて避けて生きてきたようにも感じる。何が私をそこまで追い込んだのか、自分でもまだよくわからない。

私とピアノの関係の略歴はこうだ。
幼稚園の頃にアップライトピアノを入手し近所のピアノ教室に通い始め、小学校卒業まではのらりくらりと練習も不真面目ながらもポツポツ続けていたのだが、色々あって突如中学校から音大を目指して本格的にピアノを学び始める。
中学時代と高校時代は音大受験のための6年間。
お茶の水女子大学の音楽科にピアノ専攻で入学し、背中と腕とお尻がバキバキになりながら毎日寝不足でもう今ではあんな過酷な生活はできないと思えるような時間を過ごし、大学院博士前期課程(修士)ピアノ科を修了。大学院博士後期課程(博士課程)は中退。

という感じで。
さらにこの行間、父が亡くなり、恩師も亡くなり、色々あり、ピアノが弾けなくなって行ったのだった。
当時はピアノの音を聴くのも嫌で、いい感じのカフェでピアノ曲なんて流れてこよう物なら胃もたれものだった。もちろんプライベートでピアノの曲を聴くことすらなかったし、そもそも音楽全般から遠ざかっていた。一生分の何かを使い果たした気になって疲弊していたのかもしれない。

こうして今書いてみると、何があったのだおヌシ、トラウマか、とも振り返れる話なのだが、実際はそんなトラウマ的な物ではなく、なんというか、様々なことが重なり過ぎて、それが重く重くのしかかっていたのかもしれない。

さてそこまでピアノから離れていた私が、どういうわけか、昨年末の引っ越しをきっかけに、ピアノという単語が脳内に浮上するようになり、うっかり夫に「(引越し先の)1階にピアノを置いたら邪魔かなあ」と言ってしまう。
嬉々としてピアノについて検索し始めた夫。引越し先は築80年の古民家だったため、アコースティックの重さに床が耐えられるためには工事が必要であろうという結論に至り、そもそも引越し先は世にも静かな地域であることから、あんなところでピアノの音を出すなんて畏れ多くて(絶対に煩すぎる)無理なのになんで自分がそんなことを口走ったのか謎だと思いながら、結果、電子ピアノを夫が購入してくれることになった。

もちろん、生のアコースティックピアノと、電子ピアノでは、音の鳴り方も全く異なるし、鍵盤のタッチも異なる。二つは似ているようで全く別物なのだ。しかし今から音楽大学を受験するわけでもコンクールで1位を目指すわけでもなく、将来的に誰かにピアノレッスンをすることになったとしても当面はただ自分のためだけに弾く話であり、私としては「ピアノみたいな形で88鍵盤あればもうなんでも弾けるんでございますので電子ピアノで充分にござります」ということで。
折しも世の中がブラックフライデーなる普段は全面否定している資本主義経済、消費の権化のようなイベント期間が待ってましたと言わんが如く到来し、私が「やっぱりうるさいよ」「大きいから邪魔になるよ」などとあわあわしている間に夫が光の速さでポチッと購入されておった、という事の次第である。

そんなこんなで昨年は引越し騒動で電子ピアノを設置したところまでで力尽きていたのだが、年が明け、おもむろに弾き始めたのが昨日。
弾き始めるとやっぱり時間が口の中の綿飴が如く消え去っていくので、どうにも近隣への音漏れにそわそわし(それでも最小のボリュームに絞っているのだが)イヤフォンだ、イヤフォンと思い、取りいだすも、イヤフォンジャックを買い忘れていたことに気がつき、それだけのためにいざ初売りモードのショッピングモールへ買い出しへ。

ここで楽譜も買ったのかと思いきや、実は年末に偶然にも楽器店の前を通りかかってしまい、楽譜は既に入手していた。

20年ぶりの再会に選んだのは
ヨハン・セバスチャン・バッハの《インヴェンションとシンフォニア》だ。
指の粒を揃えるのにちょうど良さそうだったし、試験やコンクール的な減点を気にせず音楽として《インヴェンションとシンフォニア》を味わえるのは今だからこそなようにも思え、楽器店の楽譜の棚からこれを選んでいた。

さてそんなわけで、再会し、再開した私とピアノの関係は今後の人生において、どんな様子になっていくのか。
全くわからないけれど、弾きたいと思えるようになった自分の変化を今は単純に楽しみたいと思う。

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