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歪みを是正する片付けの話


一昨年、義理の父が亡くなった。悲しみに暮れる間も無く私たち近親遺族に襲いかかってきたのは、法的な死後の手続きと、故人に関連するあれやこれやの物質的な後処理だった。
幸いと言えば不謹慎かもしれないが、世の中はコロナ禍、初めての緊急事態宣言中。長男、次男、長男の嫁の全員の仕事がほぼ消え去り、時間だけはたっぷりあった。意を決して腐海の闇に突入し、黙々と可燃ごみ、不燃ごみ、ペットボトル、プラスチックごみ、粗大ゴミ、古紙と選別しながら袋詰めしていく。一日も早くこの状況を脱出したかった私は、「食べたら眠くなって終わる」「座ったらもう二度と立てなくなる」と冬山の遭難時さながらに自分で自分を追い込みながら作業を続け、結果何キロ痩せたか測る余裕すらなかったが服の要所がブカっと浮いた。

なぜ溜め込まれていたのか分からない空のペットボトル。ホコリって堆積するとニードルフェルトの作品のようにシート状になるのだという新発見。怠惰な性格なのかと思えば、貯金通帳には事細かに何のお金の出入りなのか美しい字で逐一メモされ、昔の思い出を保管していたビデオテープにはしっかりとラベリングがされているという不思議な几帳面性。

カオスの中から絶対に捨ててはいけない相続関連の物を見落とさないように一つ一つに鷹の目を向けながらの片付けは、私たち全員に肉体的にも精神的にも大きな疲労と負担を強いた。特に人生の中で直接関わる時間が長かった長男と次男の心の負担は計り知れない。

この一大御片付けイベントの後から私はずっと考えている。自分がこの世に結果的に残してしまうであろう物質のことだ。
生きている限り、全く何の物質も残さずに消えることはおそらく難しい。デジタル化社会への変革によりデータ化されたものも多いが、それはそれで遺族がアクセスできずに困難を極めるなど課題も多い。死後の話で言えばデータといえども物質と同レベルの負担が発生する物なのだ。

とにかく物は少ないに越したことはない。
常々そう思いながら、物が増えないように気をつけて暮らしてきたつもりでいたが、やはりまだ多いように思えてきて、最近改めて持ち物の見直しを始めた。
テーマは「残された遺族がなるべく困らない所有物」まで落とし込むこと。
サブテーマは「誰かが引き出しを開けてもまあ仕方なしと思えるものだけが収納されている」こと。

これが自分の物ではなく、誰か他人の引き出しを開けた瞬間だと思うと、さらに整理が進むことにも気がついた。「このよれよれになったタイツはなぜ保管されていたのかしら」「この鞄、本当に使っていたのかしら」「どうして毛抜きが5個、爪切りは4個もあるのかしら」

そしてボールペン一本、毛抜き1個という小さな物が魔物であることにも気がついた。
その一本が命取りなのだ。
たかがペン一本を捨てずに保留しておいたところで、片付けの体制に影響がないだろうと思いがちだが、実はそれは大きな勘違いなのである。

一時が万事。

そして引き出しの中は部屋全体の縮図でもある。
服を収納する引き出しの中を徹底的に改め、翌日ふと部屋全体が大層すっきりしたように感じた。片付いたのは引き出しの中だけなので、全体の見た目としては何も変わっていない。にもかかわらず、何かが消されて、容量が空いた気がしたのだ。
その時思い出したのは宇宙の理論、ブラックホールについての簡単な説明だった。
ある重い質量が存在すると、そこを中心にして蟻地獄のように空間が吸い込まれるようにして歪んでいくのだ。
私が感じた部屋全体に影響を及ぼした軽さというのは、引き出し内の質量が減ったことによる部屋全体の空間の歪みの減少、という説明になるかもしれない。

家全体を見渡し、断捨離しなければいけないのに疲れてしまってできない、という場合は、引き出しの中だけ、化粧ポーチの中だけなど、ある限定した狭い範囲内だけに集中してみるのも良いかもしれない。ただしその際に一つだけ気をつけていただきたいのは、とにかく容赦なく徹底的に見直して整理することだ。化粧ポーチなら洗えるポーチなら洗う、中身は一つ一つ汚れを拭き取る。財布なら、溜めていたレシートはないか、普段全く使わないのに仕舞い込んでいるポイントカードなどは入れっぱなしになっていないか、改める。もしも自分が「街中で倒れて救急搬送された時に鞄の中からこの化粧ポーチやら財布やらが出てきて身元に繋がるものを探そうと中を開けられた時、本当にこれでいいのか」自問自答して欲しい。1年に2、3回しか使わないポイントカードは、ポイントが貯まって恩恵を受けられる日が来る確率は極めて低いし、そういうものに限ってお財布の隅の方で汚れ切ってぬるぬると黒いオーラを放っていたりする。そんなものは処分して良いのではないだろうか。

私たちは資本主義経済の中で、常に物を買わされ続けてきた。たくさんの持ち物を持つことが幸せだという刷り込み、本当に必要か必要ではないかを考える隙を与えないようにする煽り迫る広告の仕掛け、安いなら買わないと損をしているように感じさせる魔法。
3歩歩けば、ネットに入って3秒過ごせば、無理やり消費をさせようとする罠が至る所に仕掛けられている。
心してこの世を進まなくてはならない。
もう私たちにはそんな落とし穴に落ちている暇はないのだ。


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