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消費行動を見直す基準

私の消費行動は、私が存在したい理想の世界を作るための一端を担っているだろうか。

10年ほど前からだろうか、自分の消費行動を見直したいと感じるようになった。

すぐに変更できる消費と、すぐには難しいものがあった。
日常的に使うもので変更が難しいものは、概ね価格の問題だったように思う。

しかし調べれば調べるほど、「安かろう悪かろう」とはよく言ったもので、
安いものには理由があり、安いものには裏があるものだ。

全ての安いものがそうとは言い切れないが、
世界のどこかで誰かが辛い想いをしているから安く販売できるもの、
世界のどこかで動物が苦しめられているから安全だと安価で謳えるもの、
世界のどこかで誰かが搾取されているから安く販売できるもの、
世界のどこかで何かが無視されているから素早く安価に成立するもの。

それら全ての情報を自分の目で、足で、確かめにいくことが出来ないため、
本当かどうかはわからない。
けれど、少しでも早く何かを変えて行きたいなら、
それらの情報を自分の頭で精査しながら自分の行動を変えてみるしかないのだ。

そしてたくさんの情報の中から自分の消費行動を決めていくためには
いくつかの指針が必要になった。

現在の私の指針はこうだ

1・動物が幸せに暮らせる世界を作っていること
2・無駄な購買欲を煽らずに必要十分な適切量消費を心地よく行えること
3・自分の消費が世界のシフトチェンジに少しでもプラスになっていると思えること

一つずつ説明しよう。

1・動物が幸せに暮らせる世界を作っていること

これは私が小さい頃から異常な動物好きとして生まれてきたことに、大いに影響されているようにも思うのだが、今現在も私は犬と暮らしているし、小さい頃から猫や鳥や魚や犬や、ザリガニ、ヤドカリ、とにかく様々な人間以外のものと暮らしてきた。
家族に人間以外のものがいない時期というのは、生まれてからおそらく幼稚園手前くらいか、ほんの数年だけだったように思う。
人形遊びは気持ちが悪くて大嫌いで、常に遊ぶのは動物の形をした人形か抱きしめられるサイズのぬいぐるみだった。
私が小さい頃にシルバニアファミリーが存在して、本当に良かった。リカちゃん人形だけだったら辛すぎた。

この動物大好き基準を満たすために、買うものはなるべく動物性のものを避けたもの、ヴィーガンのものや、動物実験を行っていないものを選択している。

2・無駄な購買欲を煽らずに必要十分な適切量消費を心地よく行えること

これは極めて感覚的な問題になってしまうのだが、売り手側に「買え買え」という気持ちがどす黒く渦巻いているものは、短絡的に見ればとてもよく売れているのだが、買った側の私としてはなんだか後からズドンと沈みこむように疲れてしまう。
食べ物が最もそれを感じやすい。体に良さそうな材料で無添加の手作り品だったとしても、売り手側に「もっと食え食え、たくさん食え。買え買え。じゃんじゃん食べろ。」というようなオーラが含まれていた場合、それを食べると胃もたれにも似たようななんとも重苦しいものが体の中心に埋め込まれてしまうのだ。

食べ物以外でも、そういう売り手の重苦しい何かを感じることはある。しかしよく売れているのだ、そういうものは。もちろん品質としては良いものもたくさんある。よく売れているのにはそれなりの良い理由があったりもする。
けれどこの重たい売り手のオーラばかりは、自分で感じる他ないもので、誰かにどう説明していいものやら分からない。

ただ私の中で消費行動を続ける上で、この重苦しさを感じることは、あまりにも体に負荷を感じすぎるものなので、避けるように心がけている。
見分けるコツは、手にした時に、その物の物理的な重さとは別の「重さ」「軽さ」をどのように体感するかだ。最初の頃は見分けに失敗したりもしていたが、最近は少しずつ経験から自分に合った見分けができるようになってきた。

少しの量で充分に満たされる人として生きて行きたい。

3・自分の消費が世界のシフトチェンジに少しでもプラスになっていると思えること

これは消費について考え始めた時に最初に感じていたことでもある。
私個人の消費になんて世界に影響は与えられないだろうと思っていた。
けれどやっぱり、じわじわとそして静かに、影響は確実に広がるのだということを、コロナ禍に感じていた。特にこの3年ほどで、消費は大きく変わってきた。どんなものをどこで買うのか、消費者たちははっきりと分かれ始めているように思う。

さてそのようなわけで、次の記事から
私が今どのようなものを使っているのか少しずつ紹介していく。

ふーん、そんな商品もあるのね、くらいの軽い気持ちで読んでいただけたら嬉しい。


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