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29.「令和の白拍子」30本目の記事目前!最近の「生きづらさ」について考える

令和の白拍子こと、花柳まり草こと、まりちゃんです。

早いもので、29本目の記事となりました。
次回の30本目は、いよいよ宝塚音楽学校での毎日についてです。
もう本編の記事は書きましたので、更新をお待ちください!

30本目の記事を前にして、初心に帰りたいなぁという思いもあり、今日は「note」を始めたキッカケについて書いていこうと思います。

お付き合いくださいませ!

■noteを書こうと思った些細なキッカケ

noteを始めたそもそもの発端というのが、とある山奥に住んでいらっしゃる老夫婦の日常を切りとったドキュメンタリー映画の宣伝を見たからなんです。
そのご夫婦はお二人ともとてもご高齢。
旦那様の方は、現役の精神科医でいらっしゃるのですが、閉院を決意されていました。

トレーラーの動画では、病院での診察の様子や、何気ない日常の様子、お二人で手を繋いでただただ道を歩いていかれる姿などが写されていました。
お二人の姿を淡々と写し取ったその映像に、とても心が揺さぶられました。

日常って、きっと薄い和紙を一枚ずつ貼り重ねる様な物だと思うんです。
華やかさとはある程度遠いところに位置する日常かもしれませんが、お二人が歩んだ道はお二人だけのもの。

当たり前ですが、お二人が重ねてきた時間は、お二人にしか分からないものです。誰も歩くことはできない、自分だけの道です。

別にお二人は誰かに感銘を与えようとか感動させようとか、そんなことを思ってカメラの向こう側にいらっしゃるわけではないのです。
日常の些細な瞬間にもドラマがあり、その人しか歩けない人生の道はとても尊いものだと思いました。

こうして、人様の人生を客観的に見つめると、「生きることの尊さ」みたいなものをひしひしと感じることができるのに、いざ自分のこととなると、私は全く自分の人生に誇りを持てませんでした。

とてもやりがいに満ち、楽しくて幸せな時も沢山あります。
でもその一方で「私は何も持っていない、何もできない。こんな人生でも、こんな自分でも、自分を生きている価値はあるのだろうか。もっともっとできることがあるのに、自分の怠慢で出来ないのではないか」と何もする気力がなくなってしまうこともありました。

コロナウイルスの影響で「自分は何者でもない」という気持ちがより一層強くなった時、そのドキュメンタリーの映像を見ました。

誰かの人生はとても尊いものだと思えるし、結婚式などで友人のライフストーリーを聞いて号泣する自分がいる。
もしかしたら、いいや、きっと私の人生も、振り返ったり切り取ったりして客観的に眺めてみたら、案外捨てたものでもなかったのかもしれない。

そんなことをふと思い立ち、検証してみようと思ったのです。

■物を書くことは楽しい

結果として、物を書くことをはじめて良かったと思います。
割と沢山の人が「読んだよ!」と言ってくれることも嬉しいですし、実際にお仕事につながったこともありました。

もちろん、私はプロの物書きではないから、皆さんの評価のハードルも低いのは承知の上で言いますが、「文章を書くのがうまい」と褒められました・・・笑
「漫画の原作になりそう」とプロの脚本家の方に冗談半分に仰っていただくこともありました。

仕事(踊ること)で褒められても自分としてはまだまだだという気持ちが強いので、素直に喜べない時もありますし、そもそも褒めて頂けることなんてほぼないです。ですから、純粋に「褒められる」ということが嬉しかったです笑(←褒められるとどこまでも木に登るタイプ)。

それに、意外と自分は文章を書くことが好きなんだということに気がつきました。
これはとても大きい気づきでした。
文章を書くときは、いつも「宛先のない手紙」を出すつもりで書いています。
読んで下さる皆様を意識はしていますが、評価されようとか何かを感じてもらおうとかいう気持ちは0.3%くらいです笑
もちろん共感していただけたらとても嬉しいのですが、自分のために書いているんです。

■自殺を考えた過去

でも最近はすこーしだけ「欲」も出てきました。

今初めて公共の場所でぶっちゃけますが、私自身、過去には自分自身を傷つけたり、いっそのこと飛び降りようと思って屋上から下界をずっと見つめていたり・・・そんなことが沢山ありました。

こういう二面性がある自分だからこそ、書ける文章もあると思うんです。
この文章を読んだ方に少しホッとして頂いたり、お悩みのある方には少しの慰めにもなったらいいな、なんてことも最近は考えます。
もし誰にも言えない悩みとかがあれば、私に答えられるか分かりませんけど、メッセージとか頂けたら嬉しいなぁとも思います。

生きづらい世の中です。

選択の自由生き方の多様性認めれれれば認められるほど、私は「生きづらさ」も増していくように思うのです。

「何かを選び取る」ということは「何かを切り捨てる」ということにもつながります。
選択の自由がある分、進める道が沢山ある分、茫然と立ちすくみ、歩むべき道を見失ってしてしまう人もいるでしょう。
人と違った生き方をするためには、意外としんどい物を背負う場合もあります。

私だけでなく、なんとも言えない寂寞とした思いを抱いてしまう人は沢山いると思うのです。

私も何で飛び降りる前に思いとどまったのかは分からないのですが「ここまで歩いてきたのに、なんか全部ゼロになるともったいないな」っていう気持ちがあったからだと思います。まさかの「もったいない精神」が発動したんです笑。

それで「まぁ、あと3ヶ月くらい生きてみるか」と思っていたら「生きていて良かった」って思うような出来事が何の前触れもなく起こったりしました。

積み重ねてきたものが急に成果を出したり。インパクトのある出会いがあったり。「綺麗になったね」とか言われたり。(その人はお世辞で言ったのかもしれませんが、私は真に受けて「歳を重ねるのは、老化ではなく進化なのかも!?」とか嬉しくなりました)

自分で自分を許したり認めてあげたりできるようになるのって、意外と些細な出来事の積み重ねだったりするんだなぁと思います。

意外なところからその些細な出来事はドカーンと降ってくるので、「また絶対良い事が降ってくる」って根拠もなく信じちゃった方がいいのかなっていうのが、私の実感です。

そんな風に過ごしていたら、いつの間にか三ヶ月経っていました笑。

もう少し生きていたら、一体どこに自分が運ばれていくのか見てみたいなって思うようになりました。

仕事もそうだし、人との出会いもそうだし、些細なことの積み重ねで環境は変わっていきますし、見える景色も変わります。

「もうちょっと生きていたら、自分でも予期していない、見たことがない景色が見えるかもな」って欲が出てきました。

まとまりがなくなってしまいましたが、

とにかく根拠もない自信を持って、小さな積み重ねを信じること。

道に迷ったら、とりあえず自分の出来る範囲のことをやってみること。

そして、焦らないこと。


何かしらの小さな変化・出来事が、必ず自分のコンパスになってくれます。

私もそう信じたい。

皆様にとって、過ごされる時間が温かいものでありますように。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!

まり草

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