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30.「令和の白拍子」清く、正しく、逞しく〜宝塚音楽学校ライフ(予科生編①)

令和の白拍子こと、花柳まり草こと、まりちゃんです。

最近『寒い』と思って目が覚めることが増えました…。

28本目の記事では金木犀の香りによって想起される、いくつかの思い出について書かせて頂きました。
そこで、宝塚音楽学校時代のことも僅かではございますが触れさせて頂きました。

今は時代も移り、私たちが経験した音楽学校での生活とはだいぶ異なる方針のもとに学校生活が運営されているようです。
書いても大丈夫な事、いけない事の線引きが難しいなぁと思い悩みまして・・・。音楽学校生活についての記述をするにあたり、なかなか筆が取れずにおりました。

色々な学校生活の決まり事を暴露することが目的ではないのでご了承ください笑。
ちょっと特殊な学校生活のこと、そこで学んだこと、出逢った戦友たちのこと、そして自身の気持ちの変化などについて、コンプライアンスに触れない程度にこれからお話しさせて頂きますね。

第一回目の今回は、音楽学校に合格してから学校が始まる前の時期に印象的だったこと、そして寮生活を通して身についたと思われる後天的な能力についての概要をザッと書いていこうかと思います。

それでは、元気に参りましょう!

■いざ、武庫川のほとりへ

高校二年生の三月の末、音楽学校に合格してから「すみれ寮」での暮らしが始まるまでは本当にあっという間でした。

とてもよく覚えているのは、池袋の無印良品に必要物資を買いに行ったこと。
布団や毛布も買ったような気がします。

加えて、私たちの時は予科生の私服は「無地で地味なもの」という暗黙の了解がありましたので、無印良品でしこたま洋服を買い込みました。

ちなみに、高校二年生で大妻高等学校を辞めることになりましたので、その手続きやご挨拶に高校に伺っているはずなのですが・・・そこら辺はイマイチ記憶にないのです。とても大事な瞬間だったと思うのですが、もう気持ちが前に向きすぎていたのでしょうね。

学校に対してはかなり割り切ってドライな向き合い方が出来ていた反面、ずっとお世話になっていたバレエの先生やお教室の皆さん、声楽の先生や整体の先生とのしばしの別れは、とても寂しかったです。

音楽学校では、色々な先生方に教えを請うことになります。

慣れ親しんだ先生方の元を離れること・・・それは新たな成長のために必要不可欠な一歩であるのは確かなのですが、本当に不安で不安で仕方ありませんでした。

音楽学校の授業が楽しみな反面、もうこの時期から「東京に帰りたいし、また先生方のお稽古に通いたいから、早く夏休みになって欲しい」と思っていました。

そんな思いとは裏腹に、あれよあれよと春の日々は過ぎていきました。

次に鮮明に記憶に残っているのは、「すみれ寮」までの道のりを寮生の同期たちと歩いて向かっている場面です。
もしかして私の覚え違いかもしれないですし、どうしてみんなで束になって寮に向かったのかは覚えていないのですが、その時かなり鮮明に思ったことは「同期のみんな、めちゃくちゃ綺麗だな!」ということです。

もはや「ザ男役」「ザ娘役」みたいな人ばかりですし、可愛い・美人・足が長い・腰の位置が高い・細い・なんかすごいオーラ・・・な人ばっかり。

正直、とんでもない所に来てしまったなと思いました。

この人たちと友達になれるのか、これまたとてつもない不安に襲われました。
(結局、この不安はすぐに杞憂に終わることになるのですが笑)

■武庫川で身につけた後天的能力 その1

私は一人っ子、しかも親戚も少ない家庭で育ちました。なので、小さい頃は人様に囲まれて生活したという記憶があまりありません。ご兄弟がいると家庭という「社会の縮図」の中で、自身の振る舞い方や身の処し方などを生活の中で自然と学べる機会があるのではないかと思われます。

そのせいもあるのか、小さい頃の私はなかなかお友達を作ることができず、恐ろしいほどの引っ込み思案でした。
その代わり、家の中では我儘いっぱい、傍若無人なライオンガールでした。がおー。

中学校に入り、音楽学校受験のためにバレエのレッスンに通うようになり、ようやく集団の中での過ごし方を意識するようになった様な気がします。
ちなみに、学校は適当にやり過ごしていました。

校則で禁止されていたせいもあり、アルバイトも経験したことがありません。

ですから、10代の頃のまりちゃんのコミュニケーション能力集団生活における身の処し方、また「社会を構成する一要因である」という意識は恐ろしく低かったように思います。

しかし親元を離れ、遠い関西の地での「激アツな学校生活and寮生活」において、まりちゃんの社会性はかなり訓練された様な気がします。

武庫川のほとりで生き抜くために最も大切なこと、それは「同期と一致団結すること」でした。

頼れる他人・・・それは同期だけだったのです。

これ、大袈裟ではありません。同期だけが唯一の命綱なのです。

ただ、同期はめちゃくちゃ綺麗な子ばかりでしたが、やはり試験を潜り抜けてきた強者たちで良くも悪くも、みんな個性的です。
言葉を選ばないなら、クセも強けりゃアクも強い・・・笑

そんなアクの強い人たちの集団の中で、衣食住を共にし、親にも見せたことのないような顔で泣いたり、喚いたり、喧嘩したり。過酷な環境に時としてぶっ倒れる同期もいたりして、みんなで看病をしたり。そして、はちゃめちゃに笑ってふざけあったり・・・。

半ば強制的に、否が応でも、深く深く、他人と関わりを持たせられました。

もちろん、私もみんなの前でをたくさん晒しましたし、「見たくないな」って思う同期の一面や、「見せたくないな」って思う自分の一面にもどんどん直面させられました。

世の中の流れとして、例えば会社なんかでは、なるべく仕事の用事以外での人との接触はどんどん避ける傾向になっていますよね。「忘年会とか送別会に出たくない人は出ない」みたいな。

そう考えると、当時の「すみれメソッド」は、時代の波に激しく逆行していました。

付き合っていく人たちを選定していくのは、それはそれで良いと思うのです。自分の時間は有限でありとても大切なものですし、まりちゃんの様に人付き合いが苦手な人もいっぱいいます。手に余るほどの人間関係を抱えてしまうと、その重荷でかなり疲弊してしまいますもん。

ただ、あくまでもこれは個人的な意見なのですが・・・私は武庫川のディープ過ぎる人間関係の檻の中に放り込まれて、本当に良かったなと思っているんです。

こんなに濃密に、人と向き合えることなんて、人生においてそうそうありません。

子供から大人になるための通過儀礼として、とても必要な経験だったと私は受け止めています。

そりゃ、人間同士ですから好き嫌いもあります。同期は「唯一無二の大切な戦友」だと思っていますが、気の合う人もいれば合わない人だっています。

でも、とにかく自分の全てをかけて他人と向き合わされたあの経験を経たからこそ、私は「大事にしたいな」「関わりたいな」という人の線引きができる様になったと思います。

関わりたいと思う人だったり、一生お付き合いしたいと思う人たちが、100%に近い位に気が合ったり、自分のことを認めてくれていたり、私の味方でいてくれるわけではありません。

でも、学ぶべきところがあったり、尊敬できるところがあったりするから、「このヤロー!!!」って思う様なことがあっても、とりあえずはそんな気持ちを飲み込めたりもする。

もし私が武庫川のほとりにブチ込まれていなかったら(言葉使いが悪くて申し訳ございません)、自分にとって居心地が良かったり、楽チンな人達だけと関係を持っていた可能性が大いにあります!!!なんせコミュニケーション能力が低いワガママ野郎なので!

ちょっと苦手な人とも関係性を持ったり否が応でも持たされちゃったりすると「何でこの人のことをこんなに苦手に思うんだろう」とか、「でもこういうところは性格を度外視しても学びたいな」とか、客観的な視点でモノを考える訓練になるのだなぁと思います。

そんな後天的に身につけた能力おかげで、引っ込み思案なまりちゃんでも、人様との出会いによって自分の世界を少しは広げることができたかなって思います。

それにしても「生存本能」とは恐ろしいものです。かなりの荒療治ではありましたが、「集団生活における大事なこと」を学ぶことができた様に思います。

もちろん、同期との関係性だけではなく、「本科生」という一つ上の先輩たちとの関係性もディープすぎるほどディープでした。

血を流しながら(もちろん比喩的な意味で)、激しく脈打つ心臓の鼓動を感じながら、「あぁ私は生きている・・・」と噛み締める様な瞬間が沢山ありました。

それの話をしだすと長くなるので、また別の機会で・・・。

■武庫川で身につけた後天的能力 その2

あと、身につきましたのは恐ろしいほどの「適応力」

すみれ寮で寝れれば、どこでも寝ることが出来るのではないかと勝手に思います笑
今はピカピカの建物が出来上がっているようですが、私たちが入寮した頃のすみれ寮は、お世辞にも綺麗な建物とは言えませんでした。

当時のお部屋は二人部屋。お部屋自体もお世辞にも広いとは言えません。

備え付けのベット、クローゼット、そしてテーブルを置くわずかな隙間・・・。

初めて寮を見学した時、お言葉が大変悪いのですが「ここは収容所なのかなぁ」と思ったりしてしまいました。(かなりのブラックジョーク)

お部屋に敷いてある絨毯も素足で直接触れたくないなぁと思いました。まりちゃん、結構神経質なので。

ですが、サバイバル生活が始まってしまえば「寝ることができる場所がある」、それだけで幸せでした。疲れた身体を横たえれば、一瞬で夢の中にいけました。

どんなに「うっ」と思ってた場所でも、身体が「お願い!寝て!」と指令を出せば人間は寝ることが出来るんだなぁと思いました。

タカラジェンヌは、割とどこでも寝れる図太さを持っております。


さ、というわけで本日はこれ切り・・・是非、次回も逢いにいらしてください♪

ドタバタ武庫川ライフ、続きます!!

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